<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366</id><updated>2012-02-16T23:12:21.411+09:00</updated><title type='text'>Sky is Wind,Tree is Sea</title><subtitle type='html'></subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default?max-results=100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/'/><link rel='hub' href='http://pubsubhubbub.appspot.com/'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><generator version='7.00' uri='http://www.blogger.com'>Blogger</generator><openSearch:totalResults>90</openSearch:totalResults><openSearch:startIndex>1</openSearch:startIndex><openSearch:itemsPerPage>100</openSearch:itemsPerPage><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-2872848121351968123</id><published>2009-06-16T17:35:00.001+09:00</published><updated>2009-06-16T17:35:49.977+09:00</updated><title type='text'>■何かが少しずつ・・・</title><content type='html'>銀杏の青葉を摘み、本にはさむ。うまくいけば、美しい青葉の押し葉ができる。&lt;br /&gt;家のバラも、再び少しず蕾をつけ始めている。外壁工事の影響をうけて、今年枯れてしまった苗4本。悲しいものがある。仕方ないとはいえ、せめて花が咲くのを一度でもいい、見たかった。&lt;br /&gt;Y美術館の脇のモミジフウの緑も、日に日に目に眩しくなってきた。少し離れたところからしばし眺める。若葉色は何処までもやさしく、やわらかく、こちらの心に沁みこんでくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;母の髪が抜け、やせ細り、そのさまを私はじっと見ていることしかできず。それがたまらなくもどかしい。&lt;br /&gt;病の残酷さは、祖母の看病で散々見てきているはずなのだけれども。それでも胸が痛くなる。&lt;br /&gt;この治療を続けた果てに、穏やかな時間が待っているのだろうか。それとも残酷極まりない結果ばかりが待っているのだろうか。&lt;br /&gt;誰にも分からない。分からないから、ただ、祈る。どうか、どうか、と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;雨が降り出す夕暮れ。まるで閉じ込められているかのような錯覚を覚える。窓に額をはりつけて、ただ眺める。じっと眺める。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;少しずつ何かが変化しようとしている。その気配はもう、私の首筋まではいあがってきている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-2872848121351968123?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/2872848121351968123/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=2872848121351968123' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2872848121351968123'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2872848121351968123'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2009/06/blog-post.html' title='■何かが少しずつ・・・'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-447555124791099952</id><published>2009-04-22T12:28:00.001+09:00</published><updated>2009-04-22T12:28:32.864+09:00</updated><title type='text'>■そうして暮らしている</title><content type='html'>若葉色がまぶしいくらいにあたりに溢れている。朝の光が乱反射して、それは発光するかのようにさえ見える。自転車を時々止めながら、私は樹を見上げ、空を見上げる。雨上がりの朝、空気がしっとり濡れている。空のあちこちに、昨日の雨の名残雲が浮かんでいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;身体ががくがくと大きく震え始める。止まらない、止められない。私は倒れないようすぐそばにある何かに掴まるのがやっとだ。掴まって、ただその発作がゆきすぎるのを待つ。待ち続ける。&lt;br /&gt;ようやく去ったとほっとした途端、突き刺さってくるのは周囲からの視線。それがとても痛い。できるなら走り去りたい気持ちに駆られるが、私は走ることもままならず、ただ、どんよりと、足を進める。あきらめの気持ちを抱えながら。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;過食嘔吐したくなるときは、パンをいくつもにちぎっておいて、一口ずつ、何時間もかけて一個のパンを食べる。そうすれば、吐こうにも吐くことはできないのだから。&lt;br /&gt;リストカットももう長いことしていない。薬のばか飲みももちろんだ。今の生活リズムで一度でもそれをしたら、すべてが雪崩のように倒れこむことが分かっている。だから、衝動とどうつきあうかを考えている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今年に入って、四六時中ハーブティを飲んでいる。味はレモン・ジンジャー。このハーブティがなかなかの頓服になってくれることに気づいた。すぅっとするのだ、飲んだ後。心も頭もすっきりする。衝動に駆られているときはだから、このハーブティをしつこく飲む。大丈夫、大丈夫と呪文を唱えながら。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;金銭的には全く恵まれていない。どうしようかと悩むことさえばかばかしくなるほど恵まれていない。それでも、私たち二人家族は、今日も何とか暮らしている。&lt;br /&gt;目を合わせ、笑いあい、ただそれだけで今日は満足だねと、一日一日を暮らしている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' 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rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-6016326504258732812</id><published>2009-04-16T19:09:00.001+09:00</published><updated>2009-04-16T19:09:47.952+09:00</updated><title type='text'>■新緑を眺めるなら</title><content type='html'>　新緑を眺めるなら早朝がいい。朝の光は澄んで輝き、萌黄色をいっそう際立たせてくれる。今いたるところ緑溢れ、それはまるで洪水のようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここのところ毎日のようにこの喫茶店に通っている。平日の午前中、ここには殆ど人がいない。ＢＧＭも適度な音量で、読書にはうってつけの場所なのだ。しかも片側一面窓。これもまた、私にとっては都合がいい。&lt;br /&gt;　「心的外傷と回復」を皮切りに、「笑う警官」「悪意」「分身」「ユニット」その他諸々、読み進めている。時々息切れを感じると、私は窓の外を見やる。&lt;br /&gt;窓の外は今また、景観を大きく変化させようとしている。Ｙ駅東口側に大きな円形のビルが新しく建てられているのだ。今までその奥のショッピング モールが見えていたが、新たにそのビルが建設されることで全く見えなくなってしまった。そして、その大きな円形のビルの手前の空き地も、近々何か建設が始 まるのだろう。土を乗せたトラックや人が忙しなく行き来している。&lt;br /&gt;　これまで遠くまで見渡すことのできたこの席からの風景は、じきにあちこち途切れ、こんなふうに見渡すことはできなくなるのだろう。それがとても侘しい。&lt;br /&gt;　帰りがけ、液肥をまとめ買いする。薔薇の樹やラナンキュラスたちにそろそろ肥料を与えたい。お疲れ様と、これから頑張って、の声を込めて。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今、私にとってのかつての主治医の病院に友人が入院している。その友人づてにかつての主治医の声を聴く。&lt;br /&gt;　今日改めて分かった。私はかつての主治医に対して、怒りを持っているのだな、と。最初は憎悪や嫉妬なのかと思った。でも違う、私の中に生まれているのは怒りだ。&lt;br /&gt;　かつてあなたは患者たちを見捨てたではないか。治療途中で患者を見捨てたではないか。なのに、今、そんなご大層なことを言える身分なのか、平然と新しい患者を前にして講義できるような身分なのか、あなたは今私たちに再会するとしたら一体どんな顔をするのか、と。&lt;br /&gt;　でもその怒りは、沸点に達した直後、しゅうぅぅぅっと萎んだ。&lt;br /&gt;　こんなもの、抱いているだけ無駄なことだと、私はもう承知している。別れの儀式は私の心の中で既に為された。終わっているのだ。もう今の彼女と私とは何の関係もない。かつての彼女を私は知っていたが、今の彼女を私はもはや知らない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　帰宅すると、一輪咲いた橙色のミニバラが私を迎えてくれた。強い風に煽られながら、おかえりと澄んだ声で言っているかのようだった。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-6016326504258732812?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/6016326504258732812/comments/default' title='コメントの投稿'/><link 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src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-6636817578693342450</id><published>2009-04-09T00:27:00.001+09:00</published><updated>2009-04-09T00:27:43.317+09:00</updated><title type='text'>■生き残り</title><content type='html'>　サバイバーという言葉がある。意味は知っている。自分がそうであることも知っている。しかし私はサバイバーという言葉が正直嫌いだ。&lt;br /&gt;　一方、生き残りという言葉なら、私はしっくりくる。それなら自分もそうだと頷ける。同じ意味じゃないか、同じ言葉じゃないかと言われるのを百も承知だ。その上であえて言えば、私にとってその言葉から受ける感触が違うのだ。それがたとえ同じ意味を表す言葉であったとしても。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　たくさんの生き残りに会って来た。知り合っても来た。交流ももったりした。しかし、たとえ似通った体験であっても、一人ひとり色が違う。匂いが違う。感触が違う。言葉としてはひとくくりにされてしまうとしても、私たちは十人十色だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私が「あの場所から」のシリーズを始めたことで、時折会う質問がある。それは、どうしてこの人たちの非日常をカメラに収める必要があるのか、世間に訴えようと思うならば、この人たちの日常あるいは事件そのものをカメラに収める方が分かりやすいではないか、というものだ。&lt;br /&gt;　言っている意味は分かる。&lt;br /&gt;　しかし、私はそもそも、あのシリーズをはじめるにあたって、世に訴え出ようということを第一義に置いていない。第一義どころか、第二にも第三にも置いていない。それは、付属として生じてきた事柄だ。&lt;br /&gt;　私はまず、自分と同じように生き残り今生きている人たちと出会いたかった。そして、彼女ら彼らと一緒に何かをしようと思った。何かを共有したいと思った。その時、私にできることが写真を撮るという行為だった。&lt;br /&gt;　何よりもまず、そのことがある。&lt;br /&gt;　そうやって「あの場所から」は始まった。&lt;br /&gt;　出会いを経て改めて気づいたことは、被害の最中に写真を撮られている被害者がとても多いということだった。そんな彼女たちを被害の場所に立たせて世に訴えるような写真を撮り発表することなど、私の頭にも心にもこれっぽっちも浮かばなかった。私が写真を通して彼女らとできることはただ、「共同作業」だと、私は思っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　生き残りの多くは、その傷によって世界と社会と断絶されてしまったことで苦しんでいる。私たちにとってだから、生き残りという言葉は、「生き残った」という能動形ではなく、「生き残ることをさせられてしまった」という受動形だ。&lt;br /&gt;　生き残ることをさせられてしまった私たちは、生き残り、だから、今存在している。でも、能動形で生きることがとても難しくなってしまったのだ。たとえば、わかりやすいところで、自分の夢があるとしよう。それを、被害前実現させていたとしよう。ようやく辿り着いた夢、実現させた夢だった、それなのに、被害に遭うことによって根こそぎ取り上げられてしまう。それが生き残らされた後に残った現実なのだ。根こそぎ引っこ抜かれた後、そこには何が残っているのだろう。&lt;br /&gt;　私はその、穴の開いた土ぼこに、もう一度、できるなら種を撒きたい。いや、種を撒けるなどというのはおこがましい。できるなら、その穴ぼこの傍らにひょっこり芽を出す雑草になりたい。&lt;br /&gt;　穴はどうやっても埋まらない。あいてしまった穴を、新たな土でもって埋めることができるだろうと言う人が多くいるかもしれない。でもそれは、あくまで新たな土で埋めたものであって、穴は穴なのだ。穴であることは、どうやっても、どんなに時を経ようとも、変えられない。&lt;br /&gt;　それならできることは何か。傍らにそっと寄り添うことだけだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今年もそうやって「あの場所から」の撮影は終わった。森と海。二箇所での撮影だけれども、そのどちらも、かつて私が撮影に使ったことのある場所である。どうしてそんな使い古した場所を選ぶのか、そんなんじゃ似通ったカットばかりになるではないかと言われることがあるかもしれない。しかし。&lt;br /&gt;　私はそれらの場所が安全であることを知っている。だから傷ついた彼女らを安心して連れてくることができる。ここでならどう振舞ってもいいよと彼女らをその空間に送り出してやることができる。彼女らを知れば知るほど、そういった空間だからこそ彼女らを解き放って追いかけていたいと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もしかしたらいつか、彼女らの日常を撮ることがあるかもしれない。でもそれは、まだ先のような気がする。彼女らはまだまだ傷ついている。まだまだ血を流している。私の血もまた、まだ滲んでいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　いつか能動形で生きる術をつかむ日が来るかもしれない。それを自ら納得できる日がいつか、そういつか来るかもしれない。&lt;br /&gt;　そのときようやく私たちは、生き残りという括りからも、解き放たれるのかもしれない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-6636817578693342450?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/6636817578693342450/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=6636817578693342450' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6636817578693342450'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6636817578693342450'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2009/04/blog-post_09.html' title='■生き残り'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-6709052558781636565</id><published>2009-04-02T21:38:00.000+09:00</published><updated>2009-04-02T21:39:15.608+09:00</updated><title type='text'>■川を遡る鮭のように</title><content type='html'>ラナンキュラスの蕾が綻んできた。黄色い薄い花びらが、風が吹くとひらひら揺れる。&lt;br /&gt;うどんこ病に冒されているというのに、蕾を付け出した薔薇の樹たち。なんとかこの病気を克服させてやれないものかと、病葉を見つけるたび摘んでいる。うどんこ病に特効薬はない。こまめに病葉を摘んで次に広がらないよう努めてやるだけだ。&lt;br /&gt;水仙は、小さな小さな蕾をほろり見せてはいるが、果たして咲くかどうか。三年目の球根。何処まで頑張ってくれるか今見つめている。&lt;br /&gt;一年に一度の「あの場所から」の撮影は何とか終わった。&lt;br /&gt;最初に森林公園で、次に海で撮影。夜明け前からの撮影で歯が鳴るほどの寒さの中だったにもかかわらず、みんな頑張ってくれた。&lt;br /&gt;撮影に参加してくれたメンバーの中には、被害の折写真を撮られたということから写真を撮られることがトラウマになっている人もいる。それなのに、姐に撮られるのはもう大丈夫と、すっぴんで堂々参加してくれる。そのありがたさを噛み締めながら、私はシャッターを切り続けていた。&lt;br /&gt;翌日、その参加メンバーの一人と、「あの場所から」の撮影とは別のシリーズを撮影してみる。私は三脚を持っていない。にもかかわらず室内での撮影。まぁやってみれば何とかなるものだ！&lt;br /&gt;そんなこんなであっという間に日が過ぎる。娘の春休みももう終わりにかかっている。今年早く咲くといわれていた桜はまだ蕾が残っている。今週末花見を予定しているが、天気が崩れるらしい。今から照る照る坊主を用意する。&lt;br /&gt;生きていればいろいろある。いろいろあって当たり前。&lt;br /&gt;いろいろあるけど、それでも生きていく。川を遡る鮭のように。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-6709052558781636565?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/6709052558781636565/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=6709052558781636565' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6709052558781636565'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6709052558781636565'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2009/04/blog-post.html' title='■川を遡る鮭のように'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-7831967998464166927</id><published>2009-03-12T15:52:00.003+09:00</published><updated>2009-03-12T16:11:39.796+09:00</updated><title type='text'>■明るい午後に</title><content type='html'>　イフェイオンが咲く。裏側が白く、表側が美しい青色の可憐な花だ。三つ角の花びらが二枚重なって、六角形の星のような形をしている。&lt;br /&gt;　ラナンキュラスの蕾もようやく二つに増えた。まだまだそれらは堅く閉じているが、まっすぐ天に向かって伸びる姿は、凛として美しい。&lt;br /&gt;　薔薇の樹のひとつ、ホワイトクリスマスの元気がない。新芽がいっこうに現れないのだ。心配でならない。ひとつでもいい、新芽が出てくれたなら安心なのだけれども。&lt;br /&gt;　それにしても今年はいちように花芽が出るのが遅かった。日照量が足りなかったのだろうか。それとも気温が足りなかったのだろうか。水仙もムスカリも、ここにきてようやく根元に花芽が現れ始めた。これだとあの公園の桜の蕾などはどうなっているのだろう。&lt;br /&gt;　ずいぶん日も長くなった。この時間でまだ太陽がこの窓枠の中にいる。半月前ならとうに窓の外に落ちていた。&lt;br /&gt;　搬入が済んだ。しかし、あんなドジを踏んだのは初めてだ。展示最中に、釘が抜け額が落ちたのだ。見事にガラスが割れた。ガラス屋へ走り、なんとか頼んでガラスをカットしてもらう。開店直前になんとか滑り込んで間に合ったものの、あんなにひやひやしたのは本当に初めてだ。&lt;br /&gt;　そんなこんなで始まった展覧会。どんな人がどんなふうに作品を見てくれるのだろう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-7831967998464166927?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/7831967998464166927/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=7831967998464166927' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/7831967998464166927'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/7831967998464166927'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2009/03/blog-post.html' title='■明るい午後に'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-5597337575721382536</id><published>2009-02-27T07:46:00.000+09:00</published><updated>2009-02-27T07:47:17.681+09:00</updated><title type='text'>■雨降る朝に</title><content type='html'>朝、友人と話していて改めて気づく。&lt;br /&gt;そうだ、私たちは、&lt;br /&gt;今生きていることが不思議なくらい傷ついて&lt;br /&gt;それでも今こうして存在しているのだ、ということに。&lt;br /&gt;それを否定しなくてもいいのだということに。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は、自分が傷ついていることが罪のように思えることがある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;でも。&lt;br /&gt;もし自分以外の誰かが同じことを言ったら、私は何というだろう。&lt;br /&gt;私は間違いなく、そんなことはない、と言うだろう。そして、&lt;br /&gt;相手に話し続けるんだろう。&lt;br /&gt;どうして罪なことがあるものか、と。&lt;br /&gt;傷ついていて当たり前なのだ、と。&lt;br /&gt;むしろ&lt;br /&gt;今生き残っていることを誇りに思ってよいのだ、と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私はそれを、私自身に言うことができないだけだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;いやもちろん、時々は言える。&lt;br /&gt;時々は、生き残ってるだけで十分だし、私は私を恥じる必要なんてないし、むしろ誇りに思ってよいのだと自分に言い聞かせることはできる。そうして深呼吸することもできる。&lt;br /&gt;でもまだ、あの件では、それができない。&lt;br /&gt;それだけのことだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私はあの事件の日のことを、映像で覚えている。音声や痛みが欠落したままの、映像だ。朝話をした友人は、ある日その痛みを思い出してしまったのだという。&lt;br /&gt;解離したままでいることの方が楽なのか、思い出してしまう方が次にすすめるのか、どちらなんだろう。&lt;br /&gt;…どちらであっても。&lt;br /&gt;私たちはそれらを、その都度それぞれに受け容れながら、それぞれに歩いていくしかないんだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;再び雨の降り出した空を見上げながら思う。&lt;br /&gt;PTSD。それらがもっと、この世の中で受け容れられていきますように。&lt;br /&gt;私たちのような人たちが、もっと生き易い世の中に、なっていきますように。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-5597337575721382536?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/5597337575721382536/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=5597337575721382536' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/5597337575721382536'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/5597337575721382536'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2009/02/blog-post_27.html' title='■雨降る朝に'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-3096927568577950807</id><published>2009-02-26T15:26:00.000+09:00</published><updated>2009-02-26T15:27:15.079+09:00</updated><title type='text'>■つらつら見る夢のまにまに</title><content type='html'>　朝からずっと雲は切れない。いつ雨が降り出してもおかしくない空模様。&lt;br /&gt;　娘が学校へ行っている間、少し横になる。途切れ途切れに夢を見る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今何かを書き出そうとすると、すべて過去のことになる。過去のことに触れなければならなくなる。私はそれが、どうもいやらしい。&lt;br /&gt;　何がいやなのか。振り返ってそれを吐き出すことはいい、でも、それを他人の眼に触れるところで為してその他人を不快にさせるのがいやなのだ。それが今日はっきり分かった。&lt;br /&gt;　それならば書かなければいい。でも書きたい。書いてもう自分の中でも過去の過去として埋葬の儀式をしたい。&lt;br /&gt;　一体どちらなんだろう。それがまだ分からない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　少し前、仕事をやめたのはもったいなかったということを言われた。本当にそうだと思う。しかし。あの仕事を続けていたら、今の私はなかった。いや、そもそも、私が今ここに生きていられたかどうか、はなはだ疑問だ。そのくらい私は追い詰まっていた。追い詰められていた。生き延びることができなかった。&lt;br /&gt;　だから辞めてよかったのだろう。と思いたい。しかし、私の中には後悔がまだまだ残っているのだ。どうして辞めたのか、と。もっとしがみつけばよかったのではないか、と。当時の私を知る人は、あの仕事を辞めてよかったのだと誰もが言ってくれる。しかし、私自身はまだ納得できないでいるのだ。どうして、と。どうして私が、と。加害者たちが残り私が辞めた、その構図が、許せないのだ。今もまだ。&lt;br /&gt;　性犯罪被害によるPTSDの怖さを、改めて感じる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　あの後も、せめて編集の仕事からは離れたくないと思い、幾つかの編集部を渡り歩いた。しかし、性犯罪被害による爪痕は思った以上に深く、私を苛んだ。いい加減休みなさいと主治医に何度言われたことか。それでも、私は休むことができなかった。一度歩みを止めたらもう二度と立ち上がれないのではないかと思えたからだ。&lt;br /&gt;　けれど結局、私はそうした仕事も辞めることになる。そうして私は、世界の表舞台から、逃げるようにして離れることになる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　気づけば、世界と隔絶されていた。そうした場所に私は、一体何年いただろう。はっきりとそれを数えられないし、覚えてもいない。気づけば世界と隔絶された場所にいて、私はただ、そこに倒れこんでいた。そうとしか、いいようがない。&lt;br /&gt;　手首を切り裂く毎日が続いた。流れ出す血を確かめなければ自分が生きていることを確かめられなかった。それさえだんだんと麻痺していく中、私はもう、生きていることが分からなくなっていた。&lt;br /&gt;　ある人が私をそれでも抱きとめて引きとめようとしてくれたとき、私は切腹を試みた。今考えれば恐ろしいことだ。身勝手極まりない。けれどそうでもしなければ、当時私は、そこに存在していることも、同時に存在を消すこともできなかった。&lt;br /&gt;　そんなふうにして私はどんどん、世界から隔絶され、果てはその緒を見失い、まさにその言葉通り真っ暗な闇の只中に浮遊していた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今、私のそばには娘がおり、写真がある。&lt;br /&gt;　この二つが、この道程を経て、私に残ったものだ。&lt;br /&gt;　長かった。長い長い道程だった。気づけば15年という年月が流れ、いや、もっと正確に言うならば、38年という年月が流れていた。&lt;br /&gt;　父母による精神的虐待から始まり、DV、輪姦、強姦、挙げだすときりがない。そうした出来事が、私の人生を彩っている。&lt;br /&gt;　それでも今、私のそばには娘がおり、写真がある。たったそれしか残らなかったのかと言われるかもしれないが、あの苦渋の日々を省みればそれだけでもう十分すぎるほどの贈り物だ。そして何より。&lt;br /&gt;　何より今、私のそばには人がいる。友がいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この道程で失ってきた友の数を数えだしたらきりがない。言葉通り墓標となってしまった数もきりがない。&lt;br /&gt;　それでも今、こうして、人に囲まれていること。それは、どれほど感謝してもきりがないだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そう、感謝しつつ、私は、唇を噛むのだ。&lt;br /&gt;　どうしてあの時あの仕事を手放したのか、と。私の夢は、本を作ること、本という媒体を通して世界のいろいろな人たちに何かを伝えることだった。幼い頃からのそれが夢だった。その夢を私は。&lt;br /&gt;　いたしかたがないと、私の周囲は言ってくれる。それでも。&lt;br /&gt;　それでも私は私を許すことができないのだ。どんな理由があれ、自分の夢を手放したことを。様々な人を傷つけながらもしがみついていたくせに、結局最後手放したあの夢と自分のことを。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　同時に、今ここに自分が存在できるのは、あの職を手放したからだということも知っている。そのことに、繰り返しになるが、私は心から感謝している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この矛盾を、私が丸ごと受け容れられるようになるには、まだもう少し、時間がかかる。今はまだ、その許容量が足りない。まだ、私は受け容れることができない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もうじき個展だ。この個展の作品たちでモデルになってくれたのは同じ性犯罪被害者の友人たちだ。私は心から感謝している。彼女らがそんなことを厭わずモデルとなり、自分を晒してくれたそのことを、祈りたいほどに感謝している。&lt;br /&gt;　だから、私は少し緊張している。&lt;br /&gt;　彼女らの心を無駄にしないくらいに私はちゃんと作品を仕上げることができただろうか、と。そのことが今、何より気がかりだ。&lt;br /&gt;　作品展が始まったら、私は彼女らに改めてありがとうを伝えたいと思う。あなたたちがいたからあの写真を撮ることができたのだ、と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　つらつら続いた夢から覚めて、私はそろそろと日常に戻ってゆく。&lt;br /&gt;　窓の外、今にも雨降り出しそうな雲が一面を覆っている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-3096927568577950807?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/3096927568577950807/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=3096927568577950807' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/3096927568577950807'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/3096927568577950807'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2009/02/blog-post_26.html' title='■つらつら見る夢のまにまに'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-6744569048328725124</id><published>2009-02-23T12:15:00.000+09:00</published><updated>2009-02-23T12:16:05.349+09:00</updated><title type='text'>■2009年2月23日　雨降るあなたの誕生日に</title><content type='html'>雨が降る。雨は降る。しとしとと。しとしとと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;九年前の今日は、肌がつっぱるほど晴れていた。土曜日破水したのではないかという不安を抱えての月曜日の診察だった。土曜日には出なかった反応が出、私は即入院。入院が決まった途端、不思議なことに陣痛がやってきた。朝食も昼食も摂れていないまま私は陣痛にうなされた。水を飲んでもすべてベッドの上に吐き出した。痛くてカーテンに抱きついたら助産婦に怒られた。痛みにうなされながら、私はおかしなことを考えていた。&lt;br /&gt;あぁこれが正常な痛みというものなのだな、と。半ば感動していた。&lt;br /&gt;いくらリストカットを繰り返しても感じられなかった痛みがそこにはあった。切腹しようと試みたとき以上の圧迫がそこにはあった。&lt;br /&gt;私の腹はパンパンに膨れ、悲鳴を上げていた。あぁこれが、本来の痛みというものだったと、私はつくづく思った。&lt;br /&gt;そうして20時16分、彼女は産まれた。&lt;br /&gt;娘よ、あなたは知らないだろう。私がどんな思いであなたをこの世に産み出したかなぞ。あのときどれほどの希望を私が得たかなぞ。そう、あなたはそんなこと、知る必要はない。ただ、懸命に今を生きればいい。今を精一杯味わい呼吸すれば、それで良い。&lt;br /&gt;最近時折、街を往く家族連れとすれ違いざまに一抹の寂しさを覚えるようになった。私に父親はいたが、幼い頃不在であった。一方娘に今父親は不在だ。私たちの記憶の中に、ああした姿は共に不在なのかと、それが少し寂しい。&lt;br /&gt;願わくば、おまえが無事に嫁ぎ、別れることなく誰かと共に在ってくれたら…などと、要らぬことを思い描いたりする私がいる。&lt;br /&gt;でも。&lt;br /&gt;今はそんなこと、まさしく余計なことだろう。&lt;br /&gt;そう、今はただ言おう。&lt;br /&gt;誕生日おめでとう。今年は一桁最後の年だよ。精一杯生きろ。&lt;br /&gt;と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;雨が、止みかけている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-6744569048328725124?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/6744569048328725124/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=6744569048328725124' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6744569048328725124'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6744569048328725124'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2009/02/2009223.html' title='■2009年2月23日　雨降るあなたの誕生日に'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-6139737977493659299</id><published>2009-02-19T06:27:00.001+09:00</published><updated>2009-02-19T06:27:49.077+09:00</updated><title type='text'>■ひらり、はらり、もっと潔くあれ</title><content type='html'>　朝一番に開けた窓の外を見つめるでもなく眺めている。あぁ夜明けがこんなにも早くなった。東から伸びてくる陽光があの窓にこんなに早く届くようになった。徐々に徐々に白くなってゆく光を、ただ私は今眺めている。&lt;br /&gt;　ひらり、はらり。最近その音を聴くことが多い。ひらり、はらり。衣がまた削げ落ちてゆく。そういう音だ。&lt;br /&gt;　父母との間のしこりはなくなったわけではない。でもかつてのようにありありとそこに在るわけでもない。その境をしこりを、こっそり越えて向こう側を見る術も、それなりに身につけた。だから、その瞬間逆流した血流も、すぐ元の流れに戻るようになった。&lt;br /&gt;　これは多分に娘の影響が大きい。&lt;br /&gt;　娘は間違いなく私が産んだ子供だ。私が腹を痛め、この世に産み出した子供だ。子供のちょっとした癖の中に、かつての自分を垣間見ることが多々ある。しかし。&lt;br /&gt;　大きく違うのだ。&lt;br /&gt;　私は父母に叱られるとまず唇を噛んだ。そして泣いた。ほろほろと大粒の涙をこぼして泣いた。しかしそれは悲しいからではなく、悔しいからだった。ごめんなさいと言うのは、とことんのところへ言ってからじゃなければ言わなかった。&lt;br /&gt;　けれど娘は、いともあっさりとごめんなさいと言う。あっさりとありがとうと言う。それはどうしてこうもあっさり言えるのかと思うほどだ。&lt;br /&gt;　けれど、彼女の言葉や声を通して、改めて、その二言がどれほど美しい言葉なのかを私は思い知っている。&lt;br /&gt;　娘が使うありがとうやごめんなさいの言葉を繰り返し聴きながら、私は学んでいる。そして気づけば、ありがとうやごめんなさいを自然に使っている自分を見出す。&lt;br /&gt;　子供に教えられるとは、まさにこういうことなのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　一方で、そんなあっさりと残酷な言葉を吐いていいのか娘よ、と呆気にとられることも多々ある。そんなにクールでどうするよ娘と思うことも多々ある。と同時に、それがどれほど己に忠実な言葉であるのかを彼女の表情から読み取らされる。そして私は逆に突きつけられるのだ。自分がどれだけさまざまなしがらみにこだわっているのかを。そして、はて、と首を傾げるのだ。自分は一体何を生きているのだったっけ、と。&lt;br /&gt;　私は私でしかない。私は私以外の何者でもない。私は私の一生を全うするしか術がない。ひっくりかえせば、私を生きられるのは私以外の何者でもない。&lt;br /&gt;　ならば。&lt;br /&gt;　もっと潔くあれ。と、私の中の私がぼそっと呟く。&lt;br /&gt;　もっと簡潔であれ。もっと明快であれ。私の隣で笑う娘の中の私が呟く。&lt;br /&gt;　纏わりつくしがらみは、多分私が世界と関わっている以上なくなることはない。でもそれに塗れてしまうくらいなら、はじめから自分を生きようとなんて思うな、と。&lt;br /&gt;　そして聴くのだ。ひらり、はらり、はらり、ひらり。また一枚落ちてゆく衣の音を。ひらりはらり、ひらりはらり。私の皮がまた、一枚剥けてゆく。要らない荷物を、またひとつ道端に置いて、私はさらに今をゆく。&lt;br /&gt;　もっと簡潔であれ。もっと明快であれ。そう、&lt;br /&gt;　もっと潔くあれ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　気づけば窓一面、明るくなっている。今日も多分、りんりんと晴れるのだろう。いっとき目を閉じ耳を澄ますと、震えるような空気の音が聴こえる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-6139737977493659299?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/6139737977493659299/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=6139737977493659299' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6139737977493659299'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6139737977493659299'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2009/02/blog-post_19.html' title='■ひらり、はらり、もっと潔くあれ'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-357129636940572651</id><published>2009-02-10T08:03:00.000+09:00</published><updated>2009-02-10T08:04:41.047+09:00</updated><title type='text'>■私はそういう足を持ちたい</title><content type='html'>久しぶりに座った席からは、海と川とが混じり合う場所が見える。左には海が、右には川が横たわり、広がっている。黒つばみ色の渦が波紋を描いている。&lt;br /&gt;ここからの風景もずいぶん変わった。目の前にたたずんでいた倉庫は皆取り壊され、今、土ならしが為されている。次には多分、高層ビルが建つのだる。そうなればまたここからの景観は変わる。&lt;br /&gt;緑の少ない季節。でも皆無なわけではない。所々常緑樹がこんもりと茂っている。そういえば鴎がいない。一羽もいない。きっといつものように、川に停泊しているボートの方へ、暖をとりにいっているのだろう。&lt;br /&gt;どんなに近しくても他人は他人。近しければ近しいほど、その関係が重要で在ればあるほど、それらが揺れると自分まで揺れる。どんなに強く見える人間でも、全くぶれずにいることは不可能だろう。しかし。&lt;br /&gt;でき得るならぶれずにいたい。なら、そうであるためにはどうしたらいいのか。己が己の足でもってしっかり立っていること、そのほかには術はない。部分によってぐらつくのではなく、全体を支えられる足を自ら持つことで、心震から解放される。&lt;br /&gt;私はそういう足を持ちたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「自身にとっての光りであることは、他のすべての人々の光りであることだ。自身が光りであれば、精神は課題や応答から自由になる。そのとき精神は 全体的に目覚め、張り詰めているからだ。この緊張には何の中心もなく、緊張している者もなく、したがって何の境界もない。中心、つまり〈私〉が在る限 り・・・」&lt;br /&gt;クリシュナムルティの日記より&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-357129636940572651?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/357129636940572651/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=357129636940572651' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/357129636940572651'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/357129636940572651'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2009/02/blog-post.html' title='■私はそういう足を持ちたい'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-6894052605907841953</id><published>2009-01-27T21:28:00.002+09:00</published><updated>2009-01-27T21:29:57.831+09:00</updated><title type='text'>■27日</title><content type='html'>　寒い。でも、これが本当に寒いのかそれとも暖かいのか、よく分からない。あのときはどうだったろう。冬のコートをちゃんと着ていたのだろうか。覚えていない。はっきりと覚えているのは今ではもう、黒のワンピースだけだ。&lt;br /&gt;　今ベランダでは薔薇の苗たちとラナンキュラス、イフェイオン、ムスカリ、水仙が、それぞれに枝葉を伸ばしている。薔薇の苗はちょっと水をやりすぎたせいで早速うどんこ病になった。仕方なく病気の葉を全部摘む。ほとんど丸裸になった樹は寒そうで、でも凛として、立っている。見つめているとそれは不思議な光景だ。この寒さの中、背を丸めることもなくまっすぐに立っているその姿は。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　娘が起き抜けに言う。いい夢を見たよ。どんな夢？　赤ちゃんの夢。赤ちゃんの？　うん。あなたが赤ちゃんなの？　違う、赤ちゃんができる夢？　え、あなたに赤ちゃんができるの？　違う違う、ママに赤ちゃんができる夢。&lt;br /&gt;　もう赤ん坊を孕むような年頃ではない私なのに、娘はそれをいい夢だと言う。そしてうきうきと朝の支度を始める。&lt;br /&gt;　そういえば、娘を孕んだ頃、私はまだパニックや自傷行為の嵐のまっただ中にいた。幾つ目かに勤めた会社からも逃げだし、部屋に閉じこもり、毎日過去を見つめていた。そんなただ中で私は、娘を孕んだのだった。&lt;br /&gt;　誰もが反対した。誰もが産むことを反対した。産むと言い張ったのは私だけだった。それまで服用していた薬を一切断ち、様々な不安を抱えながら、それでも私は産むと言い張った。&lt;br /&gt;　不安は山ほどあった。妊娠したのではないかと思われる頃にも様々な薬を服用していた私は、まず、副作用の不安を抱いた。同時に、私のような罪深い人間が命を孕んでいいのだろうかと不安になった。機能不全家族に育った自分に子育てができるのかも不安だった。要するに、何もかもが不安だった。&lt;br /&gt;　襲ってくるのは、パニックやフラッシュバックだけじゃなくなった。つわりや貧血も頻繁になった。切迫流産で早々に入院し、そこでは自傷行為の傷痕を看護婦から責められ、さらに自己嫌悪に陥った。&lt;br /&gt;　転院、子宮頸管無力症、四六時中の絶対安静、早期流産の危険、貧血、嘔吐、数えだしたらきりがないほど、妊娠期間中は不安だらけだった。しかもその時期、私の心療内科の主治医は留守だった。唯一頼りになるはずの主治医もいない、味方は誰もいない。日々パニックに陥った。一日が一日ではなかった。延々と続いていく地獄のような時間の帯だった。&lt;br /&gt;　そしてようやく出産。しかし出産後、すぐ、私は体を壊し倒れる。子育てをまともにできない自分を呪った。毎日泣いた。しかし。&lt;br /&gt;　泣いても泣いても、娘は笑っていた。私がいくら荒れても、娘はすやすやと眠り、すくすくと育った。私が、自分にはやはり子育てなどできないのではないかとおののいている最中にも、彼女は育っていった。&lt;br /&gt;　正直に言えば、彼女が三歳になる頃まで、私は頻繁にリストカットを繰り返した。娘に見つからないようにしながらも、それでも私は自分を責めることをやめなかった。自分を貶めて、追い込んで、傷つけることをやめることができなかった。&lt;br /&gt;　彼女は言葉が遅かった。私はそのことをとても気に病んだ。やはり私には無理だったのではないかと、今更の後悔に何度も襲われた。&lt;br /&gt;　でもやはりここでも、娘は自ずと育っていた。ある日突然、三歳になってまもなく、彼女は唐突にしゃべり出した。単語をつなぎつなぎ、私にアピールした。そしてある日、彼女は、私の左腕の赤々とした傷口を撫でて言ったのだ。ママ、痛い？&lt;br /&gt;　あのときの、彼女が私を見つめる丸い丸い目を、私は、生涯忘れることはないだろう。まっすぐに、澄み切った、あの瞳。&lt;br /&gt;　それから少しずつ、私は自傷行為から離れていった。その日からきっぱりやめることができたわけじゃない。何度も揺り返しは来た。けれど。&lt;br /&gt;　彼女の存在は大きかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今現在、私には過食嘔吐という自傷行為が残っているが、ODからもリストカットからも離れている。衝動に襲われはするが、それを納める術を何となく身につけた。そして。&lt;br /&gt;　そして娘は、いつのまにか九歳になろうとしている。&lt;br /&gt;　私の病の回復の過程には、これからも娘がぴったりと付き添っているだろう。私が死ぬ間際に省みた時には、その存在はきっと太陽のように眩しく輝いているに違いない。&lt;br /&gt;　いまだに、ACの虐待連鎖はちまたで囁かれている。しかし、そうではない例もあり得るのだと、私は身をもって知っている。そうである限り、私は何度でも人生やり直しがきくことを信じていける。&lt;br /&gt;　きっかけは人それぞれ、様々なんだろう。また、それに気づけるか気づけないかもある。気づけたなら、そこからまた道を修正し、歩いていけばいい。修正は恥でも何でもないのだから。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　窓の外、あふれる光。その下で凛と立つ薔薇の樹。私はこの樹のように人生に対し立っていたい。&lt;br /&gt;　りんりんりん。&lt;br /&gt;　りんりんりん。&lt;br /&gt;　光降り注ぐ。&lt;br /&gt;　両手広げてもあふれるほどの&lt;br /&gt;　光が、今、ほら。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-6894052605907841953?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/6894052605907841953/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=6894052605907841953' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6894052605907841953'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6894052605907841953'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2009/01/27.html' title='■27日'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-4645479048930728408</id><published>2009-01-27T21:28:00.001+09:00</published><updated>2009-01-27T21:28:48.623+09:00</updated><title type='text'>■十五年</title><content type='html'>　この一年間のことをどう振り返ったらいいのだろう。まだよく分からない。&lt;br /&gt;　主治医がいなくなって数年、私は主治医の言葉を信じ、ただ待っていた。必ず戻るからそれまで待っていてという主治医の言葉を、私はただ信じ、待っていた。しかし、主治医は戻ることはなかった。そこには様々な事情が絡んでいたのだろう。けれど、私は主治医の言葉を信じすぎたが故に、その事情を鑑みるなどできる余裕はなかった。次々に変わる担当医。そしてもうこの先生しか残っている人はいないとなったとき、待合室の壁に一枚の小さな紙が貼られる。Ｓ先生は事情により戻ることができなくなりました。と。そしてそこには合わせて、先生の行き先も書いてあった。しかし、私にはとうてい、通うことのかなわない距離の病院だった。&lt;br /&gt;　以来私は、医者というものを信じなくなった。信じられなくなった。またどうせ、という気持ちが生じてしまう。それでも、と何度も自分を叱咤する。一時は、ここから私は新たにやっていくのだと自分を納得させたこともあった。しかし。&lt;br /&gt;　新しい担当医の方針は明白で、日々の悩みや躓きについてはカウンセラーと話をし、医者とは体調や薬の話少々のみ、というスタンスであった。私はそうした方法に慣れていない。慣れなくては仕方がないと分かっていても、体が拒絶する。なんとか自分を納得させかけたのも束の間、今再び、どうしても、この三分間診療の現状を受け容れられない状態で毎週病院に通っている。&lt;br /&gt;　しかし、治療をしていくために、私の状況を話さなければならない。知って貰わなければならない。私は、現時点からでいいと最初思っていた。それが、カウンセラーが尋ねてくるのだ。これまでどんなことがありましたか、あなたはそれについてどう感じてここまできましたか、などなど。&lt;br /&gt;　ようやっと、長い時間をかけて、自分なりに受け容れ始めた矢先のこの質問に、私は愕然とした。ここにきてまた、掘り下げる作業を再び私に為せというのか。あの掘り下げ作業に伴う痛みを再び味わえというのか。&lt;br /&gt;　そんなの、いやだ。今はまだできない。そんな冷静にすべてを話せるなら、病院なんか必要ない状況に私は今いるだろう。私に無理に話をさせる前に、どうしてカルテを見通してくれないのか、とさえ思う。カルテを見ればすべてが分かるではないか、と。私が長い時間をかけて提出してきた書面が山のように、カルテには挟まれているのだから。&lt;br /&gt;　そんなこんなで今日を迎える。これからどうやって、治療をすすめたらいいのか、私には今見えない。&lt;br /&gt;　でも多分。多分私はやっていける。医師やカウンセラーとの関係が今のところうまく築くことができていないけれども、私は私なりに、うまくやっていける。私が自分を進ませようとする意志を失わない限り大丈夫だ。生き延びようとする意志を失わなければ、きっと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　酷い発作は数えるほどしかなかった。不眠、偏頭痛、吐き気、過食嘔吐、離人症状、フラッシュバック、極度の緊張が続いての体の痛み、その程度の間を、私は行ったり来たりしていた。&lt;br /&gt;　長い時間を省みてみれば、今年はずいぶん楽になったんだと思う。自傷行為は、過食嘔吐以外ほとんどなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　長い長い真っ暗闇のトンネルから、少し、ほんわりと光の漏れる場所に移動した気がする。ただそれに私がまだ慣れていないから、戸惑う。目を覚ますたび、私は今どこにいるのだろうというような気持ちになる。&lt;br /&gt;　光は何処からさしているのだろう。まだそれが分からない。全体が薄ぼんやりと明るい場所。だから光がどちらからさしてくるのか分からない。でも、少なくとも、今は光がほんのり存在する、それは間違いない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　丸十五年。だと思う。十五年を経て私が得たものは。&lt;br /&gt;　時は何よりの薬になり得るということなのかもしれない。&lt;br /&gt;　いつの頃からかある種の諦めと、深い受け容れが始まった。もちろんそれに揺り戻しはつきもので、何度も何度も揺り返しにあい、何度も何度も倒れた。しかし。&lt;br /&gt;　一度、受け容れようと自分で自覚したら、何度転ぼうと倒れようと、そのスタンスは変わることはなかった。今まで誰にも話せなかったことも、今まで見ることを避けていたことも、少しずつ少しずつ自分の中で消化できるようになっていった。もちろんまだ傷のままのものも在る。むしろそっちの方が多いかもしれない。それでも、いつか私はそれらを全部ひきうけて、歩いていくのだという覚悟は、できた。&lt;br /&gt;　その覚悟ができると、一歩また進めた気がした。暗闇からほの明るい場所に出てきて、そして、そこには、ぼんやりと人影がうごめいていた。幾つもの人影が。&lt;br /&gt;　その人影とは、私をずっと待っていてくれた人たちだった。見守っていてくれた人たちだった。遠くから近くからそっと、見守り続けてくれている人たちだった。&lt;br /&gt;　そのことに気づいたとき、自傷の衝動をコントロールする術を、端っこだけかもしれないが、つかんだ気がした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今月に入り、自傷の衝動に襲われることは多い。たとえば、フラッシュバックで、何度も加害者に脅迫され行為を強いられたことを思い出すと、自分を引き裂いてちりぢりに引き裂いてやりたくなる。けれどもしその思い通りに自分を引き裂いたらどうなるか。&lt;br /&gt;　私の娘はどうなるだろう。私の友人はどうなるだろう。私の父母はどうなるだろう。そういったことを少し、考えられるようになった。&lt;br /&gt;　それでも過食嘔吐の衝動は抑えきれないことが多々あった。胃がちぎれるのではないかと思うほど食べ物をとにかく詰め込み、そしてトイレに駆け込む。そこには白い便器があって、私はそこに思い切り今食べたものを吐き出す。と。&lt;br /&gt;　白い便器に、吐瀉物の上に、加害者の顔が浮かぶのだ。そしてやがてそれは母の顔に変わり。ゆらりゆらりと彼らは私の目の中に入ってきて、決して消えようとはしない。そして私はどうしようもない罪悪感にかられるのだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　一つ、大きな出来事があった。それは、父母が二人とも、病を負ったことだ。父は両目の手術をしなければならなくなり、母はインターフェロンの治療を始めなければならなくなった。それにともなって、父母は最初、ヒステリックな状態に陥っていた。これから向き合わなければならなくなる病を否定するかのように、最初あれやこれや拒絶症状を示した。今まで大きな病気をひとつもしてこなかった人たちだ。それは当然の症状だったのだと思う。&lt;br /&gt;　しかし。&lt;br /&gt;　私は長いことPTSDと向き合ってきて、病と向き合うことがどういう状況を生み出すかを何となくではあっても知っていた。だから、父母に時折いらいらしながらも、ある程度傍観することができた。&lt;br /&gt;　それによって、私と父母の間に、もう一つ、新しい関係が生まれた。父母が私に弱音を吐く、という関係だ。これまでそんなことはあり得なかった。父母は絶対完全主義者であり、完璧主義者であり、いつだって勝利者であった。権威者であった。悪く言えば暴君であった。しかし、今回病を得たことによって、私と一つ、共通項を持った。それが、今、微妙に私たちに影響し始めている。&lt;br /&gt;　父や母が私に弱音を吐くことによって、私は父母の痛みを知る。弱さを知る。それによって、私は、父母に優しい言葉をかけられる余力を得る。父母もそれを望んでいる。&lt;br /&gt;　今まで私たちには、ただ上下関係以外のなにものもなかった。それが今、ようやく、理解し合おう、知り合おうという親和が生まれている。もちろん、長いこと正反対の状態を続けてきたのだから、すぐにすべてがうまくいくわけではない。しかし。&lt;br /&gt;　今新たな局面を迎えたのは間違いはない。父母と私。それぞれに病を負うことによって初めて、お互いに理解しあえないのがすべてではなく、理解し合える部分もわずかではあっても存在することを、認め合おうとしている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今、ふと思い出していた。上司に最初強姦されたのが十五年前の明日。そして、そこから悪夢が始まった。君を守ると約束した編集長の指示によって加害者から直接の引き継ぎを強いられ、それによって生じた様々な出来事。そして一年後、私は自分が狂っていると叫んで自ら病院に飛び込んだ。&lt;br /&gt;　あの頃のことを、私はきっといつまでもありありと思い出すのだろう。でも当時と今と何が違うかと言えば、私の中に、それらをも受け容れていこうとする土台ができたということなのかもしれない。あの、決して消えることはない厳然たる事実を、私は何年もの間消したい消したいなかったことにしたいと願い続けてきた。でもそんなことは不可能なのだ。不可能と分かっていても願うしかなかった時期があった。でも今は違う。&lt;br /&gt;　それらは事実であり、消しようのない現実だったのであり、ならば、私はそれらを受け容れ、引き受け、共に歩いていくのだ、と、今はそう思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　話は変わる。&lt;br /&gt;　娘との二人暮らしが始まってもう何年が経つのだろう。忘れてしまった。その間に娘は性的悪戯を受けるという出来事もあった。しかし。&lt;br /&gt;　娘は私に何処までも優しい。特にこの一年、彼女の心の成長はめざましかった。私が子供の頃は決して父母にできなかったあたたかな仕草を、彼女は私に対しいとも簡単にしてみせる。そして私をどきっとさせる。はっとさせる。&lt;br /&gt;　今日、病院の行き帰りに、何度も自傷衝動にかられた。けれど、そのたびに娘の顔が浮かんだ。昨夜私が仕事をしていると娘が寝床から膝掛けを引っ張り出してきて私にかけてくれた、そのときの顔がありありと浮かんだ。そんな娘の前でどうして自分をこれ以上傷つけることができようか。&lt;br /&gt;　いや、正確には、私は自傷行為をまだしている。過食嘔吐という自傷行為を。それがいいとは思わない。思っていない。いずれはそこからも卒業しなくてはと私は思っている。しかし。&lt;br /&gt;　少なくとも血まみれになって、床に血を滴らせて彼女を悲しませるような、そんな真似だけは、決してしたくない。もう、できない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そういえば、去年一年は、人間関係に悩んだ時期でもあった。人間関係に躓くことは多々ある。しかし、去年ほど、悩んだことはなかった。真夜中ひとり、唇を噛みしめながらこんなにも泣いたことはなかった。&lt;br /&gt;　そんな中で私は、待つことや焦って縋り付かないことの大切さを身をもって知った。そして。何よりも。&lt;br /&gt;　自分の身の周りに感謝するならば、同時に自分自身をきちんと大切にできなければいけないことを改めて痛感した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今2009年1月26日、もうじき午後一時を迎えようとしている。27日の夜中過ぎにはまだしばらくある。正確にはもうあれは28日になっていた。あの28日の朝日は、残酷なほどまぶしくて、私を射った。&lt;br /&gt;　今年はどんな朝日が、どんな夜気が私を迎えるのだろう。そしてそれらを越えて私は、新しい日々をどんなふうに迎えるのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今年もまた、1月27日が巡ってくる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-4645479048930728408?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/4645479048930728408/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=4645479048930728408' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4645479048930728408'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4645479048930728408'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2009/01/blog-post_27.html' title='■十五年'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-5866348987375537857</id><published>2009-01-19T11:57:00.002+09:00</published><updated>2009-01-19T11:58:03.222+09:00</updated><title type='text'>■だからこそ、いとおしい</title><content type='html'>　人と人との緒はとても繊細だ。時に儚く、時に強く。そして繊細だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　人と人との緒を、できるなら永遠にと願っていながら刹那的にしか捉えられなかった頃があった。年若い頃、とでもいうのだろうか。十代二十代というのは、その緒を追い求めるばかりで、育むことをまだ知らなかった。&lt;br /&gt;　それが、三十代になり、紆余曲折を経て、追い求めるばかりではなく、待ち、「育む」ことがどれほど大切かを少しずつ噛みしめるようになった。でも実際にそうできるようになったのは…三十代も終わる今日この頃である。&lt;br /&gt;　何も知らずにがむしゃらに追い求める時期があり、気づきの時期があり、そして受け容れる時期がある。もちろんひとっとびに知り受け容れる時期に飛べたら、痛い目になど遭わずにすむのかもしれないが、ひとつひとつを経ることでしか、本当の意味で知り受け容れることなどできない。血肉を分けて勝ち得たものは味がある。ぬくみがある。痛みと引き替えにようやく、そこに辿り着ける。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　人との距離感もまたとても微妙なものだ。ちょっと間違えると、お互いに傷つけ合うしかできなくなる。近すぎもせず遠すぎもせず、適度な距離というのが、関係のひとつひとつに在る。そのことを知るにも、これまた、それなりの時間がかかる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　切る、という言葉がある。切る、という行為がある。その行為を勢いでしてしまうことは可能だ。しかし。&lt;br /&gt;　果たしてそれでいいのだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　待つことは確かに辛い。痛い。苦しい。けれど、待つことでしか解決しないこともあるということを、どうして人はなかなか受け容れられないのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今、身近で、一つの関係、一つの緒が、悲鳴を上げている。私はちょうどその狭間で、緒の端と端にいる人たちを見守っている。&lt;br /&gt;　できるなら。&lt;br /&gt;　時間をかけてほしい。焦らず、育むことを覚えてほしい。きったはったで簡単に片付けられるほど、そんな容易な関係だったかどうかを、もう一度振り返ってほしい。振り返るのにもまだ、時間が必要だと思う。だから今は私は黙って見守るほかに術はない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　雨後の朝、霧があたりをおおった。視界はぼやけ、東からさしてくる光だけが目印だった。そんな時期も、ある。人と人との緒にも、そんな時期が、在る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　だからこそ、いとおしい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-5866348987375537857?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/5866348987375537857/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=5866348987375537857' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/5866348987375537857'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/5866348987375537857'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2009/01/blog-post_19.html' title='■だからこそ、いとおしい'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-4958374922025959159</id><published>2009-01-09T17:15:00.002+09:00</published><updated>2009-01-09T17:16:29.141+09:00</updated><title type='text'>■ありがとう</title><content type='html'>一時期、手首を切ってしか時間を超えられない時期があった。&lt;br /&gt;血の滴る腕をそのままに訪れる私を、それでも受け入れ、根気強く、手当てし続けてくれる医者がいた。&lt;br /&gt;傷痕は今ももちろん何重にも残っているけれど、私が切ることをやめられた一端に、その医者がいた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;腕を切らなくなって、自然、そこを訪れることもなくなった。&lt;br /&gt;内科や外科を扱う、小さな町の小さな開業医だった。&lt;br /&gt;顔を忘れたことはない。でも、徐々に徐々に先生の顔は、記憶のすみに追いやられていった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今年の正月、自分の不注意から低温やけどを負った。&lt;br /&gt;その傷口が炎症を起こしていた。でも医者嫌いな私はできればそのまま自然に治ることを願っていた。しかし。&lt;br /&gt;傷も傷、薬が必要なことを認識させられ、しぶしぶ医者を探す。そのとき、&lt;br /&gt;あの先生、あの病院を思い出した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;久しぶりにその病院を訪れる。&lt;br /&gt;小さな駅の前にある、小さな小さな病院だ。&lt;br /&gt;開業時間前に行ったにもかかわらず、以前と同様、受付は開かれ、待合室には何人もの患者が待っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;みな黙っている。でも。&lt;br /&gt;受付で待つことが苦手な私が、それでもこの病院でなら待っていられるのは、患者がみな安心した顔をしているからだ。&lt;br /&gt;先生ならちゃんと診てくれる。そのことを、みな、知っている。だから安心して時間が多少かかろうと待っていられる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;名前が呼ばれ、診察室に入る。前となんら変わっていない。数年が経つのに、まるでタイムトリップしたかのような感覚を覚える。&lt;br /&gt;そして先生は以前と同様、いや、以前よりもやさしく明るい表情で椅子をすすめて来る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;すぐに炎症止めと化膿止め、痛み止めなどが処方される。&lt;br /&gt;そして私は、自然、口にしていた。&lt;br /&gt;あの先生、最近、この右耳のあたりから顔面、後頭部と、痙攣が四六時中起きているんですが。&lt;br /&gt;先生がにっこり笑って言う。&lt;br /&gt;そうですか、それはね、緊張しているからなるんだよ、大丈夫、たいしたことじゃないからね、筋肉が緊張からこわばってしまうからそうなるだけなんだよ、気になるなら薬を処方しようか、あぁでも、この薬を飲み終わってからのほうがいいな、来週またおいで。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は一瞬、涙が出そうになった。&lt;br /&gt;というのも、今週はじめ、今年初の心療内科での診察時、同じことを言ったにもかかわらず、私は、先生からそのことを無視され診察室を三分もかからず追い出されていたからだ。&lt;br /&gt;すべては自分じゃなくカウンセラーに話しなさい。それが、心療内科の先生の言葉だった。&lt;br /&gt;以来、私はぴくぴくする耳元、顔面、後頭部を、もてあましていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;安心した。&lt;br /&gt;ほっとした。&lt;br /&gt;大丈夫なんだと思った。&lt;br /&gt;そうか、大丈夫なんだ、緊張しているだけなんだ、と思った。&lt;br /&gt;もちろん、医者の言葉で痙攣が治ったわけではない。でも、&lt;br /&gt;不安は一気になくなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今私は、心療内科に通うことが苦痛だ。話を何もきかず、薬だけ処方し、それでもとこちらが訴えると、すべてはカウンセラーに話しなさいと突き放 す。そういう医者に、閉口していた。もうどうにでもなれと半分あきらめていた。それでも薬がないとあきらかに不安定になる自分に、何とかどうにか日常を越 えるためだと言い聞かせ、通い続けている。&lt;br /&gt;でも。&lt;br /&gt;聞いてくれる先生も、まだいたんだな、と、&lt;br /&gt;それが分かった。&lt;br /&gt;それだけで、私はずいぶんと、救われた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それじゃ、また来週ね、と見送られる。私は自然、ありがとうございますと口にしている。&lt;br /&gt;本当に、ありがたかった。&lt;br /&gt;来週また来ようと思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;小さな町の小さな開業医。&lt;br /&gt;名前は知らない。でも、&lt;br /&gt;その先生の元を訪れる患者はみな、安心した顔をして帰ってゆく。&lt;br /&gt;もちろん、痛みや熱にうなされ、ふらふらしていたりもするけれど、それでも安心が見え隠れしている。誰もの表情の奥に。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人として、そんな人であれたら、とふと、帰り道にそう思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;来週月曜日は祝日。心療内科の診察はない。&lt;br /&gt;二週間分の薬を渡され、私は先週あの診察室を出た。&lt;br /&gt;来週先生と会い、また追い出されるようにして診察室を出なければならないかと思うとそれだけで私の心には負担だった。でも来週はそれがない。それは私にとってうれしいことだった。&lt;br /&gt;そして。&lt;br /&gt;来週またあの開業医のもとへいけば、診察してもらえる。&lt;br /&gt;そのことが、私を安心させている。&lt;br /&gt;今もまた痙攣がひどくなっているけれど、これもまた大丈夫、つきあっていく方法を考えればいいことだ、と、自分で自分に言ってやる余裕がある。&lt;br /&gt;その余裕は、間違いなく、あの開業医がくれたものだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ありがとう。&lt;br /&gt;久しぶりに医者に、そう言える。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-4958374922025959159?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/4958374922025959159/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=4958374922025959159' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4958374922025959159'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4958374922025959159'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2009/01/blog-post_09.html' title='■ありがとう'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' 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rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/7129898316385627343/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=7129898316385627343' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/7129898316385627343'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/7129898316385627343'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2009/01/blog-post.html' title='■気づけば年が明けていて'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' 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/&gt;　でもそれはそれでいいのではないだろうかと思う。昔はいろいろなことを覚えすぎていて、克明に覚えすぎていて、私は苦しかった。重たかった。いろいろなことが全部圧し掛かってくるようで、いつ倒れるか知れない毎日だった。あの頃はまだ若かったから、それでも何とかはねのけてやってこれたけれども、この年にもなったらそうもいかない。のしかかられたらそれだけで倒れてしまうことの方が、もしかしたら多くなるのかもしれない。もちろん、精神的にはタフになっている。でも、精神的にタフになっているからといって、すべてを受け止め抱えきれるわけでは、ない。タフになった分、自分の限界もまた、はっきりと見て取れるようになっているから。&lt;br /&gt;　年が明ければ当然のごとく一月がやってくる。私にとっては一年のうちで一番、暦から切って失くしたい一ヶ月。でも。&lt;br /&gt;　それがあるから、多分私は、自分の立ち位置をそのつど、確認できるのかもしれないと、ふと思うこともある。もちろんだからといって大丈夫になんてなれないけれども、それでも、発想の転換をしてみれば、これもまた私には必要な過程なのかもしれないとくらいは思うことができる。&lt;br /&gt;　この一週間私は娘とべったりだ。どんな一週間になるんだろう。学童も何もない一週間というのは、ほぼ初めてだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;追記：&lt;br /&gt;昨日、ある人と話していて、その人が今あいている心の穴のことに触れたとき。私は自然に口にしていた。穴は埋まらないよ、と。穴は穴のまま。埋まらないけれども、でも、穴を穴として受け入れて、次へ進むことはできるよ、と。&lt;br /&gt;あまりに自然に口にしていたから、自分でも直後驚いた。そういうものなのだろうか？　でも多分、そうなんだと思う。&lt;br /&gt;どこまで自分を受け入れていけるのだろう、私は。己をどこまで受容し得るのだろう。来年はそんなことを多分見つめながら過ごすのだろう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-1752706086940318244?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/1752706086940318244/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=1752706086940318244' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1752706086940318244'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1752706086940318244'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/12/blog-post_29.html' title='■つれづれに'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-375599610620683332</id><published>2008-12-15T17:36:00.000+09:00</published><updated>2008-12-15T17:37:06.710+09:00</updated><title type='text'>■あたしの中に</title><content type='html'>　動物は、自分の足を食いちぎってでも生き延びようとするそうだ。怪我を負ってどうしようもなくなった足は、ついているだけ邪魔になる。足がなければ不自由になることは分かっていても、そんなことより、生き延びることを本能が選択するのだろうか。&lt;br /&gt;　そういう話を知り、かつてじいちゃんが生きていた頃、じいちゃんに、動物ってそうなんだって、すごいね、と話したことがあった。そしたらじいちゃんは、まだ尻にアオタンが残っているような子供のあたしにむかって、まっすぐにこう言った。&lt;br /&gt;「動物だけじゃない。人間だってそうだ」&lt;br /&gt;と。&lt;br /&gt;　戦火の真っ只中、頭の上を砲弾が飛び交う。その砲弾を体の何処かに浴びれば肉は吹っ飛び血が噴出す。じいちゃんの戦友の何人もが体に弾を食らった。弾のおかげで片足が吹っ飛んだ奴もいれば、弾が肉の中に食い込んでそれが腐敗し始める奴もいた。吹っ飛ばずに肉の切れ端同士がくっ付いて、下手にくっ付いて残ってしまったが故に腐り始め、高熱に苦しむ奴もいた。そもそも、弾のおかげで木っ端微塵になる奴らがいた。戦場へ行った姿のままでいられる奴の方が少なかった。じいちゃんは淡々とそう言った。&lt;br /&gt;　戦争を経ていないあたしには、到底考えられない光景だった。&lt;br /&gt;「自分のナイフで足に食い込んだ弾を掻き出そうと足の肉を抉る奴もいた。まだ何とかくっ付いている弾を食らった足を、あまりの痛みで切ってくれとうめくように言う奴もいた。運良く掘建て小屋のような病院に辿り着いても、麻酔もなにもなく、命を守るために傷を負った手や足を切り落とさなければならなかった」&lt;br /&gt;　それでも人間は生きるために必死だった。&lt;br /&gt;　じいちゃんは、あたしに、そう言った。&lt;br /&gt;「そんなことの必要のない世の中におまえは生きることができるかもしれない。そんなことをせずとも生きてゆける世の中になるかもしれない。でも、自分の手足をひきちぎってでも生きることを選ばなければならないときには、迷わず生きることを選べ」&lt;br /&gt;　この世に産まれたからには生きろ。それが為すべき何よりも為すべきことだ。&lt;br /&gt;　じいちゃんがあたしに、教えてくれたことのひとつだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　あたしのばあちゃんは、32の歳を数えると同時に癌にとっつかまった。最初は胃が冒され、冒された部分を切り取るために入院し手術した。きれいにとったはずだったが、何処かに残った癌細胞はばあちゃんの健康な細胞を食ってしぶとく生き延び、数年も経たないうちに再びばあちゃんを病院送りにした。今度は胃を半分切った。&lt;br /&gt;　でも、癌は一度食いついた獲物は死んでも離すかといったふうに、ばあちゃんの胃を次々侵食していった。半分の次は残った半分をさらに半分にし、さらには胃を丸ごと奪っていった。&lt;br /&gt;　まるで毎年の恒例行事かのように、ばあちゃんは入院し手術し、そして退院し、と、繰り返した。ばあちゃんの口癖はだから、「あたしは人生ヒトより短いんだから、やりたいことをやるのよ」だった。その口癖を完遂するかの如く、実際周囲が呆れるほどに、彼女は退院すると動き回った。踊りの師匠でもあったばあちゃんは、退院すればさっさと踊りに行き、舞台に立ち、かと思えば友達と旅行に駆け回り、とにもかくにも毎日毎日何処かに出かけた。人生短いんだ、やりたいことはその時にさっさとやらなきゃ。毎日毎日彼女は、死を意識し追い掛けて来る死を背中に感じながら、それに呑み込まれてたまるかと生を突っ走った。生き急ぐという姿があるなら、まさに彼女がそうだった。&lt;br /&gt;　でも、そうやって走って走って走り続ける彼女を、癌はそれでも離さなかった。いくら手術を繰り返そうと一度巣食った癌細胞は、周囲の元気な細胞を次々食い物にし、最期、彼女の全身を見事に癌細胞にし尽くした。&lt;br /&gt;　これが間違いなく最期の入院になる、今度の入院は死ぬことを意味する、どうしようもなくそのことを認識しなければならなくなったとき、周囲が何か言う前にばあちゃん自身がそのことを知っていた。まだ告知ということが今のように為されていなかったその時代、周囲はばあちゃんをなんとか騙そうと必死になった。大丈夫だよ、いつだって元気になって戻ってこれたじゃない、今度だってそうだよ、がんばろうよ、と。でもばあちゃんは知っていた。いや、今度はもうあたしは戻れない、絶対に戻れない、と。それを意識した日からばあちゃんはあたしに言うようになった。「ばあちゃんはもう死ぬからね。死ぬ前にこんなことがしたかった、こんなこともしたかった、でももうできない、いくら頑張ってももう時間がない。だからね、後悔なんてしないようにしなくちゃだめだよ、やれることはやっておくんだよ、生きているうちにやりたいことはやっておくんだよ」。&lt;br /&gt;　そんな彼女が最期の入院の日までうちで過ごした数ヶ月の時間のうち、お風呂の中で泣いた日があった。もう体がぼろぼろになり、肛門の筋肉もすっかりゆるんで、お風呂に入れば汚物が自然と出てきてしまうような状態に陥ったとき、彼女は声を出して泣いた。こんなの見られたくないと言って泣いた。もういやだ、早く逝かせてくれ、と、声をあげておいおい泣いた。お風呂のドアのこっち側で、彼女がお風呂から上がってきたら体を支えるために待機していたあたしのことなど忘れたかのように声を上げて泣いた。あたしは、こうまでして生きなければならないばあちゃんの人生に、初めて涙が出た。悔しかった。悔しくて悔しくてたまらなかった。こんなに一生懸命に生きてるのにどうして、どうしてこんな。こんな思いするくらいなら、ばあちゃんをさっさとあの世に逝かせてやってくれ、と。そう思った。神様がいるなら、これを今見下ろしていながら何もしてくれない神様をあたしは呪った。&lt;br /&gt;　32の歳からこれでもかというほど体を切り刻まれ、それでも生きてきたばあちゃんは、最期、骸骨のような枯木になって死んだ。&lt;br /&gt;　あれはど生きることに一生懸命だった彼女の最期の願いは叶ったんだろうか。あたしには分からない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ばあちゃんもじいちゃんも全身癌に食われて死んだ。&lt;br /&gt;　そのばあちゃんとじいちゃんが残してくれたものは、間違いなくあたしの中に在る。&lt;br /&gt;　　生きてるか。&lt;br /&gt;　　やってるか。&lt;br /&gt;　どうしようもなくなったとき、思い出す。じいちゃんの声を。ばあちゃんの匂いを。&lt;br /&gt;　　生きてるか。&lt;br /&gt;　　やってるか。&lt;br /&gt;　あたしはどんなふうに答えるんだろう。&lt;br /&gt;　　生きてるか。&lt;br /&gt;　　やってるか。&lt;br /&gt;　答えはまだまだでない。まだまだ出ない。あたしが死ぬそのときに、あたしが見つける。だからその日まで答えなんか分からない。&lt;br /&gt;　でもね。&lt;br /&gt;　とりあえず今のところ、あたしはやってるよ、生きてるよ。&lt;br /&gt;あの世でしっかり見ててよね、じいちゃん、ばあちゃん。あんたたちの孫は、これでもかってほどこの世にしがみついて生きているから。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2000/07/30記&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-375599610620683332?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/375599610620683332/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=375599610620683332' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/375599610620683332'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/375599610620683332'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/12/blog-post_15.html' title='■あたしの中に'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-8949728932759277165</id><published>2008-12-11T00:11:00.001+09:00</published><updated>2008-12-11T00:11:59.857+09:00</updated><title type='text'>■消去したいと生きていたいと</title><content type='html'>　窓を開けると、波打つ灰色の雲。東からの陽光に照らし出され、そのおうとつはさらに鮮やかに映し出される。&lt;br /&gt;　先日、薔薇の樹を植え替えようと土を掘り起こしたところ、やはり、根をすっかり虫に食い尽くされていた。どうりで大きくならないわけだ。土を掘 り返すと、いたるところからカナブンの幼虫が転がり出てくる。一体いつの間にこんなにも、と思うほどだ。一匹一匹、指で摘んで袋に入れていく。本当ならこ こで、潰してしまえればいいのかもしれない。でもそれができない。&lt;br /&gt;　潰したら幼虫の体液がびゅしゅっと出てきて気持ちが悪い。確かにそれもある。でも、それだけじゃない、潰すのを拒まれている、そんな気がするのだ。&lt;br /&gt;　当然だろう、彼らにしてみれば、生き延びる為必死で根を食べ、ここに丸く隠れていたのだから、私の到来を拒みたくなるのは当たり前である。でも、何だろう、それだけじゃない、もっと大きな、拒みが、私を包み込む。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　自分を消去したいとしか思えない時期があった。死にたい、のとは微妙に違う。汚れきった自分を、穢れきった自分という存在を消去したい、この世から消し去りたい、そういう衝動だ。その衝動から、どう足掻いても逃れられない時期があった。&lt;br /&gt;　二十四時間、三百六十五日、その衝動と戦い続ける。それは、途方もない時間だった。終わりが見えないトンネルを、灯りもないその闇だけのトンネルをただひたすら、歩いていかなければならない、そんな時間だった。&lt;br /&gt;　知っている道ならばまだ短くも感じられるだろう、それが昼であろうと夜であろうと、自分の記憶伝いに歩いてもゆける。でも、そのひたすら続く消 去したいという衝動の毎日は、何処に終わりがあるのかも、何処に道標があるのかも分からない、だからひたすら長く長く長く感じられる日々だった。&lt;br /&gt;　もう諦めようかと何度思ったか知れない。ここで諦めてしまえば私は楽になれるのかもしれないと何度思ったか知れない。&lt;br /&gt;　でも諦められなかった。&lt;br /&gt;　何故諦めなかったのだろうと今改めて思う。まだ漠然としか分からないが、そこには同時に、正反対の欲求も存在していることを、私はこの身体の何処かで知っていたからではなかったかと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　正反対の欲求。&lt;br /&gt;　こんな自分でも受け容れたい、認めたい、消去しなくてもいいのだと思いたい、つまりは生きていたい。そういう欲求だ。もっと言えば。&lt;br /&gt;　自分を愛してみたい。そこに行き着くのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　人は確かに勝手に産み落とされる。この世に放り出され、生きていかなければならない状況に陥らされる。誰も望んで自分から産まれたのではないし生きるのでもない、と、そう言ってしまうこともできる。&lt;br /&gt;　しかし、本当にそうなんだろうか。この世に粒の粒のような欠片で生まれたその瞬間から、もしかしたら私たちは、生きたいと望んでいなかったと誰が言えるのだろう。&lt;br /&gt;　私たちの意志などもはや関係のないもっともっと広大な何かの存在が、私たちを司っていないと、誰が言えるだろう。&lt;br /&gt;　私は別に、神の存在を信じていない。むしろ、神様なんて糞食らえと思っているところがある。けれど、何だろう、この自然界の、世界の力、引力、のようなものは、あるのではないかと微かに思っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私は確かに穢れている。汚れに穢れて、もはや拭いようのないほど穢れている。だから消去したいと最初思った。そうしなければならないと私は思い込んだ。そうすべきだとも私は思った。&lt;br /&gt;　けれど、私は同時に、どうしても生きていたい、どこまで穢れようと何しようと生きていたい、こんな自分だけど存在していいのよと誰かに言ってもらいたい、いや、自分でそう自分に言ってやりたい、と。&lt;br /&gt;　私はそう願ってもいたのではないか。&lt;br /&gt;　だからこそ、苦しかったのだと思う。引き裂かれる思いがしたのだと思う。消去したいと願うことは、自分が引き裂かれることでもあった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今、また冬が来て、もうじきあの日がやって来る。私の中でむずむずと、自分を消去したいという衝動がまた頭をもたげ始めている。これまでに先に逝った友人達の姿が走馬灯のように私の脳裏をよぎる。彼らの中に私も入ることができたら。そう願ってしまう自分も、正直、いる。&lt;br /&gt;　でも。&lt;br /&gt;　私はもう知ってしまった。どんなに消去したいと願っても願っても、それは叶わない願いだということを。私は消去したい分だけ生きてもいたいのだ、ということを。汚らわしいと己を忌み嫌う分だけ私は己を愛したいのだということを。&lt;br /&gt;　だから、衝動と正面から向き合うしかない。向き合って向き合って、私は、それを受け容れるしかない。受け容れた向こうにきっと、私の本当の欲求が横たわっていると信じられる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今、袋の中の虫たちは、必死に身体を硬くして身を守っている。生きる術は何処にあるかをもしかしたら必死に探っているかもしれない。そんな彼ら の、生きるという真っ直ぐな思いが、私の存在を強烈に拒んでいる。彼らの生きるという声が大きく大きくなって、私に覆いかぶさってくる。&lt;br /&gt;　私は、この虫たちを自分の手で殺すことはできない。だから袋に詰めて、ゴミに出すのだろう。そこで彼らは殺される。殺されることが分かってても私はゴミに出すんだろう。私はここで、選別しなければならないから。薔薇の命か、虫の命か、と。&lt;br /&gt;　そうして私は、瀕死の薔薇を、新しい土を足したプランターに、丁寧に植え替えていく。虫たち彼らの分をも生きろよと、勝手な願いを押し付けながら。そして。&lt;br /&gt;　虫たち彼らの分を横取りしたのだから、私も必死に生きろよ、と。&lt;br /&gt;　見上げれば、空は鼠色。雨が降るのかもしれない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-8949728932759277165?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/8949728932759277165/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=8949728932759277165' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/8949728932759277165'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/8949728932759277165'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/12/blog-post_11.html' title='■消去したいと生きていたいと'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-2109132742306513122</id><published>2008-12-09T06:26:00.002+09:00</published><updated>2008-12-09T06:29:37.765+09:00</updated><title type='text'>■あの日見た光景--今改めて親友へ</title><content type='html'>　台風が通過した直後の海に、あなたは潜ったことがあるだろうか。&lt;br /&gt;　数年前の夏も終りの或る日、私は、台風を追いかけるように外に出た。数歩も歩かぬうちに全身ぐしょ濡れになる、雨と風に嬲りつけられるようだった。天気予報では、台風は新潟の方へ抜けるといっていた。私はそれを信じ、ただひたすら追いかけた。台風に襲われている海に潜ったなら、波にまかれ、私も海の藻屑となれるんじゃないか。私はその馬鹿げた、微かな希望にそのとき自分の全てをかけていた。死ぬことにどっぷりととりつかれていた、その頃の自分だった。死ぬしかない、そうしか救われる道はない、自分を消去するんだ、と。&lt;br /&gt;　けれど、すんでのところで、私は間に合わなかった。海は濁り荒れていたが、私がここに着く前に台風は過ぎ去ってしまったのだ。私は悔しくて悔しくて、血が零れるほど唇を噛んだ。そしてそのまま走って海に飛び込んだ。足の着かぬ深みへ深みへと泳いだ。誰にも見つからないところへ行くんだ、必死になって荒れ狂う海を泳ぎ潜り、もうこれで大丈夫だろうと思った時、思ってもみなかったことが起きた。私の眼球が、潜っているこの海の中をまっすぐに映し出したのだ。&lt;br /&gt;　それがどのくらいの時間だったのか私にはわからない。けれど、私が目にした光景は、そのときの私にはあまりに鮮烈だった。&lt;br /&gt;　海水はエメラルド色に燃え、あちこちで真珠のような泡が生まれては消え、微かな塵が全て、海水の中できらきら光り耀いていた。前も後ろも上も下もない、私の知らない世界がそこに在った。&lt;br /&gt;　あぁもうこれでいい、と思いながら、苦しくなってゆく胸元を握り締め、徐々に深みへと沈んでゆくその自分の鼻や口に、海水がどっと流れ込んで来た瞬間、私の体は、私の思いとは正反対な動きをしてのけた。体全身が叫んでいた。だめだ、だめだ、だめだ、このままじゃだめだ！&lt;br /&gt;　何がだめなのかさっぱり分からないまま、暴れ出した自分の体は水面に向かって懸命に手を伸ばしていた。そして、すさまじい苦しさがぱーんと破裂した瞬間、私の頭は海面から飛び出していた。&lt;br /&gt;　浮かび上がった私の目に今度映ったのは、空だった。台風が残していった重たげな黒灰色の雲が、飛ぶように流れ、でもその後ろには、真っ青な、これでもかというほどの青を湛えた空が広がっていた。&lt;br /&gt;　わけもなく涙が出た。顔に叩き付けてくる荒れた波の中、頼りなげに浮きながら、私は声を上げた。泣きながら、でも、多分私は、笑ってもいた。&lt;br /&gt;　ああ、もうここから行くしかないんだな、と。ただそれだけが明確な輪郭でもって、私の中に生まれ出ていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　死ぬしかないとしか思うことのできなかった時期があった。死ぬとかそういうことを棚上げして、ただ、自分を消去したいと願い狂った時期があった。長い長いトンネルの、しかも、灯り一つない前も後ろも何も分からない闇の道だった。&lt;br /&gt;　でも、何だろう、私は、何度も自分を消去しようと試みたけれど、結局生き延びてしまった。その生き延びた私が知ったことは。&lt;br /&gt;　とても単純なことだけれど、私の生命は、私一人のものではないのだな、ということ。私の生命は、いろんなものと繋がっている。父や母と血で繋がり、見えない緒で自然や世界そのものと繋がっている。また、私の心と体も、密接に繋がっているのだということ。そして。&lt;br /&gt;　私がこの目の開き方、凝らし方を学び取ることができたなら。世界はもっと近しい存在になるのだ、ということ。&lt;br /&gt;　あの夏の日の体験を経てからも、私は病院に担ぎ込まれたり、友人をさんざん泣かすようなことをしでかしたりと、何度か繰り返した。けれど、今だから言えるが、私はもう逃げられないのだということを、そんな中から少しずつ少しずつ噛み締めていっていた。生きることから私はもう逃げることはできないな、と。&lt;br /&gt;　あのとき見た海の色、泡の消えては生まれる様、耀く光の飛沫、そしてあの空。多分、二度と会うことはない世界の一断面を、私は、年を重ねる毎に鮮やかに思い出す。&lt;br /&gt;　そして知るのだ。私は、死が自ずと訪れるその日まで、生き抜くのだな、ということを。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　あれから数年を経た今も変わらず、病院に通ったり何したりとしているけれど、でも、私は今が面白くてしょうがない。厭なことなんてもちろん毎日山ほどあるけれど、それを差し引いても、生きていることは面白い。生きるしかないと腹を括って世界と向き合ってみたら、こんなに世界が開けるものだなんて、あの頃の私は思ってもみなかった。&lt;br /&gt;　私が性犯罪被害者だろうとPTSD持ちだろうとACだろうと何だろうと、そんなことは関係ない、世界は平等に私たちの前に在って、私次第でいかようにも広がり深まってくれる。翻って言えば、あの頃私を苦しめ生命へのエネルギーを細らせた様々な事柄があるからこそ、私は今、この世界をいっそういとおしいと思う。もっと呼吸していたいと思う。明日世界が終わるとしても、その瞬間まで私は、とくとくと自分を生き続けていたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これを書いている場所から見える海は、あの日とは全く異なった、深い紺色の、穏やかな海だ。白点を散らしたように時折鴎が舞い飛び、その鴎たちをもそっと抱きしめるかのように、吸い込まれそうな深い深い穏やかな色が広がる。私までその海の中に吸い込まれていきそうなほど。でも、私はもうあんな心持のまま飛び込むことはない。今度飛び込むとしたら。海ともっと話ができるような、そんな自分でありたい。&lt;br /&gt;　「真の希望は、絶望の先にこそ見出されるものだ」。かつて聞いたその言葉を、今はただ、じっくりと噛み締め味わう毎日である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2002/01/30記&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-2109132742306513122?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/2109132742306513122/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=2109132742306513122' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2109132742306513122'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2109132742306513122'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/12/blog-post_09.html' title='■あの日見た光景--今改めて親友へ'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-1675780891714367189</id><published>2008-12-06T17:49:00.001+09:00</published><updated>2008-12-06T17:49:56.657+09:00</updated><title type='text'>■フリージア（四）</title><content type='html'>　それからのことははっきり覚えていない。もしかしたらもう少し母と会話をしたのかもしれないし、しなかったのかもしれない。フリージアが何処に飾られたのかも私は正直覚えていない。でも。&lt;br /&gt;　母が私の贈り物を拒絶することなく受け取り、ありがとうと言い、笑顔まで見せてくれたそのことを、私は決して忘れることはない。&lt;br /&gt;　考えてみれば、私は母を求めて求めて求めてやまない子だった。母とすれ違えばすれ違うほど、母を求めた。母に拒絶されればされるほど本当は母を求めた。ただ、私たちは不器用すぎて、お互いの気持ちを素直に受け容れることができなくて、相手を思えば思うほど愛情というボタンを掛け違えてしまった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今、母も七十近くになり、大きな病を患っている。気弱になっているのか、昔のように拒絶したり無視したりすることは、あまりなくなった。それでも私たちは時折、すれ違ってしまう。でも私は諦められない。&lt;br /&gt;　それは。あの日見た母の笑顔のせいだ。あれは単純に花に向けられた笑顔だったのかもしれない。けれども、その花を運んだのは、私だった。私の花を、母は受け取ってくれたのだ。たった一回きりであっても、笑顔で。&lt;br /&gt;　だから私は諦めない。どんなに拒絶されても無視されても、私は母を諦めないでいられる。あの笑顔をもう一度、もう一度でいいから私は見たい。そう願い続けている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-1675780891714367189?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/1675780891714367189/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=1675780891714367189' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1675780891714367189'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1675780891714367189'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/12/blog-post_06.html' title='■フリージア（四）'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-7392517537931917401</id><published>2008-12-04T18:03:00.001+09:00</published><updated>2008-12-04T18:03:17.124+09:00</updated><title type='text'>■フリージア（三）</title><content type='html'>「ただいま」&lt;br /&gt;　誰もいない玄関。母は食堂にいるらしい。&lt;br /&gt;「ただいま」&lt;br /&gt;　言いながら私は奥へ進む。&lt;br /&gt;「あの、お母さん」&lt;br /&gt;「なに」&lt;br /&gt;「これ」&lt;br /&gt;「なに」&lt;br /&gt;「これ、あの、誕生日、おめでとう」&lt;br /&gt;　それまで背中を向けて座っていた母が振り返り私の手元を見る。私はもう、針の上を歩いているような心地だった。そのとき。&lt;br /&gt;「あらまぁ、フリージアじゃないの」&lt;br /&gt;　母が言った。&lt;br /&gt;「ありがとう。私、この花好きなのよ」&lt;br /&gt;　あぁ。私はもう、全身から力が抜けるのを感じた。母は私の手から小さな細い花束を受け取り、さっさと花瓶に生け始めた。&lt;br /&gt;「この香りがたまらないのよ。いい香り」&lt;br /&gt;　私はもう、今何が起こっても構わない気さえした。母が喜んでいるというそのことが、私には信じられなかった。でも、嬉しかった。&lt;br /&gt;「ごめんね」&lt;br /&gt;「なにが？」&lt;br /&gt;「三本しか買えなかったから」&lt;br /&gt;「あら、フリージアは数が少なくたって香りが強いから大丈夫なのよ」&lt;br /&gt;「そうなんだ…」&lt;br /&gt;「ありがとう」&lt;br /&gt;　母からありがとうと言われたのは、多分、初めてだった。いや、小さい頃そういうことを言われたことがあったのかもしれないが、物心ついてからは初めてだった。そして、ありがとうと言ってくれた母の横顔は、間違いなく笑顔だった。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-7392517537931917401?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/7392517537931917401/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=7392517537931917401' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/7392517537931917401'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/7392517537931917401'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/12/blog-post_04.html' title='■フリージア（三）'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-7452638761376870222</id><published>2008-12-03T17:54:00.001+09:00</published><updated>2008-12-03T17:54:19.030+09:00</updated><title type='text'>■フリージア（二）</title><content type='html'>「フリージア、ください」&lt;br /&gt;「はい、何本？」&lt;br /&gt;「さ、三本…」&lt;br /&gt;「三本ね。家に飾るの？」&lt;br /&gt;「いえ、あの、母の誕生日プレゼントに…」&lt;br /&gt;「あらまぁ！そうだったの。じゃぁリボンつけないとねぇ」&lt;br /&gt;「…」&lt;br /&gt;「何色のリボンがいいかしら？」&lt;br /&gt;「リボンに幾らかかるんですか？」&lt;br /&gt;「え？」&lt;br /&gt;「あの、お金に余裕がないんです」&lt;br /&gt;「あらまぁ、そうねぇ、サービスってことでどう？」&lt;br /&gt;「ありがとうございますっ！」&lt;br /&gt;「できるだけ大きくきれいに見せなくちゃね。黄色いリボンでどう？」&lt;br /&gt;「はい、お願いします」&lt;br /&gt;　私は、たったそれだけのやりとりで、すでに涙が出そうになっていた。花屋のおばちゃん、ありがとう。口には出せなかったけれど、私は何度も心の中でそう言っていた。&lt;br /&gt;　あと残りの不安は。一番の不安は。母が受け取ってくれるかどうか、だ。私は帰りの電車の中、ただひたすら、その不安を胸に抱き、じっと黙って一点を見つめていた。母の無視は強烈で、それをされると私は一番傷つく。そのことを母も知っている。知っていてそれでも母は無視をする。さもなければあからさまな拒絶をする。この花を買っていったとして、果たして母は無事に受け取ってくれるだろうか。喜ばないまでも受け取って花瓶に生けてくれるだろうか。私はもう、ただひたすら祈るような思いで家に辿り着いた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-7452638761376870222?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/7452638761376870222/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=7452638761376870222' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/7452638761376870222'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/7452638761376870222'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/12/blog-post_03.html' title='■フリージア（二）'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-3503419503681458288</id><published>2008-12-02T18:39:00.001+09:00</published><updated>2008-12-02T18:39:59.462+09:00</updated><title type='text'>■フリージア（一）</title><content type='html'>　まだ母とひどくうまくいってなかった頃、それでも母が笑顔を見せてくれたことがあった。今も鮮明に覚えている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　我が家では、お小遣いは労働制だった。かつおぶしを箱いっぱい削ったら10円、靴磨き一足10円、お風呂掃除20円、と、こんな具合だ。だからといっては何だが、中学の私は、微々たるお金しか持っていなかった。仲間達と学校帰りファーストフード店に立ち寄ることなど、10回に一回、一緒にできればいい方だった。&lt;br /&gt;　そんな私だが、母の誕生日プレゼントはそれまで決して欠かしたことがなかった。小学生の頃は肩叩き券なぞを手作りでプレゼントしていた。&lt;br /&gt;　しかし、中学生にもなって、手作りの肩叩き券というのも何か味気ない気がして私は悩んだ。お財布を覗いては、一体幾らあったら母の満足のいくものを買うことができるのだろうと悩んだ。&lt;br /&gt;　友達に聞くと、みな、結構なものをプレゼントしている。でも私には、バッグやスカーフなど到底買うことは叶わない。そうしているうちに母の誕生日当日になってしまった。私はもう半ば泣きたい気持ちで、町を歩いた。と、そこに花屋を見つける。吸い寄せられるように店の前に立った私の目に、黄色い色が飛び込んできた。フリージアだった。&lt;br /&gt;　そうだ、以前何かの折に母が言っていなかったっけ、「フリージアのあの何ともいえない香りがたまらなく好きなのよ」と。&lt;br /&gt;　私は、もうこれしかないと思った。フリージア一本150円。三本までなら買える。でもたった三本で誕生日プレゼントになるんだろうか。私はとても不安だった。いつもの母の勢いで「こんなものがプレゼントなの？」と、ぽいと捨てられてしまうのではないか。さもなければ、全くの無視か。でも。&lt;br /&gt;　私にはもう選択肢は何も残っていなかった。ハンカチ一枚買うよりも、フリージアの方がまだいい気がした。そして私は恐る恐る花屋の奥に声をかけた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-3503419503681458288?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/3503419503681458288/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=3503419503681458288' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/3503419503681458288'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/3503419503681458288'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/12/blog-post_02.html' title='■フリージア（一）'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-7724109780925603358</id><published>2008-12-01T18:32:00.002+09:00</published><updated>2008-12-01T18:32:45.770+09:00</updated><title type='text'>■鉄棒、逆立ちする世界</title><content type='html'>　病院の帰り道、疲れて立ち寄った公園。ベンチに座り、ぼんやり辺りを眺める。季節柄なのか、遊ぶ子供達がとても少ない。ブランコもシーソーも、乗り手がいなくてしんとしている。&lt;br /&gt;　ふと、鉄棒が目に付いて、私は立ち上がる。近寄って、鉄棒を握ってみる。冷え切った鉄棒の温度が私の手にそのまま伝わってくる。それが切なくて、私は力を込めて両手で握り直す。&lt;br /&gt;　鉄棒で遊ぶ子供達はいない。まだ午前中、大きな子たちはみんな小学校だろう。私は思い切って飛び上がってみた。&lt;br /&gt;　冷たい鉄棒。そこに掴まる私。そして私はぐるりんと逆さになってみる。それまで私の頭の上にあった空が足元に、私の足元にあった地面が頭の上に。世界はくるりんと逆立ちする。勢いをつけて元の位置に戻れば、世界もまた元の位置に戻る。私は何回かそれを繰り返してみる。世界は私の目の中で、くるりんくるりんと、逆立ちを繰り返す。&lt;br /&gt;　そういえば昔は、それが楽しくて鉄棒でよく遊んだんだった。一瞬にして逆立ちする世界。一瞬にして元に戻る世界。ただの鉄棒一本を中心に、世界がぐるぐると廻るのだ。当たり前だけれどとても不思議だった。当たり前のことほど不思議だった、あの頃。今ももしかしたら、そうなのかもしれない。当たり前だと知っているものの数が増えただけで、でも、その当たり前はちょっと視点を変えればとても不思議な代物だったりする。見慣れた風景に本当に慣れすぎてしまって、視点を変えることさえ忘れてるのが、たいていなんだろう。大人になるとちょっと、損をするのかもしれないな。&lt;br /&gt;　私は鉄棒から降りて、再び家路を辿る。家に帰ったら、眠れないまでも少しだけでも横になろう。そしてエネルギーを少しでも溜め込んで、帰宅する娘を元気よく迎えてやろう。それが、私にできること。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-7724109780925603358?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/7724109780925603358/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=7724109780925603358' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' 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type='html'>　昨日の夜、ホワイトクリスマスとアンバー・メイアンディナの苗が届く。接木して育てられたそれらの苗を、私は今朝、そっとそっと植え替える。春になったらどんな姿を見せてくれるだろう。いや、そもそも春までちゃんと無事に育てられるだろうか。少々不安。見上げれば空は澄んだ水色。白い陽光が空からしゃんしゃんと降り注いでくる。&lt;br /&gt;　今日はどうしよう。本当は予定が入っていた。でもどうしても出掛けて人と会える気持ちになれない。そうしているうちに時間はどんどん過ぎてゆく。どうしようどうしよう。私はそれまで締め切っていたカーテンを思い切り開け、そして電話を掛けてみる。&lt;br /&gt;　結局、約束は延期にしてもらい、今日は実家へ。近いうち母はインターフェロンの治療を受けるために入院する。その治療を受けると鬱に陥るらしい。そのことを母はとても気に病んでいた。そのことが私はひどく気がかりだった。&lt;br /&gt;　実家のある町はとても静かだ。大通りから一本でも中に入ると車の音もすっと消える。人の足音や笑い声も消える。何もかもの音が消え去る。唯一聞こえるのは、各々の庭を走る風の音色。そんな具合だ。&lt;br /&gt;　今日もそれは変わらなかった。しんしんと空気が落ちてゆく。それをひょいと拾い上げるかのように風が右から左へ走る。落ちてゆこうとしていた空気と走る風とがぶつかって、口笛のような音がついっと私の耳に届く。ああ、あの頃と同じだ。何も変わっていない。私はこの音をひとり、しゃがみこんで耳を澄まして聴いていたことがあったっけ。&lt;br /&gt;　高台にある公園の樹木はみな紅葉しており、その中で二人の少女が遊んでいた。昔は私もああやって冬でも薄着で遊んでいたのだった。少女の影に自分を重ね合わせながら、私はしばし過ぎ去った時間の海を漂う。&lt;br /&gt;　長い長い坂を降り、ようやく実家へ。昨日から実家へ遊びに来ていた娘が出迎えてくれる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　母の不安がひしひしと伝わってくる。私も入院前は神経が張り詰めていた。できるなら入院なんてしたくない、逃げたい気持ちがあった。しかも今回の母の場合、自分の寿命に関係してくる入院だ。その張り詰め方は尋常じゃない。&lt;br /&gt;　鬱症状に苦しむ間に読める本が欲しい。数日前母が私にそう言ってきた。だから私は三冊の本を本棚の奥から引っ張り出して、今日こうして持ってきたのだ。&lt;br /&gt;「かんがえるカエルくん」「まだかんがえるカエルくん」「もっとかんがえるカエルくん」。いわむらかずお氏のカエルくんシリーズだ。趣味が全く異なる母と私とではもちろん読む本の類も異なる。だから、今回このカエルくんシリーズを持っていったとて、いらないと突き返されること覚悟で持参した。&lt;br /&gt;　とりあえず一章だけ読んでもらえる？と頼む私に、母は本を開く。「これなら目が疲れてても読めるかも」。母がぽつんと言った。あぁよかった、本当によかった。私はほっとして言った。「じゃぁ入院中、とりあえずこの本持っていってみたらどうかな。読めるなら何かしら気がまぎれるかもしれないし」「そうね」。&lt;br /&gt;　暗くならないうちに実家を後にし、娘と二人で帰宅。そこへ母からメールが届く。「本をありがとう。楽しみです」。短いメールだけれど。&lt;br /&gt;　短いメールだけれど、私を喜ばせるにはもう十分すぎる長さだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　長い長い冬を越えて球根が花開かせるように、樹が緑芽吹かせるように、すれ違うばかりだった母とももしかしたら少し道が交叉するくらいには近づけたんだろうか。そうであることを、願いたい。&lt;br /&gt;　機能不全家族なんて名称が、それでもいつか壊れてなくなっていくものなんだと、そんなことを信じさせてほしい。私は信じたい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-8837256763021416171?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/8837256763021416171/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=8837256763021416171' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/8837256763021416171'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/8837256763021416171'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_30.html' title='■冬風の歌が聴こえる'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-4563074825265247933</id><published>2008-11-29T19:01:00.000+09:00</published><updated>2008-11-29T19:02:24.211+09:00</updated><title type='text'>■素直に言えた「ありがとう」</title><content type='html'>　遅延のため混雑しつくしている電車に、何とか乗り込む。途中何度も逃げ出したくなるが、先の駅で親友が待っているという一事だけによりすがり、必死に目を閉じて我慢する。以前だったら間違いなく、私は電車から逃げ出していただろう。&lt;br /&gt;　二人して写真展を見に行く約束。会場の喫茶店は馴染みの店。安心して座っていられる場所。そういえば、駅前の通りの銀杏がいい具合に色づいていた。きっともう来週くらいにはすっかり散り落ちてしまうだろう。その間を歩く人々はコートの襟を立てて。樹はみんな裸ん坊で。そうしてみんな冬支度。&lt;br /&gt;　彼女はホットサンドとホットミルク、私はカレーとミルクティを頼む。その間に彼女は一点一点作品を見てくれる。こういうとき、本当にありがたいなぁと思う。見てくれる人がいるからこそ作品は作品として成り立つ。&lt;br /&gt;　でも、行きの電車で疲れきってしまった私は、言葉が続かない。それに気づいたのか、彼女が、時間もあるし私の家の近くまで行こうか、と言ってくれる。それなら、と、別のルートを使って二人で横浜まで出ることにする。&lt;br /&gt;　彼女は学生時代の通学路として、私は就職したての頃の一人暮らしをその沿線で過ごした。この駅はずいぶんきれいになっちゃったねぇ、あ、この駅はまだ古いままだね、などと会話しながら、気づけば二人ともうとうと。&lt;br /&gt;　うとうとしながら、私はクリシュナムルティの言葉を思い出していた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「自身にとっての光であることは、他のすべての人々の光であることだ。自身が光であれば、精神は課題や応答から自由になる。そのとき精神は全体的に目覚め、張りつめているからだ。この緊張にはなんの中心もなく、緊張している者もなく、したがってなんの境界もない。中心、つまり&lt;私&gt;がある限り、課題と応答がある。成熟したものであれ、未熟なものであれ、快楽的、あるいは悲しみに満ちたものであれ、必ず問いと応答がある。その中心はけっして自身にとっての光ではありえない。そんな光は思考がつくる人工的な光であり、多くの影がある。共感・慈悲は思考の影ではなく、光である。あなたのものでも他人のものでもない。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「これらすべてに気づくことが、自己の活動の有様に目覚めることだ。この覚醒状態のなかには、中心も自己もない。自己同一化のために自己表現しようとする衝動は、混乱の結果であって、存在の無意味さを示している。意味を求めることは、分裂・断片化のはじまりだ。思考は人生に千の意味を与えることができる。事実与えている。めいめいが自分の意味を発明するが、それらは単に意見や確信にすぎないもので、どこまでいってもきりがない。生きることこそ、意味の全体なのだ。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　（クリシュナムルティの日記より）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　彼女と別れるとき、素直にありがとうと言うことができた。そうさせてくれた彼女に私は深く感謝する。&lt;br /&gt;　今夜はひとりで過ごす夜だ。娘は実家でじじばばと過ごしている。さて、何をして過ごそう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-4563074825265247933?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/4563074825265247933/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=4563074825265247933' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4563074825265247933'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4563074825265247933'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_29.html' title='■素直に言えた「ありがとう」'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-7037351860390873806</id><published>2008-11-28T18:05:00.001+09:00</published><updated>2008-11-28T18:05:20.077+09:00</updated><title type='text'>■ルバーブのジャム作り（三）</title><content type='html'>　あれから数年、夏になるごとに彼女と文通した。私が高校を卒業して野尻湖に行くことがなくなっても、夏になるとルバーブの話を手紙でやりとりした。&lt;br /&gt;　或る年、彼女からの手紙が先に届いた。「今年、故郷に帰ります。母の具合が悪いそうです。もう年老いた母を一人にしておくことはできません。あなたに会えなくなるのは寂しい。でも、ここのルバーブはあなたのものです。いつでも取りに来て、またジャムを作ってください」。&lt;br /&gt;　以来私は、彼女とは会っていない。&lt;br /&gt;　でも。&lt;br /&gt;　私の手元には、彼女が残してくれたルバーブのジャムのレシピがある。ルバーブの茂みがある。日々開発が進んで、いつこの茂みもなくなってしまうか分からないけれども、今はまだ残っている。&lt;br /&gt;　近いうち、娘を連れて私はあの場所へ行くだろう。娘に摘み方を教え、ジャムの作り方も教えるだろう。異国の友達に思いを馳せながら。&lt;br /&gt;　コツは、短気を起こさないこと。ひたすらゆっくりじっくり煮つめること。筋だらけのルバーブだからこそ、ゆっくりじっくりが肝心なのだ。そしてルバーブの酸味を生かすなら、砂糖はひとつかみで十分。&lt;br /&gt;　彼女が言っていたことを思い出す。「いいですか？　これは我が家のレシピです。だから、あなたはどんどんアレンジして、自分の味を作ってください。それがあなたのレシピになります。ね？」。&lt;br /&gt;　私が私のレシピを作ることができたら、それを娘に伝えることができるだろう。そして娘は娘で、新しいレシピを作るのかもしれない。そうやって、人から人へ、伝えられてゆく。甘酸っぱいルバーブのジャム。連綿と続く人の手の技と想い。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-7037351860390873806?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/7037351860390873806/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=7037351860390873806' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/7037351860390873806'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/7037351860390873806'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_6475.html' title='■ルバーブのジャム作り（三）'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-1366226809029438523</id><published>2008-11-28T09:29:00.002+09:00</published><updated>2008-11-28T09:38:25.231+09:00</updated><title type='text'>■あの雲の向こうには</title><content type='html'>　今朝は遅く起きようと思ったのに、いつもの通りに目が覚める。布団の中でしばらくごろごろしていたけれども、観念して起き上がる。とたんに冷気が私の体をくるむ。ぶるり。外はまだ雨が降っている。&lt;br /&gt;　徐々に明けてゆく空。小雨になってゆく雨。&lt;br /&gt;　昨日は変に重たい思いに囚われてしまっていた。そのせいで一日何となく苛々していた。こんなんじゃいけない、こんなんじゃいけない、と思えば思うほどに、その思いに雁字搦めになっていくようで、それが無性に腹立たしかった。&lt;br /&gt;　喜怒哀楽のうちの怒の類の感情は、人のエネルギーをどんどん奪ってゆく。奪って奪って、その人のエネルギーが皆無になるまでも奪って、それでもって膨れ上がる。でも。&lt;br /&gt;　今、余分に使えるエネルギーは、私にはない。私は私の生活をたてるので精一杯だ。だから、棚上げ。腹立たしいのも情けないのも全部、棚上げ。見えないところに。&lt;br /&gt;　娘から、サンタ宛の手紙を受け取る。こっそり中身をみたのだが、数行の、これこれのプレゼントが欲しい、という文章の後に、「心のメモを五枚入れておきます」というのは一体何だろう。実際五枚の便箋が入っていた。しかしその便箋には一文字たりとも書かれていない。心のメモ…彼女はどんな心のメモをここに記したのだろう。すごく知りたい。でも聞けない。&lt;br /&gt;　気づけば雨は上がり。雲はまだまだ空を覆い尽くしているけれども、それでもあの空の向こうは明るい陽光が溢れかえっているはずだ。それを信じて、私は今日も一日を過ごす。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-1366226809029438523?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/1366226809029438523/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=1366226809029438523' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1366226809029438523'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1366226809029438523'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_28.html' title='■あの雲の向こうには'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-4979365752941949001</id><published>2008-11-27T17:52:00.000+09:00</published><updated>2008-11-27T17:53:04.691+09:00</updated><title type='text'>■ルバーブのジャム作り（二）</title><content type='html'>　じきに、大鍋がぐつぐつぐつぐつ音を立て始めた。彼女は、大きな木べらでそれを丁寧にかき回してゆく。ゆっくりゆっくりかきまわす。&lt;br /&gt;「ここでずるをしてはいけません。じっくりゆっくりルバーブがやわらかくなるのにつきあうのです」&lt;br /&gt;　彼女はそう言って、ひたすらゆっくり、ゆっくり、鍋をかき回している。私はその様を眺めがなら、クッキーをまた一口齧る。&lt;br /&gt;　どのくらい時間が経っただろうか。彼女が、さぁそろそろですよ、と言った。鍋を覗くと、繊維質に溢れたルバーブが、とろりんとやわらかくなっている。摘んだときの色味から少し沈んだ色になって、彼女の木べらのリズムに合わせて鍋の中を回っている。&lt;br /&gt;「瓶をとってくださいな」&lt;br /&gt;　そう言われて棚を見ると、ジャム入れにはちょうどいいだろう大きさの瓶がずらりと並んでいた。私はそれをひとつずつ彼女の手元に並べていく。&lt;br /&gt;「さぁ、これでできあがりましたよ」&lt;br /&gt;　彼女は実に丁寧に瓶の中にジャムをつめてゆく。きゅっと音が出るほどきつく蓋を閉め、さらに彼女は何か細工した。そのことを私は思い出せない。&lt;br /&gt;「さっきぶつかってしまったお詫びです。おひとつどうぞ」&lt;br /&gt;　彼女ができたてのルバーブのジャムを私に渡してくれた。&lt;br /&gt;「あの。お願いがあるんですが」&lt;br /&gt;「なんでしょう？」&lt;br /&gt;「私、明後日の午後に帰らなければならないんですけど、明日、ルバーブを摘んでみたいんです。場所とか教えてもらえませんか？」&lt;br /&gt;「おお、いいですねぇ、それでジャム作りしますか？」&lt;br /&gt;「はい、家に帰ってぜひ。だからその、ルバーブが生えているところとか教えていただけると嬉しいんですが…」&lt;br /&gt;「もちろん。じゃぁ明日、約束しましょう」&lt;br /&gt;　翌日、私たちは待ち合わせ場所に二人とも早く着いた。そして、彼女の案内で茂みに入り込み、これがルバーブだというものをぽきぽき適当な長さに折っていった。あっという間に片腕に余るほどのルバーブを摘むことができた。きっとここは、彼女の秘密の場所だったんだろう。何故なら、昨日、この辺りのルバーブはだいぶ少なくなってきたと寂しげに話していたから。こんなに豊富にある場所は、間違いなく彼女の秘密の場所だったに違いない。&lt;br /&gt;　そのままお礼を言って別れるつもりだった私を彼女は引きとめ、お茶に誘ってくれた。彼女の家に行くと、今度はミントティとルバーブのクッキーが用意されていた。&lt;br /&gt;　私が一口ずつ大事にクッキーを齧っていると、彼女は昨日書いておいたんだというレシピのメモを私に渡してくれた。それからしばらく、私は彼女の故郷の話を聞きながら過ごした。気づいたら夕日が西の地平線に落ちてしまっていた。&lt;br /&gt;「ありがとう。家に帰ったら早速作ってみます」&lt;br /&gt;「あなたはまたここに来るのかしら？」&lt;br /&gt;「はい、来年もこの時期にくると思います」&lt;br /&gt;「来年…。もしそのとき私がここにいたら、ぜひまた一緒にルバーブを摘みましょう」&lt;br /&gt;「はい！」&lt;br /&gt;　彼女はにっこり笑って右手を差し出した。私も右手を差し出し、ぎゅっと握り合った。思ってもみなかった出会いを、ルバーブは呼んでくれたのだった。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-4979365752941949001?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/4979365752941949001/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=4979365752941949001' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4979365752941949001'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4979365752941949001'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_27.html' title='■ルバーブのジャム作り（二）'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-167504348687670087</id><published>2008-11-26T17:40:00.000+09:00</published><updated>2008-11-26T17:41:05.739+09:00</updated><title type='text'>■ルバーブのジャム作り（一）</title><content type='html'>　高校の頃、毎夏お遊びセミナーで野尻湖へ行った。お遊びセミナーだから、何をやってもたいていのことは許される。私は一人、野尻湖の周囲を散歩したり、野尻湖で泳いだりして時間を過ごすのが好きだった。&lt;br /&gt;　二度目の夏のことだったと思う。私が野尻湖の周囲をてくてく歩いていたら、前方の茂みが揺れている。何だろう、どきどきしながら近づくとほぼ同時に、人が飛び出してきた。私たちは勢いよくぶつかった。&lt;br /&gt;「おお、ごめんなさいね」&lt;br /&gt;　彼女は外国人で、この近所の別荘に住んでいるのだという。彼女の腕には沢山のフキのようなものが束ねられていて、私はその行方が気になった。彼女の誘いに乗って、一緒に彼女の家にお邪魔することにした。&lt;br /&gt;「それは何ですか？」&lt;br /&gt;「あら、知らないですか？」&lt;br /&gt;「はい」&lt;br /&gt;「ルバーブといいます」&lt;br /&gt;「ルバーブ…」&lt;br /&gt;「これからルバーブのジャムを作ります。よかったら見ていきませんか？」&lt;br /&gt;　ルバーブという茎の筋を彼女は丁寧にとってゆく。取り終えると五センチ程度の長さにざくざく切り、大鍋に入れてゆく。そして次に砂糖。ひとつかみの砂糖を鍋に入れると、彼女はとろ火で鍋を温め始めた。&lt;br /&gt;「これでしばらく置いておきます。その間にお茶にしましょう」&lt;br /&gt;　彼女が用意してくれたのはカモミールティとルバーブジャム入りのクッキー。当時の私にとっては初めてのものばかり。恐る恐る手を伸ばす。お茶を口に含むと、ほんのりした香りが口の中に広がった。そしてクッキーを齧ると、甘酸っぱい味が飛び込んできた。&lt;br /&gt;「おお、少しずつ少しずつ食べてくださいね。すっぱいでしょう？」&lt;br /&gt;　彼女は私のびっくりした顔を見て笑いながらそう言った。でもそのすっぱさは、決していやなすっぱさではなく、懐かしさを誘うすっぱさだった。&lt;br /&gt;「私の故郷はイギリスです。私の故郷にはルバーブは沢山ありました。だからみんな、季節になるとルバーブを摘んでジャムを作るのです。何処の家にもそれぞれにレシピがあって、受け継がれてゆくのです。我が家のジャムは、お砂糖をできるだけ少なめにしてルバーブの酸味を生かしたレシピなんですよ」&lt;br /&gt;　彼女は流暢な日本語でそう説明してくれた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-167504348687670087?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/167504348687670087/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=167504348687670087' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/167504348687670087'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/167504348687670087'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_26.html' title='■ルバーブのジャム作り（一）'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-4389137492373541609</id><published>2008-11-25T17:53:00.001+09:00</published><updated>2008-11-25T17:53:50.269+09:00</updated><title type='text'>■祖母の思い出（三）</title><content type='html'>　祖母の葬式には、何百人という人があちこちからやって来た。私たちの知らない人も数多くいた。私と同じくらいの年の子も何人かいた。祖母の友達とは思えない、でも、じゃぁ誰なのだろう。私はあまりに不思議に思って、どういうつながりですか、と恐る恐る尋ねてみた。すると、三人の男子学生は、恥ずかしそうに、こう言った。「ＫＹさんの俳句のファンで、それと、おはぎのファンで…」。そのときの私の気持ちを一体どんな言葉で言い表したらいいのだろう。あぁ、と思った。あぁおばあちゃん、と思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今、娘を育てる立場になって、私は、何度かおはぎにトライしたことがある。でも、とてもじゃないが、おばあちゃんの作ってくれたおはぎは、作れない。そして、お店から買ってくるおはぎも、これもまた、私にとってのおはぎじゃない。もう、私のおばあちゃんのおはぎは、この世には、ない。&lt;br /&gt;　ねぇ、おばあちゃん。おばあちゃんは確かに、短い人生だったかもしれないけど、でも、でもね、たくさんの人がおばあちゃんを覚えていてくれたんだよ。おばあちゃんは世間的に言えば一般人の代表みたいな人だったけど、でもね、おばあちゃん、おばあちゃんの生き様をちゃんと見ていた人たちがこんなにもいたんだよ。そしておばあちゃんにしかできないことが、こんなにもいっぱいあったんだよ。ねぇ、聞いてる？&lt;br /&gt;　別に大義を成し遂げる必要なんてない。一つ一つ大切にして生きていればそれは必ず結果を残すのだということを、祖母は私に黙って教えてくれた。&lt;br /&gt;　おばあちゃん。今どうしてる？　私は、私は今ここに在るよ。足掻いて足掻いて、倒れて怪我したりしながらも、それでも何とか生きてるよ。ねえ、これで、いいんだよね？&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-4389137492373541609?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/4389137492373541609/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=4389137492373541609' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4389137492373541609'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4389137492373541609'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_3724.html' title='■祖母の思い出（三）'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-1707549690397052425</id><published>2008-11-25T11:11:00.000+09:00</published><updated>2008-11-25T11:12:32.270+09:00</updated><title type='text'>■散歩する母娘の姿に心が晴れる</title><content type='html'>　朝、何とも嫌な気分が抜けない。これではいけないと自転車に乗る。大通りを渡り線路を越えるとぱっと景色が明るくなる。どうしたんだろうと周りを見れば、これまで茂っていた銀杏の黄色い葉が、昨日の雨で半分以上散り落ちたせいだった。空が抜けるように広がり、足元は黄色い絨毯。そして。&lt;br /&gt;　散歩している母娘の姿。その小さな娘さんが、散り落ちた銀杏の葉の中でも大きなものを一生懸命選びながら拾っている。よほどそれが嬉しいらしい。一枚拾うごとに母親ににっこり笑ってみせる。その姿が何ともいとおしく、それまで重たく私の心を覆っていた何かがすっと消える。&lt;br /&gt;　誰かを怒る気持ち、誰かを恨んだり憎んだりする気持ちは、自分自身をひどく疲れさせる。そういう気持ちに囚われると、つい執着してそのことばかり考えずにはいられなくなる。よろしくない。喜怒哀楽の中でも怒は本当に、エネルギーを必要とする感情なのだなと痛感せずにはいられない。&lt;br /&gt;　当分この件は棚上げにしておこうと肝に銘じる。エネルギーを浪費できるほど、まだ自分は回復していない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それにしてもいい天気だ。早朝空に波打っていた厚い雲は今はもうない。プランターの手入れでもしようか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-1707549690397052425?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/1707549690397052425/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=1707549690397052425' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1707549690397052425'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1707549690397052425'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_25.html' title='■散歩する母娘の姿に心が晴れる'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-6398361226342150560</id><published>2008-11-24T18:19:00.001+09:00</published><updated>2008-11-24T18:19:30.919+09:00</updated><title type='text'>■祖母の思い出（二）</title><content type='html'>　一度か二度、私は祖母に頼んだことがある。ねぇおばあちゃん、一番最初に私におはぎを食べさせてよ、と。でも、祖母はからからと笑って、それはできないねぇと言うのだった。なんでと尋ねると、こういうものはね、みんなで食べるからいいんだよ。祖母はそう言った。小さい私には、それがまだ、よく分からなかった。&lt;br /&gt;　今でこそ思う。本当は祖母は、おはぎに限らず、できるなら世界中の人と一緒においしくごはんを食べたかったんだな、と。生きられる時間が限られているからこそ願ったことは、生きているうちにたくさんの人と接し、たくさんの人の中に自分の思い出を残しておきたい、そういうことだったんじゃなかろうか。&lt;br /&gt;　祖母は死ぬ前に繰り返し言っていた。どうせあなたは私を忘れてしまうんだろうね、私のことなんて忘れてしまうんだろうね。だから私は言い返す。忘れるわけないじゃない。私はおばあちゃんのこと絶対覚えてるよ。そうすると祖母は泣きながら言うのだった。私のきれいだったときのことを覚えててね。こんなぼろぼろになって骸骨みたいになった私のことは忘れて、私が元気だったときのことをちゃんと覚えててね。お願いよ。&lt;br /&gt;　もっともっとたくさんのことをしたかった。もっともっとたくさんの人と出会いたかった。もっともっとたくさんの…。祖母はうわごとのようにそう繰り返した。まだ十四、五だった私は、神様を恨んだ。どうしてこんなに願ってる祖母を死なそうとするのか。若い頃から全身を切り刻まれ、それでも生きようと踏ん張っている祖母の命を奪うのはどうしてなのか。恨んで恨んで、果ては憎んだ。&lt;br /&gt;　そうして二月の終わり、とてもとても寒い日に、祖母は死んだ。あれほど生きたいと足掻き願った人が、そうしてこの世を去った。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-6398361226342150560?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/6398361226342150560/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=6398361226342150560' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6398361226342150560'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6398361226342150560'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_24.html' title='■祖母の思い出（二）'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-1311931383120801358</id><published>2008-11-23T18:53:00.001+09:00</published><updated>2008-11-23T18:53:49.007+09:00</updated><title type='text'>■祖母の思い出（一）</title><content type='html'>　私の祖母は、私が中学二年の時に亡くなった。三十二歳から身体のあちこちに癌ができ、そのたび闘ってきた祖母だったが、最後は全身に転移して、もうどうにもならなかった。&lt;br /&gt;　そんな祖母だから、今思うと、生き急いでいたのだと思う。退院してくるととにかくあちこちに出掛けた。私の人生はどうせ短いのだから、今のうちに楽しんでおかなくちゃ、と言いながら、あれやこれやにトライした。&lt;br /&gt;　そんな祖母との思い出の中でも、私は、おはぎを覚えている。祖母のおはぎは、真ん中にあんこ玉、外側もあんこで包まれている、という具合で、あんこの二重奏になっていた。あんこ好きの私にはたまらない一品で、祖母がおはぎを作ってくれると聴くともうわくわくしながら食べるそのときを待っていたものだった。&lt;br /&gt;　しかし。祖母は、山ほどのおはぎを作り上げると、それを大きなお盆に乗せて、近所に配りに行ってしまう。私たちの分を予め取り分けておいてくれるわけではない。だから私は慌てて祖母の後を追う。でももうその頃には、祖母の掛け声を聞いて集まってきた近所の人たちが山のように祖母を取り囲んでおり、私はもはや祖母に、おはぎに、近づけない状態であった。&lt;br /&gt;　おばあちゃん、おばあちゃーん。あぁどうしたの。おはぎ食べたい。あんたは一番最後。みんなに配ってからね。いつもそうだった。祖母はそう言ってすたすたと歩いていってしまう。そしてまた、或る程度歩くと、「おはぎできましたよぉ」と大きな声で近所の人に声をかけるのだった。&lt;br /&gt;　みんなおいしそうにはぐはぐおはぎを食べている。おばあちゃんはえらい人だねぇ、こうやってみんなにおはぎを配ってくれるんだから。と、誰かが私に声をかける。おばあちゃんのおかげでおいしいおはぎがいつも食べられるよ、ありがとなぁ。と、誰かが私に声をかける。私はもう誇らしいやら恥ずかしいやらで何も言えなくなって、黙って祖母の後をついて歩くだけだった。&lt;br /&gt;　「あぁ今日もすっかりなくなった」。祖母はそう言ってにっと笑う。おぼんにはもう、一つか二つきりしかおはぎは残っていない。全く残っていないこともあったっけ。二つあるときはひとつずつ、一つしかないときは半分つ、祖母とおはぎを分け合って、食べながら帰り道を歩いた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-1311931383120801358?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/1311931383120801358/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=1311931383120801358' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1311931383120801358'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1311931383120801358'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_23.html' title='■祖母の思い出（一）'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-966095908340122803</id><published>2008-11-22T17:24:00.002+09:00</published><updated>2008-11-23T10:03:23.516+09:00</updated><title type='text'>■裏山（続）</title><content type='html'>　そんな裏山も、開発の波をよけては通れなかった。私が小学六年生になる頃、突然、トラックが何台も裏山に沿って並んだ。そして、裏山を飾っていた蔓草や木々を、どんどんどんどん刈り倒していった。それはもう、あっという間の出来事だった。&lt;br /&gt;　私のあけびの木はどうなったのだろう。私のぶどうはどうなったのだろう。あの野鳥の巣はどうなってしまったのだろう。あそこに張ってあった見事な蜘蛛の巣はどうなっただろう。私はトラックに乗ってきた人たちが出すがなりたてるような音に耳をふさぎながら、ぐるぐるぐるぐる考えた。でも、考えてもそれらは、音にかき消され、私の胸にちくちくと刺さった。&lt;br /&gt;　何日もしないうちに、裏山は丸裸になった。私の居場所だったあの樹も、そこにはもうなかった。あぁもう、私がひとりきりで安心して過ごせる場所はなくなったのだと、あの時知った。木の葉々や枝々のこすれる音が奏でる音楽も、風が通り抜ける時に聞こえる口笛のような音も、みんな死んだ。空はもう秘密の空ではなく、ただのあけっぴろげの、からっぽの空になってしまっていた。みんな、死んだのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　あれから約二十五年、実家に帰った折に、時々裏山のあった場所へ行ってみる。今そこには太い道路が通り、両脇もきれいに整えられ、宅地に変わろうとしている。あと数年もすればここも町のひとつになるのだろう。裏山があそこにあったことなど、もう誰も覚えていることはないのかもしれない。&lt;br /&gt;　でも。&lt;br /&gt;　私は覚えている。ひとりきりで過ごす時間がどれほど大切でいとおしいものであるのかを教えてくれた裏山のことを、私は決して忘れることはない。あの日口に含んだあけびの味も、指先を紫に染めながら食した野ぶどうの味も、そして何より、あの樹の枝の座り心地を、私は今もありありと覚えている。&lt;br /&gt;　隣にいる娘が尋ねてくる。ママ、何を見てるの？　うん、あそこにね、昔山があったの。山？　あそこ平らだよ。うん、でも、ママがあなたくらいのときは、まだあそこは山だったの。ふぅん。そこでね、ママは楽しい時間を過ごしたんだ。&lt;br /&gt;　今も胸に残る。あの心地よさ。今も耳に残る。山の奏でる音楽。今も。ありありと目に浮かぶ。あそこには、裏山があったんだ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-966095908340122803?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/966095908340122803/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=966095908340122803' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/966095908340122803'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/966095908340122803'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_22.html' title='■裏山（続）'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-2525087757979787334</id><published>2008-11-21T19:21:00.000+09:00</published><updated>2008-11-21T19:22:19.297+09:00</updated><title type='text'>■裏山</title><content type='html'>　最後に通った小学校の裏には、小さな山があった。近所の人たちはみなそれを、裏山裏山と呼んでいた。人の手が殆ど入っていない、放置された域だった。&lt;br /&gt;　そのせいだろうか、私はその山に分け入って一人で時間を過ごすことがとても好きだった。&lt;br /&gt;　人影は何処にもない。いるのは野鳥や虫ばかり。道らしい道などないから、木々の枝々を手で抑えながら奥へと進む。途中、季節になると、あけびや柿の実、ぶどうの実などがあって、それらを適当に摘んで進む。そうしててっぺんに行くちょっと手前に、腰掛けるのにちょうどよい太さの枝があり、私はその枝を自分の場所にしていた。&lt;br /&gt;　その枝に座って、ただ時間を過ごす。空想癖のあった私には、たまらない場所だった。枝に座って幹に寄りかかり上を見上げると、枝の間からちょうど空がぽっかりと丸く見えた。雲の流れる様もそこからなら色濃く手に取るように見て取れた。いくら時間があっても足りないくらいに、その場所は居心地がよかった。&lt;br /&gt;　或る時はリコーダーを持って、或る時は日記帳を持って、私はひとりでそこへ通った。そして好きなだけリコーダーを吹き、好きなだけ日記帳にあれやこれやを書きとめ、私はひとり笑ったり悲しんだりしていた。私が、ひとりでいられる時間がこんなにも楽しいと知ったのは、この裏山でだった。（続）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-2525087757979787334?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/2525087757979787334/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=2525087757979787334' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2525087757979787334'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2525087757979787334'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_1448.html' title='■裏山'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-6998092735366709726</id><published>2008-11-21T17:15:00.001+09:00</published><updated>2008-11-21T17:20:20.908+09:00</updated><title type='text'>■美しい朝焼け</title><content type='html'>　今朝もきれいな朝焼けだ。そして、目の前の大通りの並木はみな、枝をおろされ裸ん坊に変わっている。冬支度だ。これからしばしのおつきあい。そして春になればまた、彼らはそれぞれにそれぞれの枝をあちこちから伸ばしてくる。&lt;br /&gt;　今日は娘の学校行事がある。音楽会だ。数日前から、きっと来てね、絶対来てねと娘は繰り返し言っている。もちろん行くつもりだ。今年は歌とリコーダーが担当らしい。&lt;br /&gt;　写真のブログの方で、思わぬ写真に感想がつく。こんなことを言うのは変かもしれないが、こんな写真にこういう感想がつくとは、と意外な感が拭えない。自分が見る目と他人のそれとはこんなにも違うのかと改めて実感。それにしても、この年になって英語を勉強したいと思うようになるとは。私は英語が大の苦手、大がつくほど嫌いだ。しかし。写真を通して世界の様々な人たちと会話しようと思ったら、英語が必須になる。今、友人になった海外の女の子にあれこれ手ほどきをうけながら必死になって勉強している。我ながら滑稽な姿だと思う。でも同時に、ちょっと楽しい。&lt;br /&gt;　音の活動の方でもいろいろな変化が出てきた。今、ちょうど、いろんなものが動く時期なのかもしれない。&lt;br /&gt;　波に乗れるのかどうか。この勢いに自分が飲まれるのかどうなのか。そんなどきどきが、私の最近を覆っている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-6998092735366709726?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/6998092735366709726/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=6998092735366709726' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6998092735366709726'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6998092735366709726'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_21.html' title='■美しい朝焼け'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-651938340995320794</id><published>2008-11-20T19:13:00.001+09:00</published><updated>2008-11-20T19:13:33.778+09:00</updated><title type='text'>■母が作ってくれた服（続）</title><content type='html'>「もうママの作った服、着たくない」&lt;br /&gt;「なんで？」&lt;br /&gt;「…」&lt;br /&gt;「なんで？　あなただけの服なのに」&lt;br /&gt;「みんなにいじめられるからいやだ！　もう絶対着ない！」&lt;br /&gt;　私がそう叫ぶように言った時の母の顔を、私は一生忘れることはないだろう。悲しいとも辛いとも違う、堪らない言葉を浴びせられた、そういう表情だった。&lt;br /&gt;　しまったと思った。母の気持ちは私なりに分かっているつもりだった。母はいつだって私の為にと作ってくれている。そのことを私は知っていた。知っていたのに。私は、それを拒絶したのだ。母を、拒絶したのだ。&lt;br /&gt;　母は何も言わず、席を立った。その背中はとても小さく、これまで見慣れている母の背中とは全く違うものだった。&lt;br /&gt;　次の日、私の洋服ダンスには、二着の買ってきたのだろう服がかけられていた。私はもうどうしていいのか分からなかった。一体私は何を着て学校に行けばいいのだろう。買った服、母の作った服、どちらも、もう自分は着ることができない気がした。学校なんてなければいいのに、と心底うらんだ。&lt;br /&gt;　私は結局その日、どちらの服を着て学校へ行ったのか、果たして学校へ行けたのか、正直覚えていない。でも、気づけばそう、私の服は、買ったものばかりに変わっていった。私もやがてそれに慣れ、いつか、母の作った服のことを忘れるようになっていった。&lt;br /&gt;　それが。&lt;br /&gt;　私に娘ができ、母が孫娘にと持ってきた洋服を見て。私ははっとした。&lt;br /&gt;　それらは全部、かつて私が着たあの服たちだった。&lt;br /&gt;　母は何も言わない。私も何も言わない。そのことを私たちは今も何も、言葉交わしたことはない。&lt;br /&gt;　娘は何も知らず、私の服を着て、今学校へ通っている。私のように服のことでいじめられたりすることもなく、楽しげに。むしろ、洋服に縫い付けられている名前が私の名前だと気づくと「わぁ、ママの服だ！」と喜んで、何度でも着るのだった。そんな時私は、何も返事ができない。&lt;br /&gt;　母よ、親というのは切ないものだね。何処までも何処までも切ない。けれど、それｄも愛する者のため、それを忍んで抱えて呑み込んで、生きてゆけるものなのだね。&lt;br /&gt;　今改めて言うよ、心の中で。母さん、ありがとう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-651938340995320794?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/651938340995320794/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=651938340995320794' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/651938340995320794'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/651938340995320794'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_20.html' title='■母が作ってくれた服（続）'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-1323062084063027256</id><published>2008-11-19T19:05:00.001+09:00</published><updated>2008-11-19T19:05:37.497+09:00</updated><title type='text'>■母が作ってくれた服</title><content type='html'>　かつて私の母は服飾デザイナーだった。家にはデザイン画や布、ボタンなどがいつでも山ほど積まれていた。&lt;br /&gt;　そんな母は、子どもの私の服を全部自らデザインして作った。ワンピース、ズボン、スカート、シャツ、何もかも。だから私の洋服ダンスには、基本的に店から買ってきた洋服は存在しなかった。どれもこれも、母手作りの服だった。&lt;br /&gt;　小学校時代、引越しを多く体験した私は、引っ越すたびいじめにあった。そして、何処に行っても最後につつかれるのが、母の服、だった。&lt;br /&gt;「なんだそのダサい服」&lt;br /&gt;「きもわるー」&lt;br /&gt;「だっさーい」&lt;br /&gt;「汚いからこっちに寄るな！近寄るなよ！」&lt;br /&gt;「変な奴には変な服がよく似合うんだな」&lt;br /&gt;　徹底的にこけにされた。果ては、私の服をひっぱり脱がせ、それを校庭の真ん中にわざと放る生徒もいた。&lt;br /&gt;　最初は、母の作ってくれた服に悪口を言うな、と突っ張っていた私だったが、何処へ行っても同じ襲撃に遭うことに、だんだん疲れていった。やがて。&lt;br /&gt;　やがて私は、母の手作りの服を着ているから自分はよりいじめられるのだ、と思い込むようになっていった。&lt;br /&gt;　そして或る日。私は母に言った。&lt;br /&gt;「もうママの作った服、着たくない」&lt;br /&gt;(続く)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-1323062084063027256?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/1323062084063027256/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=1323062084063027256' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1323062084063027256'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1323062084063027256'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_3712.html' title='■母が作ってくれた服'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-799835483904143403</id><published>2008-11-19T12:42:00.000+09:00</published><updated>2008-11-19T12:44:49.382+09:00</updated><title type='text'>■紺色から珊瑚色へのグラデーションの朝</title><content type='html'>　紺色から珊瑚色へのグラデーションが、それはもう見事な朝。&lt;br /&gt;　数日前から家の前の通りの街路樹たちの、枝伐採が始まっており、今見下ろすと、うちの前がちょうど今日からのようだ。明日にはこの枝葉たちとはお別れ。また春になるまでのしばしの別れ。来年会う子たちはどんなふうに伸びるのだろう。どんなふうに空を目指すのだろう。それを考えると、なんだか今からわくわくしてきてしまう。&lt;br /&gt;　このところちゃんと写真を撮りに行っていない。そろそろ撮りに行かないと飢える。時間を見つけて体調のいいときに撮りに行こう。&lt;br /&gt;　昨日は後期の写真展の展示替えを無事に終えた。これであとは、年末まで一気に駆け抜けるだけだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それにしても今年もいろいろあった。厄年じゃないはずなのだが、いろいろあった。特に人間関係では苦労した。&lt;br /&gt;　来年は、それが少しでもなくなるようにしたい。だから今は沈黙の時間。写真展で会う人と以外は極力独りでいるようにしている。エネルギーをためておかないと、この先駆け抜けてゆけないから。&lt;br /&gt;　それにしてもいい天気だ。こんな日は、鼻歌でも歌いたくなる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-799835483904143403?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/799835483904143403/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=799835483904143403' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/799835483904143403'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/799835483904143403'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_19.html' title='■紺色から珊瑚色へのグラデーションの朝'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-3859994814308934467</id><published>2008-11-18T16:43:00.001+09:00</published><updated>2008-11-18T16:43:31.901+09:00</updated><title type='text'>■みしらず柿（続）</title><content type='html'>　でも或る年。木箱は届かなかった。翌年も届かなかった。そして私たちは父母に尋ねた。今年も柿届かないんだね。&lt;br /&gt;　あぁ、おじさん、去年亡くなったからね。&lt;br /&gt;　父母は、そう言った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私たちは知らなかった。柿は毎年送られてくるもので、止むことはないと思い込んでいた。父が生きているのだから同い年のおじさんも生きていると勝手に思い込んでいた。けれど。おじさんは若くして癌に侵され、さっさと天国に旅立ってしまっていた。&lt;br /&gt;　柿はもう二度と届かない。そう知らされてから、私たちは急に、その柿が食べたくなった。箱の下の方はとろん、上の方は少し硬い柿の実。種がひとつも入っていないその柿の実。&lt;br /&gt;　ねぇ、あれ、何ていうんだっけ。&lt;br /&gt;　何？&lt;br /&gt;　あの種がない柿のことをさ、何て言うんだっけ。&lt;br /&gt;　みしらず柿だよ。&lt;br /&gt;　もう二度と食べること、ないのかもしれないね。&lt;br /&gt;　多分、きっと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　あれから二十年近くの時間が流れる。私も弟も、みしらず柿をいまだ食べることはない。&lt;br /&gt;　命はいずれ消えるもの。どんなに元気にみえた人でも、ふいに消えてなくなってしまうもの。みしらず柿はおじさんの、命の証のひとつだったんだ。あぁ。&lt;br /&gt;　おじさん、ねぇおじさん。聞こえていますか。あの柿はおじさんの柿だね。他の誰のものでもない、みしらず柿は私たちにとって、そう、おじさんの柿だったよ。ねぇ、おじさん。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-3859994814308934467?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/3859994814308934467/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=3859994814308934467' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/3859994814308934467'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/3859994814308934467'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_18.html' title='■みしらず柿（続）'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-4084246760083592268</id><published>2008-11-17T21:13:00.000+09:00</published><updated>2008-11-17T21:14:12.113+09:00</updated><title type='text'>■みしらず柿</title><content type='html'>　父の友人である松永のおじさんから、毎秋送られてくるものがあった。オレンジ色の柿が詰まった大きな木箱だ。箱は届いてから日陰で半月くらい置きっぱなしにされる。色づき始めた柿は、枝からもがれてこの木箱に詰められる時、日本酒を一升分くらいどぼどぼとかけられて来る。渋柿だった実は、その箱の中でお酒をいっぱいに吸い込んで、渋みを失う代わりに甘くやわらかくなっていく。暗いところに置きっぱなしにされるのは、渋柿がお酒を十分に吸い込むまで待つためだ。&lt;br /&gt;　木箱にマジックペンで書かれた日付通り、二週間待って箱を開けると、台所中がぷうんと甘く発酵したお酒の香りで満たされる。箱の周りに新聞紙を敷いて、そこにやわらかく甘くなった柿の実をそおっと並べてゆく。とりあえず一度全部柿の実を外に出すためだ。実にかけた酒は下の方に溜まるから、下の方に詰められた柿の実の方がお酒を吸い込みやすい。つまり、下に並んだ柿の方が早く、果肉が橙色に透き通ってくる。指で強く掴んだりしたら潰れてしまいそうな、大事に手のひらで包んでやらなければいけないくらいにやわくなっている柿の実。でもこうなった時こそが、父やおじさんに言わせると、食べ頃なのだそうだ。そんな柿の実はナイフで皮を剥くことはできない。その代わりに、半透明の実のヘタの周りに果物ナイフで切れ込みを入れ、ヘタを取る。それでできた穴から、スプーンで実をすくって食べる。&lt;br /&gt;　父はその食べ方を、さも得意げにやってみせる。他の家族はみな、ぎこちなく、途中で皮が破けてしまったりするのに、父の実の皮は最後まで破けることなく食べ終えられる。それは実においしそうな食べ方だった。&lt;br /&gt;　毎年毎年送られてくる柿の箱。食べ終えるのにこれまた半月くらいかかるほどの量で、父以外の家族は、少々閉口していた。そんなふうに多少嫌われることがあっても、柿の箱は、毎年毎年送られてきた。それはずっと、送られてくると私たち姉弟は思い込んでいた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-4084246760083592268?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/4084246760083592268/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=4084246760083592268' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4084246760083592268'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4084246760083592268'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_17.html' title='■みしらず柿'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-5962898479287201596</id><published>2008-11-16T22:07:00.001+09:00</published><updated>2008-11-16T22:07:52.403+09:00</updated><title type='text'>■ブランコとあの子（続）</title><content type='html'>　ブランコ乗りたいの？　あの子が小さな声で聞いてきた。&lt;br /&gt;　返事ができず、私がじっとしていると、あの子は座り込んでいた私の手を引っ張った。そして、私をブランコに再び座らせた。&lt;br /&gt;　あの子は隣のブランコに座り、こうやるんだよ、とばかりにブランコを漕ぎ始めた。その時私がどうしたのか、正直覚えていない。あの子とブランコが描く線が美しくて、ただそれに見惚れていたような気がする。&lt;br /&gt;　飛び降りる時に、下に飛び降りるんじゃなくて、前に飛び出すんだよ。あの子が言った。ブランコより前に飛び出すんだよ。見てて。そう言ってあの子はもう一度飛んだ。&lt;br /&gt;　このあたりの、自分に関しての記憶が私にはない。あの子の描く放物線の美しさばかりが印象に残っている。でも多分、その間に、私は彼女からいろいろと教えられたのだ。次の記憶は、私がブランコから飛び出すところから始まっている。&lt;br /&gt;　ほら、そこで飛ぶんだよ、前に飛ぶんだよ。あの子の声にしたがって、私は懸命に前に飛んだ。でも、また後ろからブランコが襲ってくるんじゃないかと思って私は身を小さく屈めた。&lt;br /&gt;　大丈夫だよ、ブランコより遠くに飛んだんだから、ぶつからないよ。あの子が笑った。私も笑った。あたりはもう、確か、深く暗く闇が広がっており、でも、私たちの声はとてもとても、明るかった。&lt;br /&gt;　それから。公園に行くと、あの子は私をブランコに誘ってくれるようになった。気づけばブランコは、私たちの場所になっていた。私たちはお互いに何を喋るわけでもなく、ただブランコを楽しんだ。ブランコから飛ぶ瞬間を共に味わった。着地するときの心地よさを共に味わった。それは永遠に続くかのように思えた。&lt;br /&gt;　或る日、あの子がブランコに乗る前に、ぽつりと言った。今度引越しするんだ。何処にいくの？　ここから遠い町。いつ？　あさって。それだけ言葉を交わすと、私たちはただ黙ってブランコに乗った。いつにもなく長く長く、ブランコを漕いだ。そして、飛んだ。&lt;br /&gt;　じゃぁね。またね。バイバイ。&lt;br /&gt;　あの子はそれ以来、公園には来なかった。二つのブランコは、もう、一緒に揺れることはなかった。私もしばらく、ブランコには乗れなかった。&lt;br /&gt;　千晶ちゃん。あの子の名前は千晶だった。一度も千晶ちゃんと呼んだことはなかったけれど、私はあの子の名前を今も覚えている。今頃どうしているのだろう。もしかしたら、もう子どもがいて、その子どもにブランコを教えているのかもしれない。そんな時あの子は私を思い出してくれるだろうか。私を思い出さないまでも、こんな日々があったことを思い出してくれるだろうか。&lt;br /&gt;　千晶ちゃん。もう会うこともないだろう人だけれども、私の記憶の中に、ずっと生きている。ブランコの思い出の中に。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-5962898479287201596?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/5962898479287201596/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=5962898479287201596' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/5962898479287201596'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/5962898479287201596'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_16.html' title='■ブランコとあの子（続）'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-995137725496886710</id><published>2008-11-15T22:00:00.001+09:00</published><updated>2008-11-15T22:00:50.172+09:00</updated><title type='text'>■ブランコとあの子</title><content type='html'>　小さい頃、私はブランコが怖かった。地に足のつかない場所に座り、それがゆらゆら揺れることが、たまらなく恐ろしかった。&lt;br /&gt;　でも、友達はみな、楽しげに乗っている。上手い子は、ブランコがくるりんと一回転してしまいそうなくらいまで高く漕ぐ。それが、怖いと同時に私にとってたまらなく羨ましかった。&lt;br /&gt;　だから或る時、誰もいなくなった夕暮れの公園で、私はブランコに座ってみた。あの子がやっていたように足で思い切り地を蹴って揺らしてみた。ぐわんぐわん。ブランコは前後に揺れる。ぐわんぐわん。そしてここであの子は飛び降りたんだ。体操選手のように見事に。ほら、えいっ。&lt;br /&gt;　ゴチン。&lt;br /&gt;　無事に飛び降りたと思った直後、私の後頭部は、後ろから戻ってきたブランコに直撃された。今思えば飛び降りた場所が悪すぎたのだと分かるが、その時は何故なのか分からなかった。目から火花が散った。ものすごい衝撃で私は舌を噛んだ。口の中にうっすら、血の味が広がった。&lt;br /&gt;　突然涙がごうごうと零れた。たった一人の公園で、私は声も上げずにただ泣いた。痛いのと情けないのとで私はぐるぐる巻きになっていた。もういい、ブランコなんて乗れなくたっていい。そう思い、走って帰ろうとした時、ばしんっと目が合った。公園の入り口にあの子が立っていた。&lt;br /&gt;　あの子は黙ってブランコと私に近づくと、隣のブランコを揺らし始めた。そして揺れがある程度の高みに達したとき、ぽーんと飛んだ。ゆるい放物線を描いて、彼女はきれいに着地した。私はその間、身動きひとつとることができなかった。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-995137725496886710?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/995137725496886710/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=995137725496886710' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/995137725496886710'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/995137725496886710'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_2483.html' title='■ブランコとあの子'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-4372636315353161826</id><published>2008-11-15T06:18:00.001+09:00</published><updated>2008-11-15T06:18:17.788+09:00</updated><title type='text'>■ネガは楽譜、プリントは演奏</title><content type='html'>　銀鼠の雲が空一面を覆っている。&lt;br /&gt;　どうしたことだろう、窓を開けても全く寒くない。ぬるい。この季節になんでこんなにぬるいのだろう。なんだか気持ちが悪い。&lt;br /&gt;　昨夜は少し写真の整理をしていた。昔焼いた状態とは今気持ちが違っているものについては分けてみた。結構な量になる。&lt;br /&gt;　「ネガは楽譜、プリントは演奏」と言ったのは誰だったか。その主の名前は忘れてしまったが、この言葉は決して脳裏から薄れることはない。&lt;br /&gt;　いろいろな写真を見て回ったが、自分のような写真を作る人がいないことを、最近痛感する。つまり、写真の基本はネガに忠実に焼くことであって、私のようにネガとプリントとがまったく別物になることはない。写真界に生きる人たちから「写真の基礎に忠実に！」と再三言われた。しかし、私の気持ちが別の方向に動くのだから、もうこれは仕方がない。&lt;br /&gt;　私はネガを版画の版のように用いる。ネガを用いて版を用いて、新たな像を印画紙に浮かび上がらせる。白く白く飛ばすときもあれば、黒く黒く焼きこむこともある。つまりそこで、いらない像を消し、いらない像を潰す。それだけのこと。&lt;br /&gt;　必要なものだけしか印画紙の上には残らない。私はそれをよしとしている。それだけの話。&lt;br /&gt;　独学で写真を始めたのは11年前のちょうどこの時期だった。最初はただ「焼く」、ただ「プリントする」ことしかしなかった。ネガの像が印画紙に忠実に浮かび上がることが面白かったからだ。&lt;br /&gt;　でも今は違う。ネガの情報から、今の私に必要な部分だけを切り取って、それをプリントする。だからどうしても、「写真の基本」「写真の基礎」からは外れてゆく。&lt;br /&gt;　昨日は疲れてそれ以上の作業ができなかった。今夜にでも作業しようか。現像液のあの独特の匂いが、私は結構好きだ。なんとなく、今ならまた新しい写真を作れそうな気がする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　徐々に徐々に雲の向こうが明るくなってゆく。けれど雲はこれっぽっちの隙間もなく空を埋め尽くしている。こんな空を見上げると、私は窒息しそうになる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-4372636315353161826?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/4372636315353161826/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=4372636315353161826' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4372636315353161826'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4372636315353161826'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_15.html' title='■ネガは楽譜、プリントは演奏'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-5990817612189010866</id><published>2008-11-14T17:21:00.000+09:00</published><updated>2008-11-14T17:22:00.324+09:00</updated><title type='text'>■そう、本当に大好きなんだから</title><content type='html'>　窓を開けたまま日中を過ごす。薄手のシャツ二枚で十分過ごせるほどのあたたかさ。光があちこちで弾ける。風がやわらかく項を撫でて過ぎる。&lt;br /&gt;　父母が年を重ねるごとに頑なになってゆく。私はそれを、少し離れて見つめている。些細なことで怒鳴り声の電話をかけてよこす父も母も、それでも私の父母であり、いずれは私が世話をすることになるのだろう。どうしたらこの人たちともっと近づけるのだろう。いや、もっと適切な距離でもってお互いにお互いの領分を侵略することなくつきあってゆけるのだろう。三十数年あの人たちの子どもをやっていても、正直、いまだに分からない。それでも、私は彼らを愛している。あの人たちがそれをいくら否定してこようとも。&lt;br /&gt;　久しぶりに家でゆっくり過ごす。あれこれ片付けているうちに、ひょいと思わぬものが出てきた。その昔の娘との交換日記だ。&lt;br /&gt;「おいしいおべんとうをつくってね。ままのことだいすきだよ」&lt;br /&gt;「いじわるとかされたらママにすぐいうんだよ。ママがとんでいくからね」&lt;br /&gt;「むんくのさけびのえっておもしろいね。へんなかおだよ、まま」&lt;br /&gt;「きょうはママがねぼうしちゃってごめんね。こんどからきをつけるね」&lt;br /&gt;　全部ひらがなだ。2006年8月から10月にかけての二ヶ月のものだった。すっかり忘れていた、彼女が一年生の夏に交換日記をやっていたことなんて。&lt;br /&gt;　あの頃娘がとある被害にあって、いろいろ大変だったのだった。二人暮らしにようやく慣れたというのにやってきた災難だった。だから確か、交換日記を始めたのだった。&lt;br /&gt;　日記帳の最後は、娘の絵で終わっている。娘と私とが手をつないで笑っている絵だ。この絵を最初に見たときの気持ちなど、私はもう、忘れてしまっていた。&lt;br /&gt;　日記帳をそっと閉じ、パラフィン紙に包んで本棚にしまった。彼女が大きくなったら、もしかしたらプレゼントするかもしれないししないかもしれない。まだどちらか分からないけれども、捨ててしまうことはとてもできそうにない。&lt;br /&gt;　そうやって片づけをしながら過ごした午後はあっという間に過ぎ。今、外はすっかり暮れ落ちている。娘もやがて学童から帰ってくるだろう。そうしたら。&lt;br /&gt;　今日は、彼女に言われる前にちゅうをしながら言ってやろう。「ママ、あなたが大好き」。そう、本当に大好きなんだから。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-5990817612189010866?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/5990817612189010866/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=5990817612189010866' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/5990817612189010866'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/5990817612189010866'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_1625.html' title='■そう、本当に大好きなんだから'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-8893269100390725889</id><published>2008-11-14T06:04:00.001+09:00</published><updated>2008-11-14T06:04:16.377+09:00</updated><title type='text'>■今、東雲色が地平線を染める</title><content type='html'>　昨日からのあたたかさがまだ残っている。午前五時。まだ外は暗い。&lt;br /&gt;　暗い中、プランターの前に座る。窓から零れる部屋の明かりで、岩緑青色の若葉たちが浮き立つ。&lt;br /&gt;　私は冬を越える植物が好きだ。春蒔きの一年草よりも、冬を越えるものたちの方がより人間に近い気がする。とてもよく似ている気がする。人間にとっての困難を冬に、喜びを春にたとえたら、樹たちの辛抱強さは見習うべきものがたくさんある。色も手触りも異なる一個一個の球根たち。ひとつとして同じ樹皮はない同じ枝ぶりもない樹たち。私たちのように悲しみや喜びを声に出して叫ぶでもなく、ただひっそりと立つこれらの生き物。&lt;br /&gt;　彼らの奏でる音を、音楽にできたらどんな音色になるのだろう。いつも思う。&lt;br /&gt;　まだ空は留紺色。でもじきにその紺色が僅かずつ薄らいでゆく。私はその予感を秘めたこの時間が好きだ。予感が膨らんで膨らんで、すぅっと息を吐き出し始める瞬間がたまらなく好きだ。それは深呼吸に似ている。&lt;br /&gt;　思い出した。「深呼吸の必要」という本があった。黄色い表紙の本だ。その中には煌くような言葉たちが詰まっていた。久しぶりに読み返そうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「きみが生まれたとき、きみはじぶんで決めて生まれたんじゃなかった。きみが生まれたときにはもう、きみの名も、きみの街も、きみの国も決まっていた。きみが女の子じゃなくて、男の子だということも決まっていた。」「きみが生まれるまえに、そういうことは何もかも決まってしまっていたのだ。きみがじぶんで決められることなんか、何ものこされていないみたいだった。」「ところが」「つまり、きみのことは、きみが決めなければならないのだった。きみのほかには、きみなんて人間はどこにもいない。きみは何が好きで、何がきらいか。きみは何をしないで、何をするのか。どんな人間になってゆくのか。そういうきみについてのことが、何もかも決まっているみたいにみえて、ほんとうは何一つきめられてもいなかったのだ。そうしてきみは、きみについてのぜんぶのことを自分で決めなくちゃならなくなっていったのだった。つまり、ほかの誰にも代わってもらえない一人の自分に、きみはなっていった。きみはほかの誰にもならなかった。好きだろうがきらいだろうが、きみという一人の人間にしかなれなかった。そうと知ったとき、そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになってたんだ。」（「深呼吸の必要」長田弘）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　東の空が明けてきた。今、東雲色が地平線を染める。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-8893269100390725889?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/8893269100390725889/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=8893269100390725889' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/8893269100390725889'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/8893269100390725889'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_14.html' title='■今、東雲色が地平線を染める'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-4938578289518529692</id><published>2008-11-13T18:21:00.001+09:00</published><updated>2008-11-13T18:21:15.270+09:00</updated><title type='text'>■ろうそくを三本立てて</title><content type='html'>　三鷹の病院へ友人をお見舞いに。入院以来、何も食事がとれていないと聞いていたので、途中で何を買おうかと悩む。けれど結局、彼女の誕生日ケーキにも代わる小さなレアチーズケーキを買い、私は先を急ぐ。&lt;br /&gt;　「元気そうでしょ」「うん、ちょっと目が虚ろだけど」「ははは」。私たちは飲み物をそれぞれ買って喫煙所へ。そして。&lt;br /&gt;　「じゃーん」。私は家から持ってきたろうそく三本を彼女に見せる。「も、もしかして…！」「もしかしてだよーん。一日早いけど、お誕生日祝いしよう」「うわぁ！」。&lt;br /&gt;　買ってきたレアチーズケーキを出して、そこに三本、ろうそくを立てる。ろうが落ちないように気をつけながら火をつけて、ハッピィバースディの歌を歌う。彼女が素直に喜んでくれるから、私もとても嬉しくなる。&lt;br /&gt;　病院内でのこと、今の心持ちなどを話してくれる彼女。早く退院できるといい。待ってるからね、と、約束し、病棟を出る。&lt;br /&gt;　その足で国立へ。初めてお会いするのに初めてという気がしない。あれやこれやお話しているうちに私がうつらうつらしてしまう。全く、初対面の人の前で何やってるんだ、と自分を叱咤してもその勢いは止まらず。まぶたが半分下りてきてしまう。&lt;br /&gt;　そしてその方は心配してか、帰り道、わざわざ遠回りして私の最寄の駅まで送ってくださる。殊勝なお方だ。ありがとうございます。また後期の展覧会でお会いしましょうと言い交わしお別れする。&lt;br /&gt;　用事を二つこなすことは、今の私にはちょっとしんどかったのかもしれない。自分では全く気づかなかったけれども。でも、今日二人に会えてよかった。まだ頑張れる、まだやれる、と上を向く元気が出てきた。二人に感謝。&lt;br /&gt;　さぁあとは。娘が帰ってくるのを待つだけ。そしたら彼女の勉強につきあい、夕食。あぁ献立何も考えていなかった。何にしようか。スパゲティとサラダで誤魔化すか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-4938578289518529692?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/4938578289518529692/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=4938578289518529692' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4938578289518529692'/><link rel='self' type='application/atom+xml' 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/&gt;　三鷹に入院している彼女と出会ったのは何年前だったろう。もう十年近くになる。彼女が私の体験記を読んで、以来、足繁く通ってくれたのがきっかけだった。正直に言おう。私は最初彼女が苦手だった。何故そこまで慕ってくれるのか、全然理由が分からなかったからだ。その頃の私はまるではりねずみのように、警戒心の塊だったから。&lt;br /&gt;　しかし。彼女を写真に撮ってみて分かった。彼女の中に大きな大きなまだ癒えない傷があり、その傷が私の体験と共鳴しているのだ、と。それが分かってから、急に私と彼女との距離は縮まった。そして今日に至る。いまや、私にとって彼女は、なくてはならない友になっている。&lt;br /&gt;　もう一人は、今日初めてお会いする方。毎年写真展に足を運んでくださっている貴重な方だ。&lt;br /&gt;　今日が晴れた日でよかった。微かに残っていた憂鬱さも、朝の風と光に溶けてなくなった。これで心置きなく二人に会える。&lt;br /&gt;　起きてきた娘が言う。「ママ、顔が笑ってる」「そう？」「なんか面白いことあった？」「面白いことはないけど。太陽が笑ってるから」「そうなんだ」「そうなんだよ」「へへへ」「へへへ」。&lt;br /&gt;　さぁ出掛ける準備。と、その前に娘のおにぎりだ。炊きたてのご飯にちりめんじゃこを混ぜてきゅっと握ろう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-4272899935790794947?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/4272899935790794947/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=4272899935790794947' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4272899935790794947'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4272899935790794947'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_13.html' title='■太陽が笑ってるから'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-6089436394306241197</id><published>2008-11-12T15:50:00.001+09:00</published><updated>2008-11-12T15:50:54.912+09:00</updated><title type='text'>■この憂鬱もいずれは消えてなくなるもの</title><content type='html'>　朝からのだるさが今ひとつ抜けきらない。とはいっても一日は回っていく。気づけば娘が学校から勢いよく帰宅する時間。&lt;br /&gt;「ママ、今日、好きな人が帰るの待っててくれたんだよっ」&lt;br /&gt;「へぇ、そんなこともあるんだ」&lt;br /&gt;「荷物用意してたら一人になっちゃって、でもそしたら、廊下で好きな人が待っててくれたの」&lt;br /&gt;「すごーい！」&lt;br /&gt;「へっへっへー」&lt;br /&gt;「よかったじゃん」&lt;br /&gt;「うん！　じゃぁ行ってくる！」&lt;br /&gt;それだけ言い残し、彼女は学童へと飛び出して行った。&lt;br /&gt;　その勢いにつられて、私は椅子から立ち上がる。とりあえず部屋の掃除をしてみよう。その次はプランターに水遣り。その次はお風呂場掃除。その次は。トイレ掃除がいいか。&lt;br /&gt;　思いつくままとにかく片づけを為してみる。こういうときは余計なことを考えず一心不乱に動けるものを為すのがいい。&lt;br /&gt;　そうしてひとつひとつ片付けてゆくうち。なんとなく背中が軽くなり、なんとなく肩が軽くなり。ようやくひとつ、深呼吸できるくらいになっていた。&lt;br /&gt;　もし太陽が出ていたら、もう西に傾く時間。私はベランダに出て伸びをする。西の空も東の空も南の空も、みんな灰色一色。微かに雨も降っている。この雨はこのまま強くなるのだろうか。それとも止んでくれるのだろうか。明日は写真展の会場で人と会う約束がある。雨が止んでくれると助かるのだが。&lt;br /&gt;　何度省みても思う。昨日はちょいと頑張りすぎた。でもそれなら、今日休んで明日また歩き出せばいい。それだけのこと。&lt;br /&gt;　そしてこの憂鬱とも適当につきあえばいい。いずれは消えてなくなるだろうから。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて。夕飯は何にしよう。私は冷蔵庫を覗く。そうだな、けんちん汁でも作ろうか。ご飯はわかめと鮭の混ぜご飯にして。多分そうすれば彩りも明るくなるよね。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-6089436394306241197?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/6089436394306241197/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=6089436394306241197' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6089436394306241197'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6089436394306241197'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_8099.html' title='■この憂鬱もいずれは消えてなくなるもの'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-6636319937860333793</id><published>2008-11-12T08:33:00.001+09:00</published><updated>2008-11-12T08:33:39.304+09:00</updated><title type='text'>■叫ぶか叫ばないかは本人が決めればいい</title><content type='html'>　ＮＨＫの人から取材を受けたのが昨日。そのせいか、ひどく疲れて朝もまともに起きることができなかった。鏡の中の疲れた顔を見て、少し頑張りすぎたのかもしれないと反省する。&lt;br /&gt;　聞かれたのは、だいたい性犯罪被害者の回復に必要なことについて。でも、根本的な考えがひとつ違っていた。それは、被害者の回復に被害に遭った事実を社会に向かって叫ぶことが必要かどうかという考え。取材側は、すでにアメリカで活躍なさっている大藪順子氏を取材しており、その考え方によると、叫ぶことが必要だという。社会に訴えることが必要なのだという。しかし。&lt;br /&gt;　それはアメリカでの話だ、と私は強く感じる。アメリカと日本とでは社会状況があまりに違う。それを飛び越えて、一様に、叫ぶことが必要だと私は思えない。実際、私の周りには、叫ばないことを選択した人たちが何人もいる。&lt;br /&gt;　では叫ばないでどうするのかといえば、そこから改めて社会との関わりを築き直すことが必要になる。それはひどく疲れる作業ではあるけれども、どのみちこの作業は、叫ぶ叫ばないを関係なくどちらの側にも必要な作業だ。被害を受けることによって一度瓦礫のように崩れた社会との関係性を再構築する。たとえば単純に家の外に出ること。習い事をするでも散歩するでも仕事をするんでも何でもいい。とにかく外に出てみること。そして外に出て誰かと話すこと。話さないなら話さないで何かを為すこと。そこで何かしらの関係が生まれる。それが絆になる。その細い細い絆をひとつひとつ増やしていって、社会との太いパイプを再びつなぎ直す。&lt;br /&gt;　被害を受けたことのない人にとっては至極当然な、というより、当たり前に為していることだから、そういった人から見たら何を言っているんだといわれるかもしれないが、そのごくごく当然の自然のところ、人間性の基盤のところを破壊されてしまったら、そこから築き直すしかないのだ。&lt;br /&gt;　築き直すために叫ぶことが必要か否か。それは、個人が決めればいい。一様に叫ぶことが必要だと訴えるのはおかしい。どちらを選んでもそれは、正しい選択だ。叫ばないことを弱いと、間違っているとみなすのはおかしい。&lt;br /&gt;　そのことを懇々と訴えるのは、今の私には疲れる作業だった。今思えばそうだった。&lt;br /&gt;　結局取材側は、そういう回復の過程もあるのですか、と半信半疑の様子で帰っていった。自分の力不足を少々嘆く結果に終わる。&lt;br /&gt;　しかし。&lt;br /&gt;　それでも思う。叫ぶか叫ばないかは被害に遭った本人が決めればいい。犯罪被害でも特に性犯罪被害に関しては私はそう思う。実際私は叫んだことによってさらに傷ついた。そういう現実を無視して欲しくない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　どんよりと曇った空。今の私にとても似ている。今はそう、この疲れた心を休めることだけ考えよう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-6636319937860333793?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/6636319937860333793/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=6636319937860333793' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6636319937860333793'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6636319937860333793'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_12.html' title='■叫ぶか叫ばないかは本人が決めればいい'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-2774053356251634383</id><published>2008-11-11T17:11:00.000+09:00</published><updated>2008-11-11T17:12:09.466+09:00</updated><title type='text'>■さぁ気分を切り替えて</title><content type='html'>　久しぶりに用事があってみなとの方へ。高架下をくぐるとまっすぐに海へとのびる銀杏並木の通りに出る。あぁここはだいぶ色づいている。黄金色とまではいかないけれども、ほぼ全体が黄色に輝いている。そこだけぽっと灯りがついたかのよう。そういえば銀杏の匂いはもうない。そういう季節なのか。&lt;br /&gt;　家を出てくる前、二年前の日記帳をふと開いて読んでみた。いたるところに、自分を傷つけている記述が残っていた。そうか、二年前はまだまだ破壊的行為の真っ只中に私はいたのだな。たった二年、されど二年、そう、大きな二年だ。&lt;br /&gt;　そして、樹は変わらずそこに在った。二年前も今も。もう少し自転車でまっすぐ走れば、右手にモミジフウの樹が。クリスマスの時期には娘を連れてその実を拾いに来よう。今年は幾つの実を拾い集めることができるだろう。&lt;br /&gt;　用事を済ませた帰り道、ふと公園に立ち寄る。この公園には池がある。行ってみると、鳩が水辺でごろりと横になっているところだった。向こう岸に猫がいるというのに、呑気な光景だ。&lt;br /&gt;　池は重たげな雲を映しているせいか、海松色と苔色を静かに混ぜたような色合いをしている。澄んだ水面には葉を落とした桜の枝々の姿がくっきりと映っている。ふみゃぁという声に驚いて振り返ると、半野良猫が餌欲しさに数匹集まって来ている。あぁ、ごめん、私はごはん持っていないのよ。声に出して言ってみるが、彼らには全然通じない。何も持っていない手をぱらぱらと振ってみせる。すると、がっかりしたような表情をして彼らは立ち去る。ここには猫おばさんが定期的に通ってきて餌を遣るから、多分、その人の友達とでも思ったのだろう。時計を見る。やっぱり。猫おばさんがそろそろやってくる時間だ。&lt;br /&gt;　私は立ち上がり、自転車に乗り直す。それにしても今日は寒い。このまま冬に突入するのだろうか。それともあと一度くらい暖かさを戻す日があるのだろうか。&lt;br /&gt;　そうだ。家に帰ったら、パン作りをしよう。明日の朝食は久々に手作りパンで。じゃぁ夕飯は？　確か昨日のスープの残りがあったはず。&lt;br /&gt;　みゃぉ。猫の鳴き声に振り返る。でも、姿は見えない。多分つつじの藪の中に隠れているのだろう。おまえたちの待ち人はきっともうすぐやってくるよ。じゃぁね、ばいばい。&lt;br /&gt;　私は心の中でそう言い、ペダルを漕ぎ始める。家まではあと約五分。さぁ気分を切り替えて。俯きがちなときほど視点を変えてみること。何事も視点を変えれば、新しい側面が見えてくる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-2774053356251634383?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/2774053356251634383/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=2774053356251634383' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2774053356251634383'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2774053356251634383'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_945.html' title='■さぁ気分を切り替えて'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-904973102457713381</id><published>2008-11-11T06:38:00.000+09:00</published><updated>2008-11-11T06:39:02.048+09:00</updated><title type='text'>■こんな時はいつもよりいっそう強く</title><content type='html'>　天気予報は曇りのち雨。六時を過ぎても薄暗い。雲の向こうに陽光の気配はあまり感じられず。常緑樹の街路樹の枝々が、南東からの風にゆらゆらと揺れている。&lt;br /&gt;　そういえば、今年もそろそろ街路樹の枝おろしの時期だ。毎年11月下旬にそれは行われる。その後はこんなふうに風に揺れる枝や葉の姿も見られなくなるのだと思い出したら、なんだか目が離せなくなった。風の気配。枝の描く妙線。葉の啼く音。&lt;br /&gt;　いつもより早起きした娘が何かを思い出しながら指を折っている。何を数えてるのと尋ねると、昨日ちゅーした回数、と答えが返ってきた。で、何回ちゅーした？　うんとね、五回かな。…五回もちゅーしてるのか、ちょっと多いね。多くないよ、全然、もっとちゅーしたいもん。なんでそんなにちゅーしたいの？　わかんないけど、ママの顔見てるとちゅーしたくなる。…そうなんだ。ママはしたくならないの？　うーん、ママは…ちゅーしなくてもちゅーしてるような気分だから。何それ？　うーん、つまりさ、ママはいつでもあなたのことを考えているってことだよ。&lt;br /&gt;　せっかくだからと今日は娘と一緒にプランターを覗く。毎日覗いている私にはそんなに変化があるように思えなくても、時々しか覗かない娘にとっては大きな変化がそこにある。うわぁママ、これは赤ちゃんの手だねぇ。ラナンキュラスだよ。これはひげ、うーん、違った、トゲだ。ムスカリだね。これ、あかんべぇしてるみたいだね。それねぇ今年初めて植えたイフェイオンだよ。なんかかっこわるいよ。確かにね、かっこ悪いね。べろべろべろーん。ははははは。&lt;br /&gt;　朝のひとときはあっという間に過ぎる。その時娘が言った。&lt;br /&gt;　ねぇママ。今年サンタさん、何人来てくれるの？　え？　サンタさんだよ。サンタさんって一人だよ。違うよ何人もいるんだよ。なんで？　ゆかりちゃんが言ってた。おじいちゃんサンタ、おばあちゃんサンタ、パパサンタ、ママサンタ、おじちゃんサンタ、おばちゃんサンタ、でね、ゆかりちゃんのところは四人は少なくとも来てくれるらしいよ。…あらまぁ。いいなぁ、うちはママサンタ一人だけじゃん。うーん、本物サンタも来るよ。何処から？　空から。じゃぁうちには二人？　うーん、そういうことになるねぇ。つまんない。…。もっとサンタさん来てくれればいいのに。そうだねぇ。パパサンタとかさぁ。…そうだねぇ。まぁうちは、ママがママパパサンタだからしょうがないのか。何だそれ。ふふーん。&lt;br /&gt;　それだけ言うと、娘はさっと部屋の中に戻り漫画を読み始める。&lt;br /&gt;　私は。&lt;br /&gt;　私はベランダから身を乗り出し、街路樹たちをふわりと眺める。枝よ揺れろ、葉よ泳げ、こんな時はいつもよりいっそう強く。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-904973102457713381?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/904973102457713381/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=904973102457713381' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/904973102457713381'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/904973102457713381'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_11.html' title='■こんな時はいつもよりいっそう強く'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-5484920396761956849</id><published>2008-11-10T18:01:00.000+09:00</published><updated>2008-11-10T18:02:16.412+09:00</updated><title type='text'>■こうしている間にも時は流れて</title><content type='html'>　病院からの帰り道には花屋が何軒かある。その一軒にあの花があった。外国のとある国の国花。&lt;br /&gt;　以前その花を写真にして店に飾っておいてもらった時、黒い肌の青年が教えてくれたのだ。これは僕の国の国花です。と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　どうしてこの花がここに？&lt;br /&gt;　いや、花屋さんに並んでいたの。一番最初に私の眼に飛び込んできたからその花を買って家で写真に撮ってみたのがこれなの。&lt;br /&gt;　僕の国の国花が日本では花屋さんで売っているなんて…！&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それから彼は、この花にまつわる話をあれこれ私に聞かせてくれたのだった。それは私のまったく知らない話ばかりだった。&lt;br /&gt;　その花が今また、花屋に置いてある。そういえばあの青年は今頃どうしているんだろう。日本が好きだからできるだけ日本で勉強を続けたいと言っていた。今もあの町に住んでいるのだろうか。&lt;br /&gt;　昨日の薬が残っているせいか、足元も意識もふらふらしている。いつもならこの駅から家まで歩いて帰るのだが、今日は断念。バスで帰ることにする。&lt;br /&gt;　同じバスに乗り合わせた障害児が、奇声を上げ続けている。周囲の人たちがちらちらとその児童を見やる。ちょうど私の前の席にその児童と母親とが座っているため、その視線は私にも突き刺さるように感じられる。&lt;br /&gt;　こんな時。どうしようもなく申し訳なさを覚えるのだ。&lt;br /&gt;　こんな妊娠の状態では、障害を持った子供が産まれる可能性は高いですよ。と、私はかつて言われたのだった。それでも、とごり押しして、無理をして、産んだのが今の娘だ。娘は幸いにしてひとつの障害も持っていなかった。それはこれっぽっちの幸運だった。&lt;br /&gt;　そして今、私はまたどうしようもない申し訳なさ、罪悪感に駆られている。この子供の隣に座っているのは私だったのかもしれない。そう思うと、私は、自分はなんて幸せなのだろう、なんて幸運だったのだろうと思ってしまうのだ。健康な我が子に恵まれた、そのことに、心底安堵してしまうのだ。そんな自分が、悔しいくらいに情けない。でも、どうしようもない。これが現実。&lt;br /&gt;　家に辿り着いて数時間、ただいまぁと玄関から大きな声が飛び込んでくる。娘だ。私にチューをしてにかっと笑うと、じゃぁ行って来ますと駆け足で今度は学童に出掛けてゆく。再びひとりになった私は、本棚を少し、片付けることにする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　チッチッチッチ。ひとりきりの部屋に小さく時計の音が響く。こうしているうちにも時は刻々と過ぎてゆく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そしてもう黄昏。夕飯は何にしよう。シチューがいいか、鍋がいいか。どちらにしても、身体がぽくぽくしてくるような、あったかいものがいい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-5484920396761956849?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/5484920396761956849/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=5484920396761956849' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/5484920396761956849'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/5484920396761956849'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_5703.html' title='■こうしている間にも時は流れて'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-5843585110602465298</id><published>2008-11-10T06:51:00.001+09:00</published><updated>2008-11-10T06:51:34.083+09:00</updated><title type='text'>■濃灰色の朝</title><content type='html'>　まだ雨の残る今朝。濃灰色の帳がこの町にすとんと下りている。今日が何日で何曜日であるかということをしばし放念していた私は、部屋の中うろうろと歩き回る。時間を遡り、飛び散った記憶のパーツを掻き集め、組み立て直す。そしてようやく納得する。今日は月曜日、病院の日。&lt;br /&gt;　どうして記憶が飛んだんだったろう。それを改めて思い出し、私は苦々しい思いをかみ締める。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　親というのは、たいていが愛情過多なのではないだろうか。子の為に子の為にと先走り、自分なりの愛情を子に注ぐ。しかし、それが愛情であるうちはいい。愛情が束縛（過干渉）に変貌し、支配に変貌してゆく。しかし本人たちはそのことを決して受け入れることはない。むしろ、それを良しとしてしまうことさえある。しかしそれこそが、愛情という名のもとに行われる子に対する支配であるということ。たとえば親に監禁され、数年を過ごしたことのある者なら誰にでもそれが分かり得るだろう。&lt;br /&gt;　そんな世界では、たとえば、こんなにも一所懸命やっているのに、こんなにもこちらは努力しているのに、愛しているのに、どうしてそれを分かろうとしないんだ。そんな台詞は日常茶飯事になる。やがてそれらさえ声に出されることはなく、無言の圧力、無言の支配に変わる。それでもそれらは常に「愛」のもとに為されていると彼ら権力者は胸を張って主張する。&lt;br /&gt;　久しぶりに昨夜親からの圧力に晒されて、私は慌てた。自分が築いてきた足場ががらがらと崩れる音を聞いた。そして今朝。&lt;br /&gt;　足場はぐらぐらと揺れてはいるけれど。それでも骨組み程度は、まだ、残っていることに気づいた。&lt;br /&gt;　まだ、大丈夫。まだ、やれる。この足場はまだ、生きている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　机に向かおうとして、気づく。私のキーボードの上に、小さなぬいぐるみが二つ、ちょこねんと座っている。あぁ、娘がやったのだ。娘お気に入りのカエルのぬいぐるみが二つ。並んで座っている。&lt;br /&gt;　昨日私は不覚にも、娘の前で涙してしまったことを思い出す。その後頓服を飲んだのだった。多分娘は、私を気遣って、このぬいぐるみを私が一番に触れる場所に置いてくれたに違いない。&lt;br /&gt;　ありがとう、娘よ。&lt;br /&gt;　ねぇ娘、私はあなたにとって、どんな親なんだろう。私が親から強制されてきたような関係を、私はあなたに強制していやしないだろうか。私はいつもそのことに怯えているんだ。どうか、少しでも違う関係を、あなたと私が結べていますようにと、すがるように祈っているんだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　いつの間にか時計が六時半を指している。そろそろあなたも起きてくる頃。そうしたらいつものハグを。そして少しでも何かおしゃべりしよう。その前に私は、プランターの緑たちに水を遣るつもりだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　あぁ世界が、あの頃のように反転してしまいませんように。&lt;br /&gt;　私が周囲からの支配に負けることなく、この地にすっくと立っていられますように。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-5843585110602465298?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/5843585110602465298/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=5843585110602465298' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/5843585110602465298'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/5843585110602465298'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_10.html' title='■濃灰色の朝'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-4701978371099059350</id><published>2008-11-09T19:36:00.001+09:00</published><updated>2008-11-09T19:36:57.799+09:00</updated><title type='text'>■細い細い雨降る日</title><content type='html'>　天気予報では昨日から今年一番の冷え込みになるでしょうと繰り返していた。確かに寒い。雨もぱらぱらりと降り出した。けれど私は傘を持つのが面倒でそのままバス停へと走る。&lt;br /&gt;　バスの終点にあたる町で降りる。その町は相変わらず賑わっており。人と人が次々交差する。私はその速度に追いついていっていないのか、そもそも合わせていけていないのか、つい誰かの鞄や肩にぶつかって立ち止まってしまう。歩けば歩くほど人と交差しなければいけない当然のことに、私は途方に暮れる。&lt;br /&gt;　それでも何とか目的の文房具屋に辿り着く。そこで私はいつもの決まったノートを買う。いや、買おうとして財布を広げて気づいた。お金が足りない。&lt;br /&gt;　もう、しゃがみこむくらいの脱力感。直後、思わず嗤ってしまった。何をしているんだろう、私は。次々こみ上げてくる嗤いをどうにか抑えながら、私はレジの列を外れ、ノートを元の位置に戻す。&lt;br /&gt;　素直に帰ろう。こういう日は多分、とことんついてない。素直に家に帰ろう。こういう日はおとなしく家にいるに限る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　雨は降り続いている。細い細い雨が。乗り直したバスの窓ガラスに雨の粒が線を描く。幾筋も幾筋もそれは描かれてゆく。向こう側がやがて、その筋に滲んでゆく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　部屋に戻り、私は一番に煙草を取り出す。ベランダの縁に座り、火をつける。煙がひゅるひゅると灰色の空へと吸い込まれてゆく。それはまるであらかじめ決められた道筋であるかのように、ひゅるひゅる、ひゅるる、と。&lt;br /&gt;　左手に並ぶプランター。私は心の中今日の顛末を球根の芽たちに話して聞かせる。芽たちは一様に、けらけらと笑っているかのように吹き付けてきた風に揺れる。確かにばかげてる。たった105円だけれども足りない財布を大事に持って、そのことに気づかずいそいそと出掛けた私の姿は、ちょっと笑える。出掛けたりせず、今日はこうやってゆっくりと、植物と話したり雨を眺めたりしておくんだった。焦って行為するとろくなことがない。その証拠。&lt;br /&gt;　でも。&lt;br /&gt;　ひとつだけ思いがけないことがあったよ。人ごみの中にあの子を見つけた。もう五年は経つだろう、彼女と縁遠くなってから。でも全然変わっていなかったよ。相変わらず町を闊歩していた。その背筋はぴんと伸びていて、どこから見てもそれはすっと立つ樹のようだったよ。&lt;br /&gt;　縁遠くなった理由など、もう忘れた。ただ、私と彼女の道はいっとき交差し、やがて別れていくものだったというそれだけだ。&lt;br /&gt;　ねぇ、私は、この五年でどんなふうに変わったろう。どんなふうに変わらずにいただろう。自分では自分のことが一番見えない。私はあなたたちの目にはどんなふうに映っているのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　呼び鈴がひとつ鳴る。あぁ娘が帰ってきた。いとしいいとしい我が娘が、年老いた父母の匂いをたっぷり纏って。さぁおかえり、娘よ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-4701978371099059350?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/4701978371099059350/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=4701978371099059350' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4701978371099059350'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4701978371099059350'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_2788.html' title='■細い細い雨降る日'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-9147781764772410271</id><published>2008-11-09T08:07:00.001+09:00</published><updated>2008-11-09T08:07:54.443+09:00</updated><title type='text'>■今、風が吹いた</title><content type='html'>　ひとり眠れない夜。気付けば明け方になっていた。といってもそれは時計の上だけ。窓の外はまだまだ夜闇の中。&lt;br /&gt;　私は寝床を這い出して、ベランダに出る。そして三つのプランターのもとへ。&lt;br /&gt;　じっと見つめる。空に手を伸ばす小さな手たち、若緑色の芽たちをただ見つめる。&lt;br /&gt;　見つめていると、耳の内奥から声がしてくる。それは日本語ではなく、英語でもなく、多分世界のどの言語とも異なっている、声としか表しようのないもの。その声たちが、時に小さく細く、時に大きく太く、語りかけてくる。それはどこか、人の心臓の音に似ている。&lt;br /&gt;　私はいつの間にか目を閉じて、その音に身を任す。&lt;br /&gt;　今は。&lt;br /&gt;　無理に笑顔になる必要はない。無理に大丈夫なふりをする必要もない。変に頑張る必要もない。肩に背中に腹に足に張り付いていた不要な力を、抜けるだけ抜いて、いい。それを咎める者など、今は何処にもいない。&lt;br /&gt;　一粒、涙が出た。一粒、頬を伝って土の上に落ちた。&lt;br /&gt;　ふと思い出して、中島みゆきの「肩に降る雨」を歌ってみた。&lt;br /&gt;　そうしたらそれまで強張っていた体から力がすっと抜けて、私の周囲張り詰めていた糸という糸がすべてふっと解けて、ようやく、とくん、と、鼓動が聞こえた。&lt;br /&gt;　その時、突然電話がなる。こんな朝早くに誰からかと慌てて電話機の表示板を見る。親しい友からだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もしもし。&lt;br /&gt;　もしもし。生きてるかい？&lt;br /&gt;　あぁびっくりした、こんな時間に。どうしたの？　何かあった？&lt;br /&gt;　いや、何にもないんだけど、何となく空見てたら、空にあんたの顔が浮かんだ&lt;br /&gt;　あいやー、私の顔が？&lt;br /&gt;　ん。何かあったろ？&lt;br /&gt;　…&lt;br /&gt;　何かあったな？&lt;br /&gt;　大丈夫。今、大丈夫になった。&lt;br /&gt;　…。&lt;br /&gt;　うん、ちょっと落ち込んでたけど、今、大丈夫になった。&lt;br /&gt;　そっか。ならＯＫ。&lt;br /&gt;　そっちは？　踏ん張ってる？&lt;br /&gt;　足掻きまくりヨ。&lt;br /&gt;　ははは、同じだ&lt;br /&gt;　そうそう、同じよ、そんなもんさ&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　恐らく時間にしたら、三分も話してはいない。けれど、彼女が伝えたいこと、私が伝えたいことの全ては、十分に伝わった。多分、きっと。&lt;br /&gt;　電話を置いて、再びベランダに出れば。&lt;br /&gt;　明るくなってはいるものの、一面雲に覆われた空。でも、この雲の向こうは太陽が燦々と輝いているはず。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今、風が吹いた。さぁ今日も、一日が、始まる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-9147781764772410271?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/9147781764772410271/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=9147781764772410271' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/9147781764772410271'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/9147781764772410271'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_09.html' title='■今、風が吹いた'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-5682554171752510627</id><published>2008-11-08T18:42:00.000+09:00</published><updated>2008-11-08T18:43:12.614+09:00</updated><title type='text'>■静かな夜。樹はそこに在て、私もここに在る。</title><content type='html'>　「海辺をさまよいながらこの瞑想の流れに出会ってみたまえ。しかし出会っても追いかけてはならない。あなたが追いかけているのはすでに過去の思い出であって、それはもはや死物にすぎない。丘から丘にさまよい歩いて、あなたのまわりのすべてのものに、生の美しさと苦痛を語らせ、ついにあなたが自らの悲嘆に目覚め、終焉させるようにしてみたまえ。瞑想は根であり、花であり、そして果実である。植物の全体を果実、花、幹、そして根に分けてしまうのは言葉である。このような分離の中では行為はついに不毛に終わる。愛の行為とは全的な把握にほかならない。」（クリシュナムルティの瞑想録/ジッドゥ・クリシュナムルティ著）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　思春期の頃、思ったことがあった。言葉を知りたい。言葉を知り尽くしたい。私の心の奥の奥まで、正確に表現し尽くせるだけの言葉を知りたい。&lt;br /&gt;　自分の思いなのに正確に表現できないことが悔しかった。表現しようとすればするほど何かが違うように思えて、そのことが私を余計に憤らせた。誰かと何かを話していて、その時に話したそばから自分の思う通りに伝わっていないことを知るほど、もどかしくて仕方なかった。私の思いを正確に伝えるためには、正確に残すためには、言葉が必要なのだ、言葉がなければ生きていけない、ありとあらゆる言葉を知って、それを使って私は私の内奥を表現し尽くしたい。そう思っていた。&lt;br /&gt;　でも。そうやって何処までも何処までも言葉を追いかけて、知ったのは、言葉は所詮言葉でしかないということだった。そこに言葉が在る、存在する、というその時点で、そのモノの新鮮さは瞬時にして失われ、つまり私の中にそれまであった脈打つ音は消え去り、化石のような何者かが残されるだけなのだった。&lt;br /&gt;　言葉ですべてを語り尽くすことは出来ない。言葉でいくら細部をこと細かく表現したとしても、私はその時点で、表現したかった筈の何者かの全体像を失ってしまっている。そのことに気づいたのは、ずいぶん歳を重ねてからだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今娘の成長を間近で見つめていて、気づくことがある。それは、彼女の成長が次々に私に見せるその姿が、私を癒すというそのことだ。&lt;br /&gt;　彼女が泣く。笑う。へこむ。喜ぶ。そういった姿をこうして一歩離れたところから見つめていると、彼女の姿のずっとむこう側に、何かの姿がふっと浮かぶことがある。すると私の中で何かがすっと流れ去ってゆく。そしてその後に残るのは、小さな小さな光る石、ただ一つ。&lt;br /&gt;　その光もやがて消え、ただの石になったとき、私はその石を拾う。拾って、この掌の上で転がしたり握ったり。そして私はさよならをする。&lt;br /&gt;　そういえばこんなこともあったね、あんなこともあったね、と。&lt;br /&gt;　でももう大丈夫。私はあんなこともこんなことももう手離しても大丈夫。歩いていける。だから、さようなら。&lt;br /&gt;　疵、というそれらが、こんなにもあたたかく見送ることができるものだとは、知らなかった。もっと痛くて辛いものだと思ってた。いや、そもそも、見送ることができる代物だなんて、これっぽっちも信じたことはなかった。&lt;br /&gt;　でも。&lt;br /&gt;　見送ることができるのだな。こんな私にも。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　静かな夜。樹はそこに在て、私もここに在る。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-5682554171752510627?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/5682554171752510627/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=5682554171752510627' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/5682554171752510627'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/5682554171752510627'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_5055.html' title='■静かな夜。樹はそこに在て、私もここに在る。'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-358631039402670042</id><published>2008-11-08T06:40:00.001+09:00</published><updated>2008-11-08T06:40:37.228+09:00</updated><title type='text'>■なんとなく</title><content type='html'>昨晩、ムスメを抱きしめてみた。&lt;br /&gt;唐突に思いついた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;寝入ったばかりのムスメは、私が多少体重をかけようと、びくともしない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ちょっと寂しくなった。&lt;br /&gt;なので、名前を呼んでみた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;全然起きない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もっと寂しくなった。&lt;br /&gt;なので、無理矢理起こしてみた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ぱっと目を開けた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;起きたかと思ったのに。&lt;br /&gt;起きたわけじゃなかったらしい。目を一瞬開けただけで、そのまま寝ちゃった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ちょっと笑った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;笑ってみたら、寂しいのがすとんと落ちていった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一人じゃなかなか笑えないけど&lt;br /&gt;誰かがいればぱっと笑えたりする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;意地を張ったり、大げさに振舞ってみたり、&lt;br /&gt;いろいろあるけど、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;できるなら等身大で、&lt;br /&gt;寂しいなら寂しいといえる人間でありたい。&lt;br /&gt;嬉しいなら嬉しいといえる人間でありたい。&lt;br /&gt;そして笑える時は素直に&lt;br /&gt;笑える人間でありたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ムスメよ、眠りの邪魔をしてごめんな。苦笑&lt;br /&gt;ありがと。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-358631039402670042?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/358631039402670042/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=358631039402670042' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/358631039402670042'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/358631039402670042'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_08.html' title='■なんとなく'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-54744203191182697</id><published>2008-11-07T17:51:00.001+09:00</published><updated>2008-11-07T17:51:47.939+09:00</updated><title type='text'>■懐かしく切ない匂いが重なってゆく</title><content type='html'>　父母の家から帰宅したばかりの娘の身体からは、もう遠い昔、嗅ぎ慣れた祖母を思い出させる匂いがする。&lt;br /&gt;多分これは、今の父母の匂いなのだ。&lt;br /&gt;もうそんな、歳になったのだ、父母も。&lt;br /&gt;いや。&lt;br /&gt;祖母は私が中学二年のときに死んでしまった。祖母はまだ七十に手の届かない歳だった。&lt;br /&gt;もう父はその祖母の歳を越え、母もその歳に近づいている。&lt;br /&gt;だから本当は、祖母よりも父母の方が年老いているといってもいい。&lt;br /&gt;三十と少しから癌を患い続けた祖母よりも。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;でもどう見ても、数少ない写真の中の祖母の顔と母の顔をどう重ね合わせてみても、母の方が若く見えてしまう。それはきっと私が母の年齢を軽く見ているからなんだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;生きているうちに親孝行を。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そんなことを常々思う。&lt;br /&gt;しかし現実には、実家へと娘を行き来させるのが精一杯だったりする。&lt;br /&gt;でも。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;父も母ももう年老いた。&lt;br /&gt;あと僅かしか時間は残されていないのだ。&lt;br /&gt;そのことを、&lt;br /&gt;日毎に色濃くなるこの匂いが、私に教える。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-54744203191182697?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/54744203191182697/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=54744203191182697' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/54744203191182697'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/54744203191182697'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_2568.html' title='■懐かしく切ない匂いが重なってゆく'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-2341087127799070199</id><published>2008-11-07T08:59:00.000+09:00</published><updated>2008-11-07T09:00:08.638+09:00</updated><title type='text'>■笑顔にだってなれる</title><content type='html'>　いつの間にか雨が降り出し、そして止んだ。朝、アスファルトがしっとりと濡れている。空はどんよりと重く暗い。そんな中であっても、娘は半袖でいってきますと飛び出してゆく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　熱い紅茶を入れて、机へ。昨日の出来事振り返る。&lt;br /&gt;　久しぶりに人に対して腹を立てた。情けなくもあった。この歳にもなって平然と約束を放棄し、その上自分の親に頼んでもう時間もとうに過ぎた後に断りの電話を掛けてくる。その神経が信じられなかった。&lt;br /&gt;　一晩たってではどうなったかといえば。&lt;br /&gt;　腹はもう立たない。でもどうでもいいとまでは言えない。苦々しい気持ちが紅茶と共に口の中に広がる。&lt;br /&gt;　こんな時。&lt;br /&gt;　私より娘の方がドライだ。約束を破るような人とは距離を置く。当たり前の選択を当たり前に選び取る。そして、必要があれば黙ってじっと見ている。&lt;br /&gt;　私はといえば、その選択に躊躇いを覚え、迷ってしまう。同時にそういう自分を持て余す。何とも弱い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この頃特に思う。心の病気を抱えている人と付き合うのには、よほどの距離感を持たねば無理だなということ。もっと細かく言うと、もはや病気とはいえない程度の症状にまで回復しているのに何かあればすぐかつての病気に逃げ隠れしようとする人とは、距離を持たねばならないということ。冷酷なようだが、自分の生活を守るためには、それが必要なんだと、事ある毎に痛感させられる。&lt;br /&gt;　私の周りには心の病を抱えた人が結構いる。そういう人との付き合いは別に苦でもない。私自身まだ薬を飲むことが日常に必要だし、病院通いも必要な身分だ。共感できる部分はたくさんある。共有できる部分もたくさんある。&lt;br /&gt;　しかし、病気に逃げるか逃げないかは別だ。同じ病気を抱えていても、それは個人で全く違う。ベクトルが違う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私はここに甘んじているつもりはない。いつか克服する、いつか全てを解放すると信じて止まない。たとえ生きている間にそれが叶わないとしても、それを諦めるつもりは露ほどもない。だから、そうじゃない人との交わりは、こちらが呑まれない程度にしないと、自分がしんどくなる。&lt;br /&gt;　ずるいかもしれないが、自分がしんどくなってまでのつきあいを、もうしたいとは思わない。&lt;br /&gt;　私は回復したい。だからそれを諦めない。足枷になる関係は断つ。&lt;br /&gt;　それだけのことだ。そう、それだけのこと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そこに迷いを覚えてしまうのは、私の弱さだ。私は私と娘との生活を、その安定を何よりも望んでいるのだから。私がその関係で不安定になったら、この小舟はどうなる？　そんなこと、誰にでも分かり得る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここまで書いてきて、それでもまだ、迷っている自分がいることを私は痛感している。でももう、昔のように、関係の緒をひたすら持ち続けることは、しないのだろう。悲しいかな、そんなことをしていたら、私は、私たちの舟は沈没してしまうから。&lt;br /&gt;　だから手放す。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　まだカップに残る紅茶はすっかり冷えた。今日一日くらいこの苦々しい思いは口の中広がったままかもしれない。でも。&lt;br /&gt;　我が娘のようにさらりとかわせないまでも、えいやっと断つことくらいはできるだろう。私にだって。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そう。私はちっぽけな人間だ。ちっぽけだから必死に生きてる。じたばたもする。でも、諦めの悪さだけはとびっきりだ。私は生き続けたいのだから。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　こんな天気の日は、つい俯きがちになる。だから、娘を真似て鏡の中まっすぐ前を向いてみる。さぁ背筋を伸ばしてしゃんとして。&lt;br /&gt;　ほらごらん、その気になれば、笑顔にだってなれるよ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-2341087127799070199?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/2341087127799070199/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=2341087127799070199' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2341087127799070199'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2341087127799070199'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_07.html' title='■笑顔にだってなれる'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-7761293803493986098</id><published>2008-11-06T17:33:00.002+09:00</published><updated>2008-11-06T17:34:06.611+09:00</updated><title type='text'>■「大好き」</title><content type='html'>娘の日記帳の終わりには毎日、「ママ大すき！」という言葉が書いてある。&lt;br /&gt;自分が彼女の年頃、ママ大好きと声に出して言えたかといえば、私は言えない子供だった。家族全体が、捩れた愛情に沈黙を続けるしかない、まだ我が家はそんな家だった。家族全体が捩れ軋んで、見えない悲鳴を上げ続けていた。&lt;br /&gt;でも。&lt;br /&gt;ちょうど彼女の歳から三十年を経て。私たちは彼女を挟んでそれぞれに今、捩れを解き始めている。&lt;br /&gt;長い長い年月がそこには横たわっていて、ひとっ飛びにどうにかできるものでは、ない。けれど。&lt;br /&gt;解ききれないと諦めてしまえば全てはそこで終わる。&lt;br /&gt;だから多分、諦めないのだろう、私たちは。生きている限り。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;大好き。&lt;br /&gt;今、娘のように声を上げて両手を差し出してそんなことを言えるほど、私はまだ素直にはなれない。&lt;br /&gt;でも、多分、愛しているよと、その後姿に向かって、呟くくらいは、できる。多分、きっと。&lt;br /&gt;だからいつかきっと。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' 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rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-7162040812063128420</id><published>2008-11-06T09:37:00.001+09:00</published><updated>2008-11-06T09:37:43.798+09:00</updated><title type='text'>■今一度並木道を振り返り、</title><content type='html'>写真展を今催している喫茶店の、最寄の駅を南に降りると、それは見事な銀杏並木がまっすぐ南へ伸びている。時期が来れば毎年、すっぽりと黄金色に色づいて、並木道を歩くと、それを眺める私たちは一寸した異世界へ誘われる。けれど今年、その色づきが非常に遅い。まるで色づくことを樹たちが忘れてしまったかのように、いまだ青々とした葉を茂らせている。季節と季節の、見えない境界線が少しずつ、歪んでいっているようで、私は一抹の切なさを覚える。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;会場で誰かしらと会い、作品を挟んで話をする。この時の幸福感を言葉で表すのは難しい。たとえそれが作品の批判であっても、それらはいずれすべて、私の次の制作の原動力となる。&lt;br /&gt;今日も数人の人との出会いを得ることができた。この時間を私にくれたすべてのものに、感謝を。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今頃娘は学童に向かっている時間だろう。私は写真の前にこうしていながら、娘のその姿を想像する。今日は幼稚園の子供たちに紙芝居を見せに行く日でもあった。無事成功したのだろうか。終わりの挨拶もちゃんとできただろうか。今から彼女の報告を聞くのが楽しみでならない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;帰り道。もうすっかり黄昏れた空。今一度並木道を振り返る。濃紺色の影々は今何を想う。そうだ、近いうちにまた樹を抱きに行こう。そして耳をそっと寄せて、あの何ともいえない内奥から沸き立つ音を聴くんだ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-7162040812063128420?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/7162040812063128420/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=7162040812063128420' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/7162040812063128420'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/7162040812063128420'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_06.html' title='■今一度並木道を振り返り、'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-1028062188685278016</id><published>2008-11-05T20:48:00.001+09:00</published><updated>2008-11-05T20:48:23.353+09:00</updated><title type='text'>■一瞬一瞬を丁寧に生きていれば</title><content type='html'>梨木香歩氏の作品に出会ったのは、「春になったら苺を摘みに」が最初だった。淡々としていながらも丁寧なエッセイで、その世界観に一挙に引き込まれた。以来、彼女の作品が出るたび、本屋に走る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;あれはいつだったろう。今年の夏のはずなのだが、もう遠い昔に思える。&lt;br /&gt;徹夜明け、仕事に出かけた後、時間を見つけて映画館へ。&lt;br /&gt;「西の魔女が死んだ」を友人と観た。&lt;br /&gt;実に原作に忠実に仕上がっていて、原作者梨木香歩氏のファンである私にとっても心地いい作品だった。&lt;br /&gt;その友人と、家でU2のライブビデオなぞを見ながらそうめんをすする。&lt;br /&gt;そうめんって何故あんなに食後におなかが膨れ上がるのだろう。蕎麦は食べている最中に満腹感を感じられるから適度なところで食べ終えられるのだけれど。そうめんはつるつると勝手に胃に滑り落ちてきてしまうから困る。友人も同じだったらしく、食後、おなかが苦しい、おなかが苦しいと、二人して繰言してしまった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一日一日の小さな変化を楽しみたいから先のことを知る必要は私にはないのよ。と言った台詞が先の作品の中、祖母の台詞として出てくる。&lt;br /&gt;私は思わず深く頷いてしまう。&lt;br /&gt;不安があると、つい、先のこと先のことを知りたがって駆け足になってしまう。&lt;br /&gt;でも、そんな必要は本当はないのだ。おそらくは。&lt;br /&gt;一瞬一瞬を丁寧に生きていれば、じき、おのずと答えは出るのだろうから。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-1028062188685278016?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/1028062188685278016/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=1028062188685278016' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1028062188685278016'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1028062188685278016'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_05.html' title='■一瞬一瞬を丁寧に生きていれば'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-2511768687312610015</id><published>2008-11-04T18:02:00.000+09:00</published><updated>2008-11-04T18:03:08.319+09:00</updated><title type='text'>■あの坂をのぼりきれば</title><content type='html'>　身を起こしたのは午前五時。布団から出ると身体がぶるりと震える。部屋に横たわる冷気を振り払うようにして私は勢いよく顔を洗う。今日は晴れるだろうか。まだ眠っている娘を気にしながら私は窓を半分開ける。&lt;br /&gt;　徐々に徐々に空が明るくなってゆく。ふと気付けば。明かりをつけていた部屋の方が暗くなるほどの眩しい光。そこらじゅうで弾け飛ぶ光の粒。私はベランダのプランターたちに駆け寄る。東から伸びてくる光の筋が、葉々を包み込む。近づいて見つめれば、葉の細毛が白く輝いている。&lt;br /&gt;　相変わらずの半袖姿で玄関を飛び出していった娘の後を追うように、私も家を出る。もういい加減通い慣れた、歩道のない道ばかりが通る町へ出掛ける。通い慣れているけれど、それでも私は混んだ電車の中で今日も猛烈な所在無さに襲われる。この電車の中の何処に自分の場所を据えていいのか分からず、時間が進むにつれ激しくなる動悸を抱えながらひたすら窓の外を見つめる。こんな時は鞄の中に常に入れている本さえ手にすることができない。そして、自分の居場所を今日も得ることができぬまま、私は押し出されるようにしてようやく電車を降りる。&lt;br /&gt;　用事を済ませた帰り道はひとつ手前の駅で降りて私は歩く。歩き出せば、こんな暖かな日は上着などすぐに要らなくなる。&lt;br /&gt;　細い川を渡る小さな橋の上でいっとき立ち止まる。さやさやと流れる水は小さな漣を描き、海へと続いてゆく。相変わらず塵がところどころに浮かんでいるけれど、それでも流れ続ける。光が乱反射し、私の目を射る。見上げれば真っ白な空。こんな町中ではもちろん、まっすぐな地平線など望むべくもない。&lt;br /&gt;　それでも私はこの町が好きだ。生まれ育ったこの町。ちょっと裏道に入れば猫の額ほどではあってもまだ空地の残る、人と人が適当な距離をもって存在し得るこの町が好きだ。&lt;br /&gt;　そういえば娘が日記に書いてきた。明日は近くの幼稚園に行って紙芝居をするの。上手に読めるように今日はいっぱい練習するんだ。&lt;br /&gt;　今頃娘は教室で、練習しているんだろうか。紙芝居は手作りだと言っていた。どんな紙芝居に仕上がっているのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　こんな季節だというのに10分も歩き続ければ額に汗の粒。でも大丈夫、あの坂をのぼりきれば。自然、深呼吸をひとつ。そう、もう大丈夫。安心してくつろげる我が家はもうすぐだ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-2511768687312610015?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/2511768687312610015/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=2511768687312610015' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2511768687312610015'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2511768687312610015'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_04.html' title='■あの坂をのぼりきれば'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-1263557182046480502</id><published>2008-11-03T17:07:00.000+09:00</published><updated>2008-11-03T17:08:13.106+09:00</updated><title type='text'>■もうすぐだ。私の愛する真冬はもうすぐ</title><content type='html'>　いつ雨が降り出してもおかしくないような雲模様が朝からずっと続いている。こんな日は空が低すぎて、息をするのが少し苦しくなる。誰にも見つからないように、誰にも知られぬようにこっそり息をしないといけないかのような錯覚に囚われる。だから私は今日少し窒息気味だ。&lt;br /&gt;　朝、仕事絡みで話をした人からヒントを得て、私はあれやこれや自分の写真を引っ張り出す。昔のものと今のものを見比べてみたり、どうしても納得いかなければ焼き直してみたり。そして写真の出来上がりに葛藤する。&lt;br /&gt;　文章でも写真でも音楽でも、簡潔・明瞭がいい。ただ、私は削ぎ落としすぎる。削ぎ落としすぎて、余白ができる。その余白が本体を映えさせ得るときと、逆に本体を潰すときとがあることを、私はすっかり失念していた。そのことを痛感させられる。当たり前だが、何でも削ぎ落とせばいいというわけではないのだ。そうなったら、一度、基本に立ち返る必要があるのかもしれない。写真で言えばそう、私が削ぎ落としてきた中間の部分を、中間の部分そのままに残しておくことも、大事なのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　洗濯物を干そうと窓を開けて気付いた。ラナンキュラスの芽が開いている。それはまだまだ小さな小さな葉体だ。まるで赤子がその小さな手を空に向かって精一杯伸ばし広げているかのよう。右の人差し指でそっと、輪郭を撫でてみる。葉がぷるりと震える。あぁこんな時、太陽がさんさんと照っていれば。私は低く垂れ込める空を見上げ、葉と同じようにぷるりと肩を震わす。&lt;br /&gt;　でも。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もうすぐだ。私の愛する真冬はもうすぐ、やって来る。そしてこの球根や裸樹と共にきっとこの冬も私は越えてゆく。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-1263557182046480502?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/1263557182046480502/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=1263557182046480502' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1263557182046480502'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1263557182046480502'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_03.html' title='■もうすぐだ。私の愛する真冬はもうすぐ'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-6451894083329145736</id><published>2008-11-02T19:52:00.000+09:00</published><updated>2008-11-02T19:55:35.899+09:00</updated><title type='text'>■セピア色の喫茶店</title><content type='html'>　娘の留守の日曜日。ぽかんと空いた日曜日。私は通い慣れた喫茶店へ足を運ぶ。途中古本屋に立ち寄り、適当に一冊を選ぶ。その喫茶店は、入り口の扉がちょっと小さい。だから入り口を潜るようにして中へ入る。ミルクティを頼んで、私はしばらく小窓の外を眺める。&lt;br /&gt;　駅前でお祭りをやっているせいだろう。りんご飴を舐めながら歩く人、たこ焼きを口に投げ入れながら歩く人、そんな姿が行き来する。小さな子供は、自分の頭より大きな綿菓子の袋を大事そうに抱えている。&lt;br /&gt;　店にはこの前来た時一緒になった女性客が持ってきた、ストロベリーチョコレート・コスモスという色の花が細い細い花瓶に飾ってある。何とも深みのある色合い。それが、この喫茶店の、少し煤けた壁や椅子とほどよく調和している。&lt;br /&gt;　一人の客は私だけ。本を広げてみたものの、しばし、他の客たちのおしゃべりにこっそり耳を澄ます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「Ｂ型の人ってほんとマイペースだよね。好きなことしかしないって感じ」&lt;br /&gt;　「そうなんじゃないの」&lt;br /&gt;　「この前突然「葬式に出るんだけど喪服が皺だらけだからアイロンかけて」って頼まれた、Ｂ型の人から」&lt;br /&gt;　「何それ、で、どうしたの」&lt;br /&gt;　「かけてあげたよ」&lt;br /&gt;　「頼む方もおかしいけど、かけてあげるのもおかしいんじゃないの」&lt;br /&gt;　「えー、そうかな、だってたいしたことではないし、別にいいと思ったんだもの」&lt;br /&gt;　「そういう相手を嗅ぎ分けるのがうまいのもＢ型かもしんないな」&lt;br /&gt;　「そういうもんかなぁ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「ねぇ、明日どこ行く？」&lt;br /&gt;　「明日は日帰り温泉でも行こうか」&lt;br /&gt;　「わぁ、いいなぁそれ」&lt;br /&gt;　「近場なら大丈夫だろ」&lt;br /&gt;　「嬉しい！」&lt;br /&gt;　「今日は早めに帰ろう」&lt;br /&gt;　「うん」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「トツさん、久しぶり！」&lt;br /&gt;　「おお、久しぶりですねぇ」&lt;br /&gt;　「俺、毎日ここ来てたんだよ、全然会わなかったけど」&lt;br /&gt;　「ちょっと身体壊してたんですよ」&lt;br /&gt;　「あら、大丈夫なの」&lt;br /&gt;　「ええ、もう大丈夫。ただの風邪だったみたいで」&lt;br /&gt;　「朝晩冷えるからねぇ」&lt;br /&gt;　「熱とかはなかったんですけどね、おなかが何とも。あと鼻水」&lt;br /&gt;　「そうだったんすかぁ。いやぁ会えてよかった」&lt;br /&gt;　「ははははは」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それぞれがそれぞれに、とても楽しげな表情で会話を続けている。あまり耳をそばだてすぎると、自分も一緒に笑い出してしまいそうになるから、私は慌てて本に目を落とす。濃い目のミルクティが、とてもおいしい。&lt;br /&gt;　あっという間に一冊を読み終える。「福音の少年」。そういえば、かつてこの登場人物である少年たちのような関係を、私は誰かと結んだことがあったっけ。もう遠い記憶にうずもれた相手を、後姿で思い出す。そう、あの人だった。そして私たちはどういう終わりを迎えた？　私はだいぶ冷えつつあるミルクティを口に含みながら、やわらかく当時のことを思い返す。まだ十五、十六の、ちょっと触れられるだけで痛みを覚える年頃だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　帰り道、私もお祭りの賑わいに紛れてみようかと思ったが、やめた。なんだか娘に悪い気がして。&lt;br /&gt;　今日はこのまま帰ろう。そして娘に電話しよう。明日会えるね、と。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-6451894083329145736?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/6451894083329145736/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=6451894083329145736' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6451894083329145736'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6451894083329145736'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post_02.html' title='■セピア色の喫茶店'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-7985537238653318841</id><published>2008-11-02T01:22:00.001+09:00</published><updated>2008-11-02T01:22:54.427+09:00</updated><title type='text'>■今頃部屋ではアオツメクサが咲いている</title><content type='html'>　朝一番に娘と自転車で街を走る。昨日のあの重たげな雲は何処へいったのやら、今朝は冷えてはいるがとても気持ちのいい空だ。自然、漕ぐ足も軽やかに動く。&lt;br /&gt;　昨日嗅いだ銀杏の匂いを思い出し、娘と共に並木の下に行く。娘が途端に悲鳴を上げる。&lt;br /&gt;　何この匂い。&lt;br /&gt;　ギンナンの匂いだよ。ほら、ここに落ちて潰れてるのがある。&lt;br /&gt;　この匂いキライィ。&lt;br /&gt;　ふふ。まぁ好きな人はあんまりいないよね。でも。&lt;br /&gt;　でも、なぁに？　ママは好きなの？&lt;br /&gt;　好きってわけじゃないけど。秋の終わりを教えてくれる匂いだよ。&lt;br /&gt;　うーん。でも、この匂いヤダ。&lt;br /&gt;　ふふふ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私たちは海の公園まで走り、ひとしきり小さな飛沫をあげる波を眺め、家路につく。&lt;br /&gt;　途中、ふと鮮やかな青色を道端に見つける。アオツメクサだ。もう少しで見落とすところだった。私たちは自転車を止め、一輪二輪、摘んでみる。もったいないからこれだけね、と視線を交わし、ふふふと笑って再び自転車を漕ぐ。そろそろ時間だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　週末娘はたいてい私の実家へ遊びに行く。決まった時間に電車に乗せないと、実家から電話がかかってくる。待ち侘びているのだ、じじばばが。&lt;br /&gt;　ほら、髪の毛結って。歯磨いて。支度はできたの？　娘を急かしながら私はたびたび時計を見やる。そろそろ電話が鳴る。その前に家を出ないと。&lt;br /&gt;　ママ、準備できた！　娘のその声で玄関を二人して飛び出す。休日の朝からなんでこんなに急いでるんだろうねと苦笑いしながら、私たちは駅までの道を走り出す。&lt;br /&gt;　ねぇママ。夜にはちゃんと電話ちょうだいね。うん、わかった。絶対だよ。うん、約束。じゃぁね、ママもいってらっしゃい。じゃぁまたね。&lt;br /&gt;　電車の窓越し、お互いに姿が見えなくなるまで手を振り合う。しばしの別れ。私は仕事場へ向かう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今頃部屋では、アオツメクサがひっそりと、咲いている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-7985537238653318841?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/7985537238653318841/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=7985537238653318841' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/7985537238653318841'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/7985537238653318841'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/11/blog-post.html' title='■今頃部屋ではアオツメクサが咲いている'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-2859188509733004848</id><published>2008-10-31T17:06:00.000+09:00</published><updated>2008-10-31T17:08:03.369+09:00</updated><title type='text'>■銀杏の匂いまでもが満ち満ちてくる</title><content type='html'>毎朝窓を開けて空を見る。日毎、高くなってゆくのが手に取るように分かる。それは冬の訪れ。十月中旬に植えた球根は、徐々に徐々に芽を伸ばし、今ではもう三センチほどの長さを持つものもいる。当たり前のことかもしれないが、球根がそれぞれの形をしているように、それぞれの芽を持っていることが、こうして見ているととても不思議な、そして尊いものに思えてくる。多分、そう、それは人も同じ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;来年の展覧会が二つ決まった。一度目は三月で個展、二度目は六月で二人展だ。もうすでにテーマは決まっている。テーマが決まっていればあとはそこに集中するだけだ。今まさに別の場所での展覧会の真っ最中だけれども、同時進行で、ゆっくりと制作を進めていけたらいい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;作業の手を止めてふと窓の外を見やれば。なんとも妖しい雲ゆき。朝のうちあれほど美しい鱗模様を描いていた雲が今は、重灰色一色になり隙間なく空を覆っている。しばらく眺めていても、びくりともしない。私は再び作業に戻ることをやめ、何ともなしに玄関を出る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;最近音を紡ぐ機会が多くなった。私の場合、それは写真と似ている。あるのは、ある瞬間瞬間に浮かんでくる光景を、撮るか紡ぐか、その違いだけだ。&lt;br /&gt;それを何処まで高みに昇華させられ得るか。全ては自分に手にかかっている。&lt;br /&gt;全て自分にかかっているということは、ある意味とても容易い。責任を全て自分で取り得るからだ。共同作業になるとそうはいかない。責任がそれぞれにかかってしまう。&lt;br /&gt;数日前、そんな共同作業を放棄する人を見かけた。確かに、見切りをつけることも実力のうちのひとつだろう。でもそれならば、私は、最初から最後まで一人で負いたい。共同作業の上で放棄はしたくないとつくづく思う。見切りをつけた側はいいかもしれないが、つけられた側、遺された側はたまったものじゃないことを、もうこの歳になれば自分はいやというほど痛感している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一抹の侘しさを感じつつ、自転車を漕げば。&lt;br /&gt;あぁなんて空が低い。息苦しいほど。&lt;br /&gt;あの並木からここまで銀杏の匂いまでもが満ち満ちてくる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-2859188509733004848?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/2859188509733004848/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=2859188509733004848' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2859188509733004848'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2859188509733004848'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/10/blog-post_31.html' title='■銀杏の匂いまでもが満ち満ちてくる'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-3151430544439839158</id><published>2008-10-30T18:02:00.001+09:00</published><updated>2008-10-30T18:46:59.241+09:00</updated><title type='text'>■落ち葉は木の子供</title><content type='html'>娘が日記帳に書いてきた。&lt;br /&gt;「さいきん、木とお話できるようになったんだ。それでね、落ち葉は木の子どもなんだって教えてもらったの。うれしかった。ずっと木とお話したかったんだ！」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;木とお話できるなんて、なんて素敵なこと。&lt;br /&gt;私もひととき、木との対話でどれほど心救われたことか。&lt;br /&gt;そのことを、改めて思い出した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私はいつも、幹に耳をつけて、目を閉じて、&lt;br /&gt;木の鼓動に耳を澄ましていた。&lt;br /&gt;そうやって、木と対話していた。&lt;br /&gt;娘はどんなふうにして、木と対話しているのだろう。&lt;br /&gt;どきどきする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;いまどきの子どもらしく、娘の日記には、絵文字というか顔文字がたくさん出てくる。&lt;br /&gt;そのたび「ママ、これ、わかんない」と脇に書く。&lt;br /&gt;（本当に私は顔文字というものを知らない・・・汗）&lt;br /&gt;そして最後に、日記へ返事を書く。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;半分、交換日記のようになっているけれども、それでいい。&lt;br /&gt;まだ二日。始まったばかり。&lt;br /&gt;これからどんな言葉が、声が、このノートから聞こえてくることになるのだろう。&lt;br /&gt;私はそれが、楽しみで仕方がない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-3151430544439839158?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/3151430544439839158/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=3151430544439839158' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/3151430544439839158'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/3151430544439839158'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2008/10/blog-post.html' title='■落ち葉は木の子供'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-1619468700425834528</id><published>2007-07-12T01:28:00.000+09:00</published><updated>2008-10-31T01:29:11.165+09:00</updated><title type='text'>包帯クラブ　The Bandage Club/天童荒太</title><content type='html'>　「こっちも、と彼女が別の場所を指す。わたしたち家族が昔、サンドイッチを食べたテーブルの、パラソルの柄の部分にも、包帯が十センチほど巻かれていた…（中略）　大したことではなく、ほんのささいな包帯のひと巻きだった。　でもそれは、確かにこの場所、ここの風景が、傷を受けていた証のように思えたし、同時に、しっかり手当てをしてもらえた跡に見えた。　そうなんだ、ここにはやっぱり、わたしや、わたしの家族の血が流れていたんだ。　気づかないふりをしていたけど、わたしは傷を受けていた…大したことじゃないと思い込もうとしていたけど、奥深いところに刺さったトゲのように痛みを発していた。　でも、いまはその傷を認めてもらえた。あなたの傷なんだと言ってもらえた。そして、包帯が巻かれている。完全に治ったわけじゃないけど、少なくとも血は止めてもらえた。　その感じが、なんだかとてもほっとした。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　何気ない文章で書かれているが、この部分はこの作品を読む上で非常に大切なことのような気がしてならない。&lt;br /&gt;　目には見えない傷、不確かな傷、誰とも共有することができない傷が、一体どのくらいあるのだろう。生きていればどうやっても傷だらけになる。傷つくたびに泣いていたら、恐らく一歩も動けなくなる。でも。&lt;br /&gt;　もしこんなふうに、包帯を誰かが巻いてくれたなら。どんなにほっとするだろう。見ないふり、気づかないふり、知らないふりをして通り過ぎなければならなかった傷たちも、それで癒される。見ないふりをしなくてもすむ。&lt;br /&gt;　少年少女たちが営む思春期の一場面を、著者は実に鮮やかに描き出してくれる。&lt;br /&gt;　そして後半、こんなフレーズを見出すことができる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「　甘いなりに多くの傷を受けながら、それでも生きることを引き受けるなら、自分のためでなく、それがだれかのためでもあるのなら、自分たちが最もしてほしくて、でも本当にあるのかずっと疑っていた、口にするのも恥ずかしい、例のアレが、そこには存在しているってことになるんじゃないだろうか。　」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これを、君はあなたは、物語の中で、どんなふうに読み、感じるのだろう。　これを書いている作者のことを考えてしまうと、ひねくれた私なぞは、どうしても、物分りの良すぎる大人の描いた物語じゃぁないか、などと嘯いてみたりしたくなる。&lt;br /&gt;　が。その実、私は物語が進むにつれ、涙をぼろぼろ零しながら読んでいたのだから、それこそ我が身を嘲笑うしか術がない。&lt;br /&gt;　そうだ。&lt;br /&gt;　物分りが良すぎようと、カッコつけすぎだろうとクサかろうと、キレイゴトだろうとたかが物語だろうと、そんなこたぁどうだっていいんだ。&lt;br /&gt;　じゃぁそんなあんたは君は私は、「例のアレ」を知っているのか、堂々と口にできちゃったりするような人間なのか、何より、「生きることをどうであろうといかなるときも引き受けているか」。&lt;br /&gt;　--------ただ、それに尽きるだろう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-1619468700425834528?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/1619468700425834528/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=1619468700425834528' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1619468700425834528'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1619468700425834528'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2007/07/bandage-club.html' title='包帯クラブ　The Bandage Club/天童荒太'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-4095748360589091837</id><published>2007-07-11T01:28:00.000+09:00</published><updated>2008-10-31T01:28:21.536+09:00</updated><title type='text'>沈黙博物館/小川洋子</title><content type='html'>　形見という代物を、一つでも持ってみると、それがどれほど重たく貴重な代物であるのか痛感する。私自身、形見というものを幾つか持っている。この本を読みながら、思わずそれらがしまってある場所に手を伸ばしたら、とても痛い目にあった。何が痛いのか。それは人それぞれかもしれないが、私の場合、そこで終わってしまった命の断面が、ありありとその代物に刻み込まれていて、そこに触れるのが痛いのだ。私の場合、恐らく、その形見というのが、病死や自然死のケースよりも自殺というケースが多いせいなのかもしれないが。ここで断たれてしまった命、その断面。飛び立った或いは墜落し飛び散った血飛沫が、なまなまと、ありありと、私の網膜に蘇ってくる。それが痛い。それでいながら、一方で、何処までも何処までも愛おしい。それは、かつて培った緒を形見という彼らが、まるで証のように顕しているから。&lt;br /&gt;　沈黙博物館は残酷だ。老婆が背負った仕事はあまりにも重い。何故なら、自らと緒を結ぶことが殆どなかった人間たちの生き様さえも記憶に留めなければならなかったのだから。それを紐解くという作業も、一体どれほどのものだったか。想像すると、思わず本を閉じたくなる。同時に、あぁこの「技師」というのは、この街に辿り着いた時点でもう、この世の人間ではなくなったのだな、と、私にはそう感じられた。　老婆を軸にしてその屋敷に集った者はみな、もうこの世とは離れてしまった人間たちに思えてならない。皆それぞれに背負った仕事。でもそれは、この世に存在しては恐らく為しえなかった仕事。&lt;br /&gt;　残念なのは、物語の後半だ。老婆の仕事を技師が受け継ぐ。その辺りのところが明確に描かれていないことで謎が謎を呼んでしまう。できるなら、ここできっかり、この場所が屋敷がそしてそこに集まらざるを得なかった登場人物たちが、なにゆえにここに行き着いたのか、私はそれが知りたかった。&lt;br /&gt;　後半の緩みは、作者の意図したものなのか。それを知る術は一読者の私にはないのだけれども、もしそれが意図したものであるのであれば。　それは、どちらにでも解釈できると同時に、そのどちらにも定義づけることができない、この世とあの世の狭間に沈黙博物館があるということか。&lt;br /&gt;　全ては、読み手に委ねられている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-4095748360589091837?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/4095748360589091837/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=4095748360589091837' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4095748360589091837'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4095748360589091837'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2007/07/blog-post.html' title='沈黙博物館/小川洋子'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-6386526813805530045</id><published>2005-02-17T01:26:00.000+09:00</published><updated>2008-10-31T01:27:27.917+09:00</updated><title type='text'>相手不在の恋愛～ 中沢けい著 「手のひらの桃 」を読む</title><content type='html'>　十代で書いた「海を感じる時」が群像新人文学賞を受賞して以来、マイペースで今も書き続けている作家の一人に、中沢けい氏がいる。どこにでも転がっている日常の、触覚や嗅覚に訴えてくる対象を掬い取り見事にそれを描き出す作家のひとりだと、 私は思っている。&lt;br /&gt;　彼女の短編集のニ冊目で、もうかなり以前のものになるのだが「ひとりでいるよ一羽の鳥が」というものがあり、その中でもとりわけ短い作品で「手のひらの桃」がある。この作品が発表されたのは一九八ニ年の群像十二月号であるから、もうかれこれ十七年前になるのだが、この作品から感じる空寒い悪寒は、私たちが生活している今にもそのまま反映されている。&lt;br /&gt;　数十頁という短いこの「手のひらの桃」という作品の中で、何より先に私の心をとらえたのは、主人公瑞枝の、中絶に対する意識であった。瑞枝は小説の終わりで元恋人であった泰との間に出来た子供を堕ろす。彼女は、妊娠したと気付いた時から、そうすることを決めていたのだった。ここで、ごく普通に考えたなら、妊娠するということ自体が特別なことであるはずだ。なのに、更にそれを中絶するなど、私たちにとってはまさに一大事で、軽々しく扱える事柄ではない。しかしながら彼女は、「最初から堕ろす」ことに決めているのである。そうすることに対して、彼女は、何の抵抗も、何の疑問も抱いていない。私はこの点に何より魅きつけられた。これは一体何故なのだろう。&lt;br /&gt;　性行為に対し、彼女はこう感じている。「行為が終わってしまえば、それまで」、その後では「全てが汚らわしいものに見えてしまう」、と。「全てが汚らわしい」、そう、彼女には行為が終わった後では、その行為に付随し存在していたもの、行為を営む相手である泰も含めた全てのものが汚らわしく映ってしまうのである。そして、愛の行為の結晶であるはずの子供は、まさしくこの汚れの結晶となってしまったのである。そう考えると、彼女にとって子供を堕ろすということは、今まで泰ともってきた性行為によってついてしまった「汚れ」をおとすこと、清算することに他ならない。だからこそ、彼女は一寸もためらうことなく、中絶することを、ごく自然に、不思議にも決めることができるのである。&lt;br /&gt;　ひるがえって、もしも彼女が、泰に対して愛情を感じていて、それゆえに性行為をもったのであったならば、それはどうだろうか。もしそうであったならば、性行為が終わった後でも彼女がそれを「汚らわしい」と感じることは決してなかったであろう。言うなれば、彼女にとって泰とは、恋した相手などではなく、単に彼女が持っていた性行為への興味や欲求を、うまい具合に満たしてくれただけの相手だったのだ。つまり、瑞枝の行為は恋愛感情と結びついた行為であるとはいえない。&lt;br /&gt;　そうなると、私たちの考えている、相手との一体化を求めるための性行為というのは、彼女にとっては違ったものになってくる。彼女は行為それだけをとったなら、それを蜜のように甘いと感じている。それだけ彼女の肉体は、その行為に満足しているといえるだろう。しかし、その相手に彼女は恋愛感情をもってはいないのである。官能的にはいくら開放していても、心は完全に閉ざされているのだ。性行為において、相手との一体感を感じながら存在する私たちに対し、彼女は、決して溶け合うことのない相手と自分とを感じながら、存在しているのである。つまり、彼女にとっての性行為とは、精神と身体が互いに統合して相手と溶け合うというものとは全く別の、というよりもむしろ、相手によって、自分自身の存在を明確にするという類いの行為。「二人」ではなく、完全に一方の、自分自身の快楽に他ならないのだ。だから、泰に対して彼女がいくら「好き」を連発しても、それは彼女にとって、他人が向けてくる冷たい視線（いわゆる異端者に対してのそれ）から、自分を守るための「装い」、本来相手と一体化するためにもたれる性行為において、自己完結してしまっている自分の姿を隠すためのものでしかない。だからこそ、泰へ好きだと言ったことを思い出すと、それがそのまま、自分のずるさとして彼女自身に跳ね返ってくると感じたりするのだ。&lt;br /&gt;　こんな彼女の背景には、彼女の少女期がある。他人から「感覚的ブス」と呼ばれ、周りに疎まれながら育つ彼女は、それゆえにひとり遊びを覚えてゆく。子供たちが、大勢集まってみな一緒に遊ぶということを覚える時期に、彼女はそうした体験をすることなく育っていってしまうのである。いつもみなの輪の外にいる彼女は、輪の中に入ることを望む。入るために、彼女はいつのまにか、自分の価値判断を捨て、他人のそれを持って生きていこうとする。しかし上手くその中に入ることはできない。そんな彼女の自閉的状態で生きる姿と、性行為において自己完結してしまっている姿とは、まさに向かい合っているのだ。&lt;br /&gt;　こうして読んでくると、「手のひらの桃」、この題名が暗示していたものが、だんだんと浮かび上がってくる。たっぷりと甘い汁を含んで、齧りつくと汁がこぼれてしまう桃の実。泰と瑞枝に食べられてしまうその実。そして、その桃の果汁に濡れた泰の手が、瑞枝の中絶手術に必要な書類の端に、茶色い染みをつけてしまうのである。これはまさに、瑞枝と泰の性行為そのものといえるであろう。そして、そんな桃を、そういった（彼女の）自閉的状態を読むときに、私たちは、それが瑞枝だけに限られたものではないということを、決して見落としてはならない。現在（いま）生きている私たちの誰もが、この自閉的状態に陥る要素をもっており、今こうして瑞枝の状態を読んでいる間にも、些細なきっかけ一つで、読む側にいたはずの私たちが、読まれる側へとまわってしまう可能性、危険性は、充分にあるのである。つまり、私たちは、一つの恋愛においても、それを成就する、完全に相手と自分との一体感を持つということができないような状況へと陥っている、と、言えるのではないだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（※中沢けい「ひとりでいるよ一羽の鳥が」講談社文庫刊）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-6386526813805530045?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/6386526813805530045/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=6386526813805530045' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6386526813805530045'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6386526813805530045'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2005/02/blog-post.html' title='相手不在の恋愛～ 中沢けい著 「手のひらの桃 」を読む'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' 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/&gt;　「肉体の悪魔」はラディゲが原作者だ。新潮文庫から今も出ていると思う。監督マルコ・ベロッキオは、この原作を、一体どう解釈したらこんな脚本になり得るのかと思うほどに壊し、再構築させている。見様によっては、主人公（原作では主人公は男性だが、この映画ではマルーシュカ・デートメルス演じるジュリアが主人公となっている）は狂人のように見える。婚約者がいながら若い学生と通じ合い、婚約者との新居となるはずのベッドの上で抱き合い、彼女はその若者の性器を切り落とす真似さえしてみせる。そして、床中にあらゆるものをひっくり返し、その中で彼女は笑いながら踊り狂う。しかし、彼女は本当に狂っていたのだろうか。もし今私が誰かにそのことを問われたら、否と答えるだろう。&lt;br /&gt;　あちこちの男と通じ合い、同時に彼女は病んだ心を癒そうと必死にあがく。その有様が極端に描かれているから、見ている私たちはその極端さに引きずられがちだが、私は思うのだ。繰り返し繰り返しこの映画を見て、最後に思ったのだ。これは狂女の姿ではない。私たちの姿だと。&lt;br /&gt;　正直に生きることは、この世界では実はとても難しい。あちこちで軋轢がおきる。そんなことをしたら、それに対して一つずつ責任をとっていかなければ周囲は収まらない。だから私たちは、適当に頭を下げ、自分の気持ちを半分隠して、にっこりしながら、ぺこりと頭を下げながら生きてゆく。それがこの世界だ。この世界をうまく渡ってゆく方法だ。しかし、それがもし上手にできなかったら？　ジュリアは多分、普段隠している私たちの本性だ。その化身だ。それはとても不器用で、切なくて、哀しくて、もしかしたら見ている者の目を逸らさせるかもしれない。すべてを自ら失った後、彼女が最後の最後に見せるあの微笑は、だからなおさらに美しい。自ら選び取った道、生き様を、彼女の微笑は受け入れようとしているように、私には見える。&lt;br /&gt;　そして私は恋に堕ちた。マルーシュカ・デートメルスという女優に。彼女のあの目は、私の胸を貫いてしまった。女性が女性に惚れるとは。でも私は惚れたのだ、彼女に。&lt;br /&gt;　以来、彼女が出演する作品が上映されると知るたび、あちこちに飛んでいった。「夏のアルバム」（ダニエル・ヴィーニュ監督、）はもちろん、「赤と黒の接吻」（エリック・バルビエ監督）、それから監督名は忘れたがジェラール・ドパルデューと共演した「ふたり」、そしてビデオで「カルメンという名の女」（ジャン＝リュック・ゴダール監督。ちなみに、私はゴダールさんはあんまり好きではない）、ジェーン・バーキンと共演していた「ラ・ピラート」など。&lt;br /&gt;　そして。&lt;br /&gt;　私が一番心に残っているのは、メハナム・ゴーラン監督作品「ハンナ・セネシュ」を演じたマルーシュカ・デートメルスだ。（この映画パンフレットでは、彼女の名はマルーシュカ・デトメールと訳されていた。）&lt;br /&gt;　ハンナ・セネシュとは、第二次大戦時を生きた一人のユダヤ人という実在の人物で、監督は1964年にすでにハンナの家族に接触し、映画化したいと申し入れていたという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「ハンナ・セネシュの物語は戦争アクションではない。ハンナはスリリングなスパイ行為を鮮やかにやってのけたわけではない。かといって詩を書く若い理想主義者の女性の話でもない。彼女は詩を書くナイーブな娘だが、命を賭けて危機に挑み、自分の考えに反することには決して屈することがなかったのだ。そしてもちろん空挺部隊の連中の話でもない。ハンナは他の情報部員と訓練を受け、数名と共に任務を授かったが、その事実が物語の核ではないのだ。それらはひとつひとつの要素であって、その集合体としての複雑なハンナの人間性を、ゴーランは描きたかったのである。&lt;br /&gt;（中略）&lt;br /&gt;　もちろんゴーランは自己犠牲を美化しているわけではない。またハンナはむしろ、逮捕される前に自殺できるにも関わらず、自殺せずに生きることを選んだ女性だ。」&lt;br /&gt;（映画パンフレットの解説より引用）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私は多分、死ぬまで、この映画の法廷シーン、ハンナの処刑シーンを、忘れることはないだろう。そのくらい鮮烈で強烈だった。彼女が法廷で、一言一言、人間であることは一体どんなことなのか、生きるということはどういうことなのか、そして、誇りというものは何であるのかを淡々と述べてゆくとき、それは私の中で永遠の問いに変わった。私が人間であるということはどういうことなのか、生きるということはどういうことなのか、そして私が私自身であるというその誇りは一体どういうものなのか。&lt;br /&gt;　いわれなき罪をきせられ、処刑されるそのとき、彼女は白い雪の中で、その雪と同じ白いブラウスを着、立っている。銃声が辺りに響き渡り、彼女の体が雪の中に倒れ込んでゆくとき、彼女の目は天を向いている。開かれたままの目は、最後に何を見たのだろう。&lt;br /&gt;　誰が悪いわけではない。誰というたった一人の特定の誰かが悪いわけではない。人間が起こしてゆく戦争は、多分、人間から人間性を奪う行為なのだ。それでも人間は戦争を止めることはできない。多分永遠にこの世界の何処かで戦争は為されてゆくだろう。でも、ならばせめて。&lt;br /&gt;　人間が人間であることを忘れないでほしい。人間が人間であるからこそできることを忘れないで欲しい。自分を守ろうとするのは人間の常だ。それが当然だ。でも、ならば、誰かの屍の上に今自分は立っているのだ、それが私たちの地面を支えているのだということを決して忘れてはいけない。&lt;br /&gt;　マルーシュカ・デートメルスは、この作品が制作されることを知った時、監督に直訴しに行ったという。「私こそハンナ・セネシュだ」と言って、そうしてこの役を勝ち取った。それだけに、彼女の真摯な演技は、周囲のベテラン演技者たちの間からも際立って見える。もうここには、かつてセックス・シンボルとマスコミにこぞって揶揄された彼女はいない。いるのは、髪の先まで、瞳の色まで役にのめりこませ、自身をその役の化身とさせずにはおかない彼女である。&lt;br /&gt;　映画として、「ハンナ・セネシュ」は詰め込みすぎたように思われる。ここまで詰め込むならいっそ、映画の時間を倍にして、もっとつっこんで描いてほしかったと私は贅沢なことを望んでいる。しかし。&lt;br /&gt;　それでも、映画の中で、マルーシュカ・デートメルスは輝いていた。凛然と。&lt;br /&gt;　だから要するに。&lt;br /&gt;　私は惚れているのである。彼女に。もうこれは、ぞっこんである。他に何も言いようがないほど。彼女を超える女優とは、一体いつ出会えるだろう。自分でそのことを問うてみても、首を傾げたくなるくらいに。私は彼女に惚れている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-4166314928811357514?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/4166314928811357514/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=4166314928811357514' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4166314928811357514'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4166314928811357514'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2004/05/maruschka-detmers.html' title='MARUSCHKA DETMERS'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-9151210115811511204</id><published>2004-04-20T01:24:00.000+09:00</published><updated>2008-10-31T01:25:00.814+09:00</updated><title type='text'>「浜田知明作品集」　求龍堂　15,000円</title><content type='html'>　浜田知明氏の作品で私が初めてこの目にしたものは、「初年兵哀歌（歩哨）」（1954年作）であった。比較的小さな絵の前で、私はしばし立ち止まらずにはいられなかった。こんなにも静かな、いや、無音の世界なのに、なんて哀しいのだろう、なんて切ないのだろう、何故こんなにも。そんな思いが、私の心中をいっぱいに満たし、同時にそれは、ぐるぐると私の中で回っていった。以来、折を見つけては氏の作品を見に行く。見に行くことが叶わなければ、その時はこの作品集のページをめくる。&lt;br /&gt;　彼の版画作品は、切実である。どこまでも誠実で、そして切実である。この本の解説部分でこんなことが記されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「彼の銅版画へ向かったいきさつは、後から聞いても明快で説得力がある。従軍中に直面した不条理を告発すると心に決めた彼は、人間心理の深層にまで照明をあてて「戦争」を描くための方法を模索する。テーマは決まっていたのである。「是が非でも訴えたいものだけを画面に残し、他の一切を切り捨てた。色彩を捨て、油絵具という材料を捨て、そして白黒の銅版を択んだ。」」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　たとえば「不安」（1957年）という銅版画では、空一杯を埋め尽くす爆撃機から、身を隠すように必死に生き残ろうと、小さな箱の中で息を潜める人間の姿が描かれる。恐らくは全員が全員、焼夷弾に焼かれ焦がされ、死に絶えるだろう状況の中で、それでも必死に行きようと、ある者は耳を塞ぎ、ある者は膝を抱え頭を抱え込み、ある者はもうほとんど絶望しているかのように呆然としている。戦争を実際には知らない私であるが、氏の作品を見ていると、今見ているこの瞬間にも焼夷弾が頭上からどっさり降ってきて瞬時に死んでしまうのではなかろうかというような錯覚を抱かずにはいられなくなる。&lt;br /&gt;　たとえば「噂」（1961年）は、前出の戦争をテーマにしたものではなく、まさにどこにでも転がっているだろう日常の一断面を見事に描いている。部屋中に浮遊する幾つもの口、ひそひそ話をしている口もあれば、まるで自慢げに何かを話しているだろう口、明かに誰かの悪口を言っているのだろう形の口もある。それらが部屋中に浮遊しているのだ。部屋の中、座った三人に顔はない。顔の代わりにそこに描かれるのは口である。&lt;br /&gt;　彼の作り出す世界はだから、非常に明快である。日常をテーマにとったものであっても、戦争をテーマに取り上げたものであっても、すぱっとその光景を断じてカタチにしている。だからこそ、私たちに分かりやすく、同時に口を挟む余地など残さない、そうしたエネルギーが画面からこちらへとぐんぐん伝わってくる。&lt;br /&gt;　そんな彼は、銅版画家であると同時に彫刻家でもある。彼の彫刻は、私から見るととても不思議である。奇妙と言ってもいいかもしれない。彫刻を始めた頃、彼はよく自分の銅版画をほぼそのままに再現していた。ここで敢えて「ほぼ」と言ったのには理由がある。たとえば「檻」（版画1978年、彫刻1983年）という作品があるが、共に檻の柵の間から手を伸ばし、助けを求めているのだろう人物がそこにはいる。が、版画作品では別におかしくも何ともない助けを求める手が、彫刻作品では異様に大きく作られている。それはそのまま、外に出たいという誰かの願いの大きさでもある。やがて氏は、彫刻は彫刻として独立して作品を作り始める。たとえば「風景」（1995年）という作品があるが、これはまさに戦争の一光景をまざまざと立体化したものと私には思える。細長い台座の一番向こうに、銃が逆さまに突き立てられ、そしてその下に横たわるのは、もう骸骨化した名を持たぬ誰かである。服も肉体も何もかもを失いながら、彼の靴が、靴だけが、帰りたいと訴えかけるようにこちらを向いている。この彫刻を見つめていると、そこから、「帰りたい、国に帰りたい」という声を今この耳で聞いているような気がして来る。もうそれは、どうしようもなく切実な、途方もなく切実な願いとして。&lt;br /&gt;　浜田氏は、1994年には熊本県立美術館で、1996年には新宿小田急美術館他巡回で、そして2000年には神奈川県立近代美術館別館で個展を催している。90歳を目前としながらも、その活動は今も尚続けられている。この作品集は氏の、1993年までの作品集だ。氏を知っている人はもちろん、全く知らない人も、一度ぜひ目を通していただきたい。何故なら。&lt;br /&gt;　そこには、私たち人間の切実な生きる姿があるからだ。何度も何度も死を意識し、もう死ぬしか自分には術はないと唇を噛み締めながら思い続けそうして戦争から生きて帰った氏の、だからこそ切実な、生の詩である。テーマが戦争であれ日常であれ、それらは私たちに語りかけてやまない。これでいいのか？　これで本当にいいのか？　これが人間ってものなのか？　私たちは自分が人間であることをどこまで誇りに思えるのか？　と。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-9151210115811511204?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/9151210115811511204/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=9151210115811511204' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/9151210115811511204'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/9151210115811511204'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2004/04/15000.html' title='「浜田知明作品集」　求龍堂　15,000円'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-1900513409472163123</id><published>2004-04-06T01:23:00.000+09:00</published><updated>2008-10-31T01:24:08.428+09:00</updated><title type='text'>再生への道/野沢尚「深紅」講談社文庫</title><content type='html'>　予め断っておくと、私は野沢尚氏の作品をこれまで読んだことも見たこともなかった。この「深紅」が初めてである。いつもの如くぶらり立ち寄った本屋で平積みされていたのを手に取り、帯の「犯罪被害者の深き闇を描く衝撃のミステリー」という言葉を見てとった瞬間、買うことを決めた。理由は簡単だ、自分がかつて犯罪被害者の一人になった体験をもっていたから。他に何もない。&lt;br /&gt;　ニ章を過ぎた辺りからだったろうか、私は急激に小説の中に引きずり込まれてゆくのを感じた。これはミステリーなんかじゃない、人間小説だ、その思いが、読み進めるほどに大きくなってゆくのを、私はとめることができなかった。&lt;br /&gt;　一家惨殺という悲劇から一人生き残らされてしまった主人公奏子が、加害者の遺族である未歩の存在を知ることによって、彼女へと憎悪を爆発させる。いや、爆発させるというよりも、年月を経ることによって己の中でどす黒く煮詰まっていった憎悪を一滴一滴滴らせ、未歩へ向けて、自分の背負ってきた何もかもを復讐と言う形で返そうと試みる。が。&lt;br /&gt;　その過程で、奏子は思い知ってゆく。自分が一体何を望んでいるのか、何をしようとしているのか、そして本当はどうしたいのか。本著は、その彼女の、再生への物語だ。&lt;br /&gt;　どうやっても消えない、家族を殺された悲しみや憎しみ、同時に抱かざるを得なかった自分だけ生き残ってしまったというどうしようもない罪悪感、それらへの防御として彼女は、「黒い芯」を無意識のうちに己の中に形作った。友人を作っても、恋人とセックスをしても感じない、振動しない、微動だにしないその黒い芯の正体。彼女はそれを、未歩を追い込めてゆく過程でようやく悟る。「感覚中枢の角のひとつひとつを削り取って、鋭敏なものを減らしていく。あぁそうか、と奏子は思い当たる。これが黒い芯の正体だ。&lt;br /&gt;　目の前に繰り広げられるものに傷つかないように、あえて感覚を鈍くさせてきた。そうしてできあがったのが、この黒い芯なのだ」。&lt;br /&gt;　そして奏子はぎりぎりのところでパニックを起こし、その中で自ら呟くのだ。生きたい、と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　悲しい。なぜこんなにも悲しいのだろう。&lt;br /&gt;「やっぱり、殺人者の娘も殺人者になるしかないのか」&lt;br /&gt;　諦め、開き直って、明るい声で未歩は言う。&lt;br /&gt;　全ては「血」が支配するのだろうか。逆らえないのだろうか。滅ぼされた家族を追いかけるように奏子が自分を滅ぼそうとしているのも、逆らえない「血」の仕業なのだろうか。&lt;br /&gt;「生きたい…」&lt;br /&gt;　奏子は呻いた。&lt;br /&gt;「何か言った？」&lt;br /&gt;「そんなものに操られないで、生きたい…」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして彼女は、魔の四時間の再現というパニックの中で、自分が今できることを見出してゆく。早くこの「四時間」を終わらせて、未歩を止めにいかなければならない、と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「憎悪と血の連鎖を断ち切るのは誰の役目なのか。早く答えろ。誰も未歩のことを罰しようとは思っていない。私も、私自身を罰する必要などもうない。憎しみはこれで充分だ。私と未歩はこの八年、充分すぎるくらい苦しんできたのだから。」&lt;br /&gt;　そして彼女は走る。まだ震えふらつく身体に鞭打ちながら、彼女は走る。彼女が走るこの道は、何処へつながっているのだろう。&lt;br /&gt;　そしてこの物語は、終わりを迎える。自ら近づき、未歩に復讐の刃をむけた奏子が、もう二度と彼女には会わないと心に決める。彼女とキスをしたとき、奏子は何を思っただろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「奏子は抱きしめたい衝動に駆られた。お互いの体が折れそうなくらい抱き合って、「私たち、生きていけるよね」と、できれば確認しあいたかった。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　でもそうする前に未歩は離れ、そして彼女たちは別れてゆく。それぞれの帰る場所へ、帰るべき場所へ。これからを生き紡いでゆくべき場所へ、と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　誰だって恐らく、生きていればきっと一度は思うのだ。大きな裂傷を負わざるを得なくなった時、思うのだ。自分がこうむった傷に匹敵するものを相手に与えてやりたいと。自分はこれほどに傷ついたのだ、それが分かるか、分かるもんか、私はもうこれでは生きていけない、これ以上ここで生きているのは辛すぎる、でも死ぬその前に、おまえにも分からせてやる、同じ目に遭わせてやる、私がこうして背負わなければならなかった傷をおまえも背負え、と。奏子が心弱かったのではない、人間なら恐らく、誰しもそう思うのだ。&lt;br /&gt;　そして、その思いが己の中で勝ってしまった時、私たちはきっと、第二の奏子になっている。しかし。ここからが違う。&lt;br /&gt;　第二の奏子になってしまった時、果たして奏子がそうしたように、途中で己を省みることができるかどうか。そこで気付くかどうか。それが問題なのだ。&lt;br /&gt;　そうやって傷を連鎖させてゆくことに何の意味があるのか。憎しみや怒り、悲しみを連鎖させることに一体何の意味があるのか。それよりも何よりも、理不尽にも背負わされた荷物を自ら引き受けながらもここから生きてゆく、ということが、どれほどに大切なものであったか。--------それらのことに、私たちは気付けるかどうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これは一人の人間の、再生への物語だ。奈落の底に突き落とされ、それでもなお生きようと足掻き、その中で一度は自らも刃を握り振り下ろそうとまでした人間が、血反吐を飲む思いで立ち上がり、そして明日へと自分を、生きるということを明日へつなぎ得た、一人の人間の、再生の物語だ。&lt;br /&gt;　そう、奏子は私の中にも、あなたの中にもいる。今はまだ、そこまでの体験を経たことはないし、そこまで追いこまれたことはないからと高を括っていても、いつ私たちの上にそういった体験が墜落してくるか分からないのだ。そうなったとき、私たちはきっと知るだろう。同じ立場に立ったとき。自分はどちらを選ぶのか。何を選ぶのか。どうやって残されたその先を、生きてゆくのかを。&lt;br /&gt;　それがきっと、私たちが人間であることの、価値の一つだ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-1900513409472163123?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/1900513409472163123/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=1900513409472163123' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1900513409472163123'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1900513409472163123'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2004/04/blog-post.html' title='再生への道/野沢尚「深紅」講談社文庫'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-1172735194466006436</id><published>2004-03-23T01:22:00.000+09:00</published><updated>2008-10-31T01:22:52.804+09:00</updated><title type='text'>「不思議な少年」マーク・トウェイン作　岩波文庫</title><content type='html'>　「ハックルベリ・フィンの冒険」や「トム・ソーヤーの冒険」でよく知られるマーク・トウェイン。しかし晩年には、前述の著作からは想像のできないような、暗さと人間不信、そしてペシミズムに彩られた作品を生み出している。その中の一冊、「人間とは何か」という本は生前匿名で、なおかつ私家版として少数出版したマーク・トウェインであったが、その「人間とは何か」を小説として具現化したものが、この「不思議な少年」に当たるのではないかと思われる。&lt;br /&gt;　この本は、正直、心地よい本ではない。三人の少年とサタンと名乗る少年とが出会う始まりのシーンからして、読んでいると首の後ろをがしがしと掻き毟りたくなる衝動に襲われる。自分は天使だとのたまうサタン少年が、まるで魔法のようにしてその手から生み出した動めく人形たちを一気に潰し、血まみれになった人形たちが泣き叫ぶのを見下ろしながらこう言うのだ。「ぼくたち（天使）はいまだに罪なんてものは知らない。第一、罪を犯すことができないんだよ。ぼくたちは汚れってものを知らないんだ。」「つまり、ぼくたちは、悪をしようにもできないのだよ。悪を犯す素質がない。だって、悪とはなにか、それが第一わからないんだからね」。&lt;br /&gt;　そう言いながらサタンは、残酷極まりないことを少年たちの前で幾度も幾度も繰り広げる。人間というものがいかに愚かしい生き物であるのかを、これでもかというほど見せつけてゆく。&lt;br /&gt;　私は、この本に描かれているものに対し、不愉快さを隠せないし、多分、そもそも、人間に対するスタンスが著者と私とではあまりに違っていて、議論し合う同じ土台に立っていない。&lt;br /&gt;　しかし、今この時代に久しぶりに読み返したからだと思うが、ひっかかる部分が幾つかあった。&lt;br /&gt;「君主制も、貴族政治も、宗教も、みんな君たち人間のもつ大きな性格上の欠陥、つまり、みんながその隣人を信頼せず、安全のためか、気休めのためか、それは知らんが、とにかく他人によく思われたいという欲望、それだけを根拠に成り立っているんだよ」&lt;br /&gt;「戦争を煽るやつなんてのに、正しい人間、立派な人間なんてのは、いまだかつて一人としていなかった。ぼくは百万年後だって見通せるが、この原則ははずれることなんてまずあるまいね。いても、せいぜいが五、六人ってところかな。いつも決まって声の大きなひと握りの連中が、戦争、戦争と大声で叫ぶ。すると、さすがに教会なども、はじめのうちこそ用心深く反対を言う。それから国民の大多数もだ、鈍い目を眠そうにこすりながら、なぜ戦争などしなければならないのか、懸命になって考えてみる。そして、心から腹を立てて叫ぶさ、『不正の戦争、汚い戦争だ。そんな戦争の必要はない』ってね。すると、また例のひと握りの連中が、いっそう声をはりあげてわめき立てる。もちろん戦争反対の、これも少数だが、立派な人たちはね、言論や文章で反対理由を論じるだろうよ。そして、はじめのうちは、それらに耳を傾けるものもいれば、拍手を送るものもいる。だが、それもとうてい長くはつづかないね。なにしろ扇動屋のほうがはるかに声が大きいんだから。そして、やがて聴くものもいなくなり、人気も落ちてしまうというわけだよ。すると、まもなくまことに奇妙なことがはじまるのだな。まず戦争反対の弁士たちは石をもって演壇を追われる。そして、狂暴になった群衆の手で言論の自由は完全にくびり殺されてしまう。ところが、面白いのはだね、その狂暴な連中というのが、実は心の底で相変わらず石をもて追われた弁士たちと、まったく考えは同じなんだな------ただそれを口に出して言う勇気がないだけさ。さて、そうなるともう全国民------そう、教会までも含めてだが、それらがいっせいに戦争、戦争と叫び出す。そして、あえて口を開く正義の士でもいようものなら、たちまち蛮声を張り上げて、襲いかかるわけだね。まもなく、こうした人々も沈黙してしまう。あとは政治家どもが安価な嘘をでっちあげるだけさ。まず被侵略国の悪宣伝をやる。国民は国民でうしろめたさがあるせいか、その気休めに、それらの嘘をよろこんで迎えるのだ。熱心に勉強するのはよいが、反証については、いっさい検討しようともしない。こうして、そのうちには、まるで正義の戦争ででもあるかのように信じ込んでしまい、まことに奇怪な自己欺瞞だが、そのあとではじめてぐっすり安眠を神に感謝するわけだな」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これらのサタンの台詞に、今立ち止まる人はどれだけいるだろう。今の、アメリカ主導のイラク攻撃のあれやこれやをどうしても思い描かずにはいられないのは私だけだろうか。あれから一年を迎える。先日のニュースでは、帰還した米国兵士たちの中に精神障害を病む者たちがかなり多くいることが報じられ、イラクでの体験から自ら軍を退役する者たちのインタビューなども流れていた。&lt;br /&gt;　私は。&lt;br /&gt;　イラクへの進軍が果たしてよかったのかといえば、そもそもそこから間違っていたような気がしている。しかし。じゃぁどうすればよかったのか。翻って、同時多発テロというものを一体どう捉えればよいのか。いや、私はあくまで日本国民であり、アメリカの事情は多分、ほんの一片しか知ってはいない。その日本国民として、たとえば自衛隊云々のことについて、自分はどう考えるのか。アメリカに追随せずにはいられなかった日本という島国の立場をはじめ、そもそも自衛隊というものの存在について、考え始めたらきりがない、次々に、考えねばならぬことは増えてゆく。そして情けないことに、私はそれに追いつききれていない。全くといっていいほどに。&lt;br /&gt;　本著の終盤で、マーク・トウェインはサタンにこう言わせている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「つまりいえば、笑い飛ばすことによって一挙になくしてしまうことだが、そうしたことに気がつく日がはたして来るのだろうかねぇ？　というのはだよ、君たち人間ってのは、どうせ憐れなものじゃあるが、ただ一つだけ、こいつは実に強力な武器を持ってるわけだよね。つまり、笑いなんだ。権力、金銭、説得、哀願、迫害------そういったものにも、巨大な嘘に対して起ち上がり、いくらかずつでも制圧して------そうさ、何世紀も何世紀もかかって、少しずつ弱めていく力はたしかにある。だが、たったひと吹きで、それらを粉微塵に吹き飛ばしてしまうことのできるのは、この笑いってやつだけだな。笑いによる攻撃に立ち向かえるものはなんにもない。だのに、君たち人間は、いつも笑い以外の武器を持ち出しては、がやがや戦ってるんだ。この笑いの武器なんてものを使うことがあるかね？　あるもんか。いつも放ったらかして錆びつかせてるだけの話だよ。人間として、一度でもこの武器を使ったことがあるかね？　あるもんか。そんな頭も、勇気もないんだよ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私はこの台詞を読んだ折、頭をぶち叩かれた気がした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これはあくまで私の考えであり、それはとても偏っていると思う。それを予め断った上で、思うことを幾つか述べるならば。&lt;br /&gt;　戦場写真を目の前にした折、何が切ないといって、それは、戦場を生活の場とする子供たちの笑顔だ。もちろんそこで暮らすのは子供だけではない、私と同じくらいの女性もいれば、私の母を思わせるような年頃の女性もいる。その人たちが戦火にさらされながらも必死に生き、そしてなおかつ笑顔を失わずに暮らす、それらの姿ほど、私の琴線を震わせるものは他にない。&lt;br /&gt;　これらの笑顔を守るために、人は、それぞれの立場で争いを為す。今為されているイラクでの争いだって、アメリカはアメリカの笑顔を守るため、日本は日本の笑顔を守るため、恐らく、為していることなのだろう。しかし。&lt;br /&gt;　笑顔を守るためと称して笑顔を殺してゆく潰してゆく、これは、あまりにおかしな構図ではないのか。&lt;br /&gt;　これを書きながらニュースをちょっとチェックした折、目に付いた。「＜イラク戦争＞米の元テロ対策担当者が糾弾本を出版」。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040323-00001045-mai-int。あぁこんな動きも今は起こっているのかと、しばしボールペンを口にくわえて見ていた。&lt;br /&gt;　私は、あまりに無知で、また、長いこと我関せずで過ごしていたために、何が正しくて何が悪いのかといった自分なりの意見を今持ち合わせていない。&lt;br /&gt;　ただ、この「不思議な少年」の中の台詞、「それらを粉微塵に吹き飛ばしてしまうことのできるのは、この笑いってやつだけだな。笑いによる攻撃に立ち向かえるものはなんにもない。だのに、君たち人間は、いつも笑い以外の武器を持ち出しては、がやがや戦ってるんだ。この笑いの武器なんてものを使うことがあるかね？」という言葉は、重く重く、私の心にのしかかってくるのを、感じずにはいられない。&lt;br /&gt;　私たちは多分、サタンの言うとおり、あまりにたくさんの残酷な武器を用い過ぎた。これでもかというほど用いてしまった。その結果は一体どうであったか。それらを用い過ぎた後に残ったものは何であったか。&lt;br /&gt;　マーク・トウェインの言う通り、もしも、笑いというのが私たちが持つ唯一の本来の武器であるならば。今私たちにできることは何なのだろう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-1172735194466006436?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/1172735194466006436/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=1172735194466006436' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1172735194466006436'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/1172735194466006436'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2004/03/blog-post_23.html' title='「不思議な少年」マーク・トウェイン作　岩波文庫'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-7684845218933868091</id><published>2004-03-18T01:21:00.000+09:00</published><updated>2008-10-31T01:21:56.201+09:00</updated><title type='text'>「自画像は語る」粟津則雄　新潮社刊</title><content type='html'>　以前「自画像との対話」という本を紹介したが、自画像に関してもう一冊、私が手放せない本がある。それは、粟津則雄氏の「自画像は語る」である。&lt;br /&gt;　ここでは「自画像との対話」のちょうど二倍、三十六人の作家について述べられている。その中で、エゴン・シーレ、フィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーギャン、エドワルド・ムンク、アメディオ・モディリアニ、ジョルジョ・デ・キリコ、萬鉄五郎、パウル・クレーなどについては二冊ともにそれぞれ触れられている。これらを読み比べる、というだけでも非常に面白い。&lt;br /&gt;　本著の序で粟津氏がこう述べている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「私が、若年の頃から自画像というものに特別な興味を覚えてきたのも、私を落ち着かせてくれぬこの感触と相応じるところがあるようだ。日常の生活においては、何がしかの不安や惑乱を覚えはしても、程なく何となく忘れてしまうものだが、自画像においては、この内的な対話そのものが、本質的な表現の動機として働いているからだ。自画像も肖像画の一種には違いないが、こういう意味で、それは、たまたま自分自身をモデルにしただけのものと言うことは出来ない。もちろん、他の人物を描こうが、静物を描こうが、風景を描こうが、そこには画家の個性が否応なく現れるのだが、自画像においては、それぞれの内部の劇の構造そのものが、それぞれの資質に応じて独特のかたちで立現れるものだ。」&lt;br /&gt;「とういわけだから、自画像は、それぞれの画家の、自分自身を相手とした内的な劇を表わすばかりではなく、彼らそれぞれにとっての世界像もおのずから示している。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これらを読み終えた後、私たちは何を思うだろう。幾つもの自画像を前にした後、私たちは自らをどう捉えるだろう。自分を見つめるということは、自分と世界との関係性を凝視するということに他ならない。己内部の均衡、世界と己を結ぶ緒の有様。日々をただ過ごしていたのならば恐らくは見過ごすばかりだろうが、そんな私たちであってさえ、世界と常に関わり、己と世界との関わりの間で懸命に均衡をとろうと無意識が働いているはずなのだ。&lt;br /&gt;　今、私に、そして君に、自己と対峙するだけの勇気はあるだろうか。そこに何が存在していても、それがどんな姿をしていても、受け容れるだけの勇気があるだろうか。&lt;br /&gt;　そんなことを、本著は、読み手に語りかけてくる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-7684845218933868091?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/7684845218933868091/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=7684845218933868091' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/7684845218933868091'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/7684845218933868091'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2004/03/blog-post_18.html' title='「自画像は語る」粟津則雄　新潮社刊'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-4159111444064381789</id><published>2004-03-12T01:20:00.000+09:00</published><updated>2008-10-31T01:20:58.384+09:00</updated><title type='text'>掛井五郎版画作品集　1984-1991　Green Graphics Book刊（彫刻家掛井五郎氏の版画作品集、1984年から1991年に制作された版画作品が掲載）</title><content type='html'>　掛井五郎氏の彫刻作品を私が初めて目にしたのは、今からちょうど十年前のことになる。天井の高い画廊の、あちこちに起立する像。それは、みな、どっくんどっくんと息づいていた。頭も胴体も手も足も、それぞれ自由気ままに、膨らんだり縮んだり。ボリュームもコンポジションも、これでもかというほど大胆に踊っていた。それはまるで、彫像みなが「生のダンス」を踊っているかのような光景だった。あぁなんて生き生きと踊っているんだろう、私も一緒に踊りたい。見る者に、そう思わせずにはいないような、そんな吸引力が、掛井五郎氏の彫刻にはあった。&lt;br /&gt;　幸運にも、美術雑誌編集者時代、最後に掛井五郎氏を取材する機会に恵まれた。仕事を辞める前にぜひとも取材したい作家の一人だったから、あの時の取材の光景は、今でも私の心の中、鮮やかに刻まれている。&lt;br /&gt;　取材は確か二日間に渡った。一日しか最初は予定していなかったのだが、話をしているうちに、ぜひとも氏の制作現場に立ち会いたいという、まったくもって贅沢な私の欲求を、先生が快諾してくださったおかげだ。&lt;br /&gt;　二日目、私は工房へお邪魔した。氏は、そこに着くなり、机の上に用意されていた銅版の前に立ち描き始めた。大きなバラ色の銅版の横にはいつも持ち歩いて目に付いたもの全てを描きとめているというスケッチブックを置いてあるけれども、氏はまったくそれを見る様子もない。両の手でしっかりとニードルを握り、ぐいっぐいっと銅版に線を刻んでゆく。その勢いには全く迷いがみられない。下絵がないどころの騒ぎじゃない。私が呆然とその姿を見守っていると、あっという間に一枚目が完成した。間髪いれずに氏は次の銅版に手を伸ばす。自分が思うまま、まるで子供が一心に砂遊びに興じるかのように、氏はそうやって気が済むまで何枚でも描いてゆく。&lt;br /&gt;　擦り上がった作品は、どの線もみな、今にも紙からはみ出してきそうな勢いでたからかに踊っていた。&lt;br /&gt;　1930年、掛井氏は五人兄弟の末っ子に生まれた。兄四人のうち二人が戦死、帰ってくることのできた二人の兄のうちの一人は戦争のため精神がすっかり荒みきっていた。掛井氏は、生前絵が大好きだったという戦死した三男の遺志をつぐという意味でも、最初は絵描きになろうと思っていたのだという。その心を変えたのが、19歳の時の木内克氏の彫刻との出会いだった。以来木内克氏に師事し、彫刻家の道を歩み始める。&lt;br /&gt;　今では、彫刻だけではなく、油絵も版画も制作する。「僕は、彫刻をやっているときは彫刻に、版画を作ってるときは版画に恋愛してるのよ」と言っていたずらっ子のように笑う。そんな掛井氏は、だから、一つのものに集中し、抉り、突き詰めるのが素晴らしい作家の姿勢とみなされがちな日本芸術界からは、多分大きく外れている。&lt;br /&gt;　しかし。&lt;br /&gt;　この生き生きとした息吹はどうだ。見る者を巻き込んで踊り出す作品の勢いはどうだ。これらの作品を前にしたら、そんなせせこましい偏見などどうでもよくなる。&lt;br /&gt;　「モネが晩年に辿りついた世界っていうのは、アンフォルメルのようだよね。あの、普通すぎる風景！　夕焼けってきれいでしょ、そういうきれいなものは一人では見ていられないんだよ、誰かと一緒に見ようよって気持ちになる。そういうのが芸術なんだよ」&lt;br /&gt;　この掛井氏の言葉が、彼が生み出す作品のすべてを語っていると私には思える。&lt;br /&gt;　しかし、ただ楽しげに踊り狂っているわけではないのだ。そこには、彼が歩んできた痛みや怒り、哀しみ、実に様々なものがこもっている。哀しくて辛くて痛くて、でもだから、大きな声で歌おうよ、喜びの歌を歌おうよ、今自分がここに生きてるってことを思いきり歌おうよ。彼の作品を目の前にすると、私には、作品たちがそんなふうに言っているように思えてならない。上澄みだけではないのだ、生きてるってことはきれいごとじゃすまされない。でもだからこそ、生というのは美しいのだ、と。私は、彼の作品から、そんなことを教えられる。&lt;br /&gt;　日本人の、現存する作家で、これほどに真っ向から生を謳い、生を愛する作品、作家というものを、私は他に知らない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-4159111444064381789?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/4159111444064381789/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=4159111444064381789' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4159111444064381789'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/4159111444064381789'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2004/03/1984-1991green-graphics-book19841991.html' title='掛井五郎版画作品集　1984-1991　Green Graphics Book刊（彫刻家掛井五郎氏の版画作品集、1984年から1991年に制作された版画作品が掲載）'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-2255957681627059795</id><published>2004-03-09T01:19:00.000+09:00</published><updated>2008-10-31T01:19:55.641+09:00</updated><title type='text'>DIDIER SQUIBAN 「BALLADES」</title><content type='html'>　私は海が好きだ。これでもかというほど好きだ。今でもはっきり覚えている。海を初めて目の前にした時、あぁ私はここで死ぬんだ、と思った。それは感傷などではなく、むしろ満足や恍惚に似たもので、私はここで死ぬことができる、という思いは、私をあたたかく満たした。けれども当時カナヅチだった私は、海とどうしても友達になりたいんだと言って体育の先生を捕まえ無理矢理指導を乞うたのだった。泳げるようになり、潜ることが得意になった頃は、大人になったら海女になるんだと真剣に考えてもいた。学生の頃はだから、毎日海に寄り道した。海面に光の道をつけ、やがてぽとんと水平線に落ちてゆく太陽。それを合図のように、がらりと色を変え音を変える海。一日たりとて同じ姿はなかった。常に常に、変化し、それは私に、不変のものなど実はこの世の何処にもないのだということをそっと教えた。&lt;br /&gt;　このアルバムは、海をテーマに作られているのだという。ディディエ・スキバン。聞いたこともない名前だった。が、海という言葉に惹かれ、私は買った。&lt;br /&gt;　早速聞いてみる。ジャズの要素を多分に含んだピアノの音色。私は正直に言うと、ジャズはあまり好きではない。長年クラシックピアノを弾いてきて、どっぷりクラシックに慣れ親しんだ私には、ジャズのあの独特な匂いがどうも身体に馴染まないというのが理由だ。しかし、スキバンの旋律は、そんな私の耳にあまり違和感なく滑り込んでくる。それは、そこに海があるからだ。夜闇が徐々に白んでゆき、やがて燃えるような太陽が顔を出して水平線を一直線に割ってゆく、あのときの海の光り輝く様。雨雲がずんとのしかかってくるようななかで、まるで幼い子供のように雨粒と戯れはしゃぐ波の様。朗々と、今という一瞬一瞬を舌の上でじっくり味わうように横たわる様。降り注ぐ昼間の光をくすぐったいといわんばかりに弾ける波の様。声に出しては何も言わないけれども、そこに在て、じっとこちらを凝視する海の色。私の知っているありとあらゆる海が、音となってこのアルバムの中に詰まっている。もちろんその中には私の知らない海もあって、あぁこんな雄々しい、或いはこんな柔らかな海もあるのか、と、私は音の中で立ち止まったりする。また一方で、私の知っている海はもっとどす黒く、鉛のようで、前に立つ私を威嚇し飲み込まんとするような荒々しさがあったよと、言ってみたくなったりもする。&lt;br /&gt;　海はよく、生きとし生けるものの母だと言う言葉を耳にするが、このアルバムには、母なる海だけじゃない、父としての海も幼子としての海もいる。海をただ一日、或いはただ一時、眺めただけでは知り得ない姿。海を肌で感じ取っていなければ生まれないであろう音が、ここには詰まっている。&lt;br /&gt;　あなたにとって海とは何か。もし、毎日を営んでゆく中で海という言葉を海という姿を心に浮かべることが一瞬でもあるのなら、あなたにもこの音たちは何かを語りかけてくるかもしれない。&lt;br /&gt;　何かをしながらではなく、このアルバムをかけたときには、余計なことは何もせず、ただ黙って、この音たちに身体を任せていたい。そう思ってしまうような、一枚である。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-2255957681627059795?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/2255957681627059795/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=2255957681627059795' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2255957681627059795'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2255957681627059795'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2004/03/didier-squiban-ballades.html' title='DIDIER SQUIBAN 「BALLADES」'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-796005162064070780</id><published>2004-03-04T01:18:00.000+09:00</published><updated>2008-10-31T01:19:04.032+09:00</updated><title type='text'>「自画像との対話」黒井千次著　文藝春秋刊</title><content type='html'>　自画像とは一体何であろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　自画像というものが生まれるまでの絵画というのは（風景画であったり肖像画であったり）、あくまで制作者と対象との関係の上に成り立っていた。つまり、制作者と外界である世界との関わり、その接点の在り方を示すものとして、絵画は存在していたといえる。&lt;br /&gt;　しかし、自画像はこの点で大きく異なる。描く（描かれる）対象と制作者とが一つに重なり合っているからだ。ひとたび絵が完成したならば、その絵画は客観的に存在してしまうものであるにも関わらず、である。&lt;br /&gt;　人は、自分で己の姿を見ることは当然の如くかなわない。それを唯一可能にさせるのが鏡である。恐らく君も私も、今日これまでの間に一度は鏡に映る自分の姿を目にしていることだろう。それはもしかしたら、睡眠不足で腫れぼったい顔をしていたかもしれないし、もしかしたら昨日の幸せな夢をいっぱいに吸い込んで晴れやかな顔をしていたかもしれない。どちらにしても、それが私たちがこの眼で捉えられる自分たちの顔である。そして、その顔は、姿は、実は虚像なのだ。鏡が映し出す虚像。どこまでいっても虚像は実像にはなり得ない。しかし、私たちが自分を確認するには、この虚像を頼りにするほかない。&lt;br /&gt;　美術界に、独立した作品としての自画像が現れたのは、十六世紀頃からだという。また、金属鏡に代わって精密に像を映し出すガラス鏡が発明されヨーロッパに普及したのも、十六、七世紀であったそうだ。つまり、ガラス鏡の出現・普及の時期と、自画像の誕生の時期とは、ほぼ重なり合っている。鏡を覗くという行為、それは自分を見つめるという行為である。自画像を描いた作家たちは、一体どれほどにこの鏡を見つめたことだろう。同時に、どれほどにこの鏡から眼を逸らしたことだろう。自分というものは、自分自身であるからこそ近く、同時にこれでもかというほどに遠い存在といえる。近いからこそ見えず、でもだからこそ知りたい、最も親しく、同時に遠い存在。&lt;br /&gt;　私たちは鏡を見る。そこに在る、鏡の中の自分。あくまでもそれは虚像。しかし、それが唯一自分の眼で捉えられる自分の姿。&lt;br /&gt;　つまり、自画像を描くということは、自分の眼では決して捉えることのできない、実像としては捉えることのかなわない自分というものを描き出す行為。見えないものを見ようとする、画家の自己凝視、自己発見の行為であるといえる。&lt;br /&gt;　そして著者は指摘する。そうした自画像はとても危険な絵画であるのだ、と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「自画像は、何よりもそれを描く本人にとって危険な絵画といわねばならぬ。自己を外界に向けて曝そうとするためである。と同時に、描く本人をもまた、危険な人間とせずにはおくまい。おそらく自己を深く掘る人は、他人をも掘り、外界をも掘削する」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この本の中には、十八人の画家たちとその自画像とが紹介されている。この十八人の画家とそして自画像と相対するとき、私たちはそこに何を見出すのであろう。苦悶か、葛藤か、それとも恍惚の表情か。&lt;br /&gt;　それらは、すべて自分にはね返ってくることを私たちは忘れてはならない。その自画像は恐らく、作者であり、同時に、見る私たち本人であるからだ。何故なら、その像の中に何かしらを見出すのは、恐らく私たち自身の内にそれが存在しているからだ。&lt;br /&gt;　君は君であって私は君ではない。&lt;br /&gt;　しかし、君の中に私が何かを見出すとき、それは、私の中にも存在する。君の中にそれを私が見出すのは、私がそれを持っているからに他ならない。&lt;br /&gt;　画家はカンバスの上に自分を曝した。それが自画像であり、そこには汚物も憎悪も歓喜も、人間を形作る要素が至るところに散りばめられていることだろう。そしてまた、そんな絵と向き合う時、私たちは否応なくそこに自分を見出す。カンバスの上に曝されているのは、決して作者自身だけではないのだ、それを見る私たちもが、曝されている。&lt;br /&gt;　自画像と向き合うこと、とはまさに、私と「わたし」との対峙である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　あなたは今、この一枚の自画像の内に、一体何を見るのだろう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-796005162064070780?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/796005162064070780/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=796005162064070780' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/796005162064070780'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/796005162064070780'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2004/03/blog-post_04.html' title='「自画像との対話」黒井千次著　文藝春秋刊'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-8711091445064180422</id><published>2004-03-02T01:17:00.000+09:00</published><updated>2008-10-31T01:18:06.147+09:00</updated><title type='text'>「かんがえるカエルくん」「まだかんがえるカエルくん」「もっとかんがえるカエルくん」 いわむらかずお作　福音館書店</title><content type='html'>　カエルくんとその友達のネズミくん。ふたりはいろいろ考える。&lt;br /&gt;　たとえば。&lt;br /&gt;「よるがくるね」&lt;br /&gt;「よるはどこからくるの？」&lt;br /&gt;　かんがえているカエルくん&lt;br /&gt;　よるをさがしているネズミくん&lt;br /&gt;　よるをさがしているふたり&lt;br /&gt;「じめんのしたからよるはくるんだ」&lt;br /&gt;「そっか」&lt;br /&gt;「そらはあかるいけど、じめんはくらい」&lt;br /&gt;「あのきのねもとからよるがくる」&lt;br /&gt;「あのくさのねもとからよるがくる」&lt;br /&gt;　かんがえている&lt;br /&gt;　よるをさがしている&lt;br /&gt;「だけど　どうしてよるはくらいの？」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　彼らのやりとりは、そうやって続く。何処までも何処までも。ふたりの「なぜ」「どうして」は、とどまるところを知らない。そしてふたりの「なぜ」「どうして」は、とてもとても素朴なのだ。え？　言われてみると…と、大のオトナが言いたくなるくらいに。&lt;br /&gt;　オトナになると、多分あちこちで、知っているふりをする。たとえば先に挙げた夜を、私たちはどう説明するだろう。少なくとも、地面の下から夜が来るとは、誰も考えまい。よる→くらい→くらいのはじめん→じめんからくるのだ、なんて、間違っても言うまい。ましてや、夜はどうして暗いの、なんて子供に聞かれれば、「太陽が沈んだからだよ」と、夢もへったくれもないようなことをすっと言ってしまうのがオチだろう。朝が来て昼が来て、やがて夜が来て。そしてまた太陽が昇ればそれが朝なのだ。大人は多分そうやって、一日を順々に捉える。そこに疑問の余地は、多分、ない。オトナにとって、それは、知恵であり、術なのだ。&lt;br /&gt;　でも、オトナじゃない、コドモにとっては違う。そんな知恵なんて、術なんて、クソ食らえだ。&lt;br /&gt;　だからこの本をひらくと、いたるところで、ふふふと笑えてしまうのだ。そうそう、そうだよね、と。言われてみればそうだよね、何故だろう、どうしてだろう、と。&lt;br /&gt;　一日を上手にやりくりするために、人はいろんな習慣を作る。それに自分を慣れさせ、極端な表現かもしれないが、或る意味自分をベルトコンベアの上に乗せて、生き易いよう、生き易いようにリズムを作る。ひとつひとつのことに立ち止まっていたら、きりがないから、できるだけ上手に、楽に生きられるように。&lt;br /&gt;　でも、そんな毎日に、疲れることもある。あまりにいろんな規則を作って、あまりに自分を枠にはめて、そうやって歩いてゆくのは楽かもしれないけれども、同時にちょっとつまらない。だから立ち止まる。立ち止まって、いつもは見過ごしている空を見上げたり、いつもなら目にもとまらない看板に立ち止まってみたり。そうやって見てみると、自分の周りは、あれ？どうして？が散りばめられていることに気付く。&lt;br /&gt;　なぜ？　どうして？&lt;br /&gt;　だから、当たり前に過ごしている毎日に立ち止まりたくなったとき、私はこの本を開く。そしてふふふと笑う。そうそう、と相槌をうつ。そして本を閉じ、空に向かって、風に向かって、深呼吸する。&lt;br /&gt;　そう、この本たちは、私の大切な、深呼吸の為の本である。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-8711091445064180422?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/8711091445064180422/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=8711091445064180422' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/8711091445064180422'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/8711091445064180422'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2004/03/blog-post.html' title='「かんがえるカエルくん」「まだかんがえるカエルくん」「もっとかんがえるカエルくん」 いわむらかずお作　福音館書店'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-5093022249128114822</id><published>2004-03-01T01:16:00.000+09:00</published><updated>2008-10-31T01:16:50.603+09:00</updated><title type='text'>L'oeuvre de Camille Claudel catarogue raisonne カミーユ・クローデル作品カタログ　レゾネ/監修レーヌ＝マリー・パリス</title><content type='html'>　これは私の偏見かもしれないが。芸術家が男性でなく女性である場合、純粋にその女性芸術家の作品・実績にスポットが当てられることは少ないと思われる。作品にではなく、むしろ、その人生、生き様にこそ光が当てられ、人々の注目を集めることの方が多いと言える。カミーユ・クローデル（Camille Claudel,1864～1943）の場合もそうであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　オギュースト・ロダン（Auguste Rodin,1840～1917）の弟子であり、共同制作者であり、そして愛人であったカミーユ。そして、詩人、劇作家かつ外交官であったポール・クローデル（Paul Claudel,1868～1955）の姉カミーユ。後半生はパラノイアに陥り、精神病院へと収容されることとなったカミーユ。&lt;br /&gt;　彼女の復興運動が興っても、女性であることやその激しい生き様にこそスポットは当てられ、彫刻家としての彼女が知られるようになるまでには長い道程を要した。今もまだ、私から見ると彫刻家カミーユ・クローデルとしての知名度は、まだまだ足りないように思う。つまり何処までも「人間あるいは女性カミーユ・クローデル」であり、「彫刻家」という冠は、何処かに置き忘れられてしまったかのような。&lt;br /&gt;　しかも、ようやく作品について述べられる機会を与えられれば、今度はロダンとの比較ばかり。ロダンの影響下でのカミーユ彫刻ばかりが取り上げられるという始末。&lt;br /&gt;　確かに、あの時代、ロダンの彫刻は衝撃であった。脅威であった。その影響はフランスに留まらず世界へ伝播し、日本にも当然の如く伝わった。日本近代彫刻家たちの多くが、ロダンを父と、師としてあがめたような時期もあった。そのロダンの愛人ともなれば、ロダンの影響をどれほど強く受けたかとみられることは、いたしかたがないともいえる。また、ロダンは、彼の作品制作の主要部分の殆どを、弟子カミーユに委ねていた事実もあり、ロダンの作品とカミーユの作品に、その主題に、幾つもの接点が見出せるのも事実である。&lt;br /&gt;　しかし。カミーユ・クローデル、彼女の彫刻には、ロダンと出会う以前に、そのロダン的要素とでもいうべき力強さ、女とは思えぬほどの大胆さがすでに宿っていたことを、私たちは忘れてはならない。それは、ポール・デュボワの有名な言葉、まだロダンの存在はもちろんその彫刻のことも全く知らずにいた年頃のカミーユに向かって「君はロダン氏に習ったのかね？」といわしめた実力が、十分に証明してくれよう。それだけではない、彼女の初期の試作品についての唯一の証人、マティアス・モラールは、次のように語っている。「実際、特筆すべきことは、この初期の試作品が動きの点でも形式の点でも、荒々しい激しさを証明していることである。…これはまさに、ロマンティックなドラマである」。そうした彼女の資質は、最初の師アルフレッド・ブーシェのもとで見事に開花したものであって、そこには決して、ロダン彫刻と彼女の彫刻とを結ぶ接点はない。また、この頃のカミーユに関してのマティアス・モラールのさらなる記述をみれば、「この時期から、マドモワゼル・カミーユ・クローデルはフォルムに大きな配慮を払うようになり、解釈し、知性と高貴な感性をもってそれを洞察するようになる。彼女の忠実な手から創り出される作品は、決して心自体を裏切ったり縮小したりすることはないであろう。これから後、彼女が私たちの目の前に鮮やかに表現していくのは、自然の悲劇的な、あるいは抒情的な美なのである」とある。また、カミーユ彫刻研究の第一人者として知られるレーヌ＝マリー・パリス氏は、カミーユがロダンの工房に下彫工として入った頃には、彼女はすでに自分自身の作品の作風を確立していたと証言している。&lt;br /&gt;　つまり。彼女のロダン的要素は、彼女に生来備わっていたものであり、それがロダンのもとで眩しいほどに洗練されたとこそ考えるべきなのではないだろうか。「カミーユ・クローデルの作品は、（ロダンとの）訣別と否定によってではなく、掘り下げ濃縮することによって師（ロダン）の影響を脱しようとする弟子の、必死の努力を明らかにしている」（レーヌ=マリー・パリス）。&lt;br /&gt;　これは、あくまで私の観だが。パリのロダン美術館を訪れた折、私はその門に立ち美術館を目の前にした時、眩暈を感じた。館が叫んでいるのである。いや、館の中からこちらへと、幾つもの声が突き刺さってくる、そんな錯覚を覚えた。それはとても息苦しく、地を這うような、苦しみにも似た、そう、呻き声だった。館に入って、そこで私は呻き声の正体を知る。ロダンの彫刻が、館にひしめくありとあらゆる彫刻が、うめいているのである。苦悶に悶えているのである。&lt;br /&gt;　一方、ロダン美術館の中の小さな一室、カミーユ・クローデルの部屋としてもうけられたその一室に入ると、突然あたりはしんと静まり返る。それまで私の耳にぐわんぐわんと押し寄せて来た一切の声が消えるのである。そして知る。あぁ、ロダンの彫刻が外へと叫ぶのならば、カミーユの彫刻は内へ内へと向かう声、ひそひそと小さくおしゃべりする彫刻なのだなということを。それは、まったく対極といっていい。ロダンの彫刻、そしてカミーユの彫刻が持つその性質の異。&lt;br /&gt;　そんな二人の彫刻を前にして、当時こう思ったことを今でもはっきりと覚えている。ロダンの彫刻が見る者に感動を与えるものであるならば、カミーユの彫刻は、共感を与えるものなのではないか、と。&lt;br /&gt;　そして、私がカミーユ彫刻を見つめるときに興味深いと思うことの一つはこの点にある。なぜなら、こうした「共感」というものは、当時西洋にはない感覚であったからだ。「いつも何かはっと驚かされたり、面白がらせていることを求める我々には、あの親密な共感---もしこう言ってよければ、あの魂の潤いというものが欠けているのです」（ポール・クローデル「朝日の中の黒い鳥」より引用）。余談かもしれないが、ロダンを師と仰ぎ、その言葉を聖書のように愛したとして知られる日本の近代彫刻家の一人である佐藤忠良氏が1981年にロダン美術館で個展を開き大成功を収めた折、それを評したル・モンド誌美術記者がこんなことを記している。「（佐藤の彫刻は）淡々として美しい命の表現だ。ロダンというよりカミーユの結晶だ」。そして。もう一度この日本の近代彫刻史を省みてみると。ロダンを師として、父として敬い慕った何人もの日本の彫刻家たちが、徐々に徐々に、ロダン彫刻から離れていったことを思い出さないだろうか。ロダンの彫刻を、ただ荒々しいばかりだ、と、或いは叫ぶばかりで余計な肉をつけすぎた肥満児のようにさえ見える、と。そうして彼らは、たとえば高村光太郎など、それまでの作品からふわりと離れ、まるで工芸と思えるような領域へと立ち戻っていった。内へ内へと囁くような小さな彫刻へと。&lt;br /&gt;　そうした歴史や事実を省みるとき、私は、思うのである。日本の近代彫刻の師は、実はロダンではなく、カミーユ彫刻ではなかっただろうか、と。荻原守衛たちがロダンの工房を訪れた頃、カミーユはロダンの工房の下働きをしていた。そしてその当時、アトリエには、山のように弟子たちの彫ったものが散乱していたという。そのことを思うとき、守衛たちは実は、ロダンの作品というよりもカミーユの彫ったものたちに心惹かれていたのかもしれない、と。&lt;br /&gt;　そんなふうに私は夢想しつつ、カタログをめくる。そこにあるのは、決して大きな声を出さない、ねぇねぇ、こっちよ、と、耳元で囁いてくるような作品たち。それは、とてもここちよい響きを、私の内にもたらしてくれるのである。&lt;br /&gt;　カミーユ・クローデル彫刻をそうやって、いくつもの角度から捉えた一冊が、この本である。日本でカミーユ・クローデルに関する本といえば、おそらくみすず書房から出ているレーヌ＝マリー・パリス著「カミーユ・クローデル」などが挙がるだろう。が、私はあえて、この、カタログレゾネの方を推薦したい。その作品ひとつひとつを、もう一度、その目に捉えてみてほしい。その人生よりも、彫刻家カミーユ・クローデルの作品群をこそ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-5093022249128114822?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/5093022249128114822/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=5093022249128114822' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/5093022249128114822'/><link rel='self' type='application/atom+xml' 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type='html'>　1920年代、外交官として日本で過ごしたポール・クローデルは、日本を訪れるずっと以前から姉カミーユ・クローデルの影響もあって日本文化へ非常な興味を持っていた。その彼の目から見た大正時代の日本、日本で生まれ育った日本人では見落としてしまいがちな、日本ならではの風土と文化が語られているのが「朝日の中の黒い鳥」だ。&lt;br /&gt;この著作は、1927年、クローデルが日本を離れてまもなく、エクセルシオール社から出版されたのが初めでその後何度か版を重ねているが、この文庫本は、1965年にガリマール社から発行された「クローデル散文集の中に収められているものを底本として訳出されている。&lt;br /&gt;　彼は外交官として日本に滞在する間、実に多くの日本美術を探求し、各地を旅行して回った。そして、かつて日本を訪れた幾人もの芸術家や文学者、哲学者たちがおこなったような、日本の光景を自分の感情の赴くままに軽妙にセンチメンタルに描写するのではなく、彼自身が実際にそこに身を置いた様々な情況や旅行や日々の中での会話、読書などから、日本の文化を、日本人という民族を、実体験として理解し、掴み取り、ここに記している。&lt;br /&gt;　本著の中から幾つか引用したい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「日本人の生活とは、ちょうど旧家の子供が家の古くからの祭りに加わるように、この厳かな暦の運行に加わることなのです。日本人は自然を服従させるというよりも、自らがその一員となること、自然がとりおこなうさまざまな儀式に参加することへと向かいます。自然を見つめ、それと同じことを繰り返し、自然がもつ言葉と自然の衣裳を補い完全なものにしてやる。日本人と自然とは同時に生きているのです。人間と自然との間にこれほど密接な理解が存在し、これほど明瞭にお互いがお互いの刻印を宿し合っている国はありません。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「われわれヨーロッパ人の観念とはすべてを言うこと、すべてを表現することです。枠の中はいっぱいに満たされており、それを満たしている様々な事物の間に打ちたてられる秩序、線や色彩の構成から美というものが生まれます。これに対して、日本では書であれデッサンであれ、一枚の頁の中でもっとも重要な役割は常に余白の部分に委ねられています。あの描かれた小鳥、木の枝、魚などはある不在の場に挿絵を添え、この場の存在を示す役割しか果たしていません。想像力の働きがその場に喜びを見出すのです。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「日本人の精神がそのもっとも本質的な特性の中でもとりわけ、たとえば忍耐心や注意力のような特質に磨きをかけてきたとしてもどうして驚くことがあろう。意志のこれほど巧みで厳しい訓練、壊れやすい神経組織の上にこれほどピンと支えられた監視力、精神をこんなにも繊細で入念に行動に適応させる能力、これらのものを一体他のどの国に見出すことがあろうか。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これは、クローデルがその当時日本文化そして日本人に対して抱いた礼讃のほんの一部である。これを読むとき、私たちは気付きはしないだろうか。これらクローデルがたたえた日本国が持つ独特な美質や日本人の気質は、今現代を生きる私たちにとって、もうすっかり過去の遺物になっていやしないかということを。絵画や版画といった美術品に特に特徴的に現れてくる余白は、かつて、日本文学においても「余白の美学」として立ち現れたものであった。しかし、今、私たちを取り囲むこの現状、現実社会を省みるとき、それは一体何処に存在しているのだろう。過剰なほどに言葉にし、表現し、意志表示をしなければ存在さえ容易に無視され下手すれば押し潰されてしまう性急な社会。それでいながら、差し迫った問題を後回しにし、或いは見ないふりをし放棄する、その結果、幾つもの問題が山積みになったまま腐臭を放っている。そうなった現状に自らも加担していたにも関わらず、周囲を批判するばかりで、己の責任は何処までも回避してゆく。そこから生じる慢性的な疲労感にすっかり覆われた人々の心は、物質的欲求にその殆どが占められ、想像力の働く隙間など、もはや殆ど残っていない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　彼は本著最後に収められている、離日後に書いた「日本への惜別」でこう述べている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「こうした陰鬱な情景に、さらにおそらくもっとも先行きを不安にする事柄を付け加えなければならぬ。日本の大学に関することである。日本の大学は比較的数が多く沢山の学生が通っているが、毎年限られた就職口に大量の学生を吐き出し、多くの落伍者を生んでいる。これらの若者たちは非人間的な勉強と非常な犠牲を払ってどうにかこうにか卒業免状を手にするに至るのである。…中略…ヨーロッパ風の服装をした若者たちのうす汚れてしまりのない姿は、この国にもともと存在していた衣服の厳粛さ優雅さ清潔さと好対照をなし、東京でもっともみすぼらしい光景の一つである。これらの飢えたる人々はどうなるのか。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「とりわけ極東の国々における現在の局面がもつ本質的で根本的な重要性を理解するとき、日本がその高慢さ、その伝統、迷信的習慣、その名誉、そして今日まで極東における権利を構成してきたものすべてを後に捨ててさらに生き長らえるためには、いったいどのように対処していけばいいのか。たえず飢饉に脅かされている何百万の人々を、平和で民主的な国にどのようにして変えていくのだろうか。&lt;br /&gt;　そのことを待ちながら私が別れを言わなければならないのは古い日本、私がかつて長く暮らし強く愛したあの古い日本に向かってである。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　彼の、日本に対して抱いた不安はおおむね的中したといって過言ではないと私は思っている。自分の周囲、身の回り、その日常を省みれば、それは容易に明白になる。別に私が今更声を大にしていわずとも、殆どの日本人がそれは実感していることに違いない。日本は日本であることをいつのまにか恥じるようになり、もともと持っていた物真似の巧みさを使って欧米を追いかけ、そうしてくる中で、次々、自らの衣を脱ぎ捨て焼き捨ててきた。それは、いいかえれば、日本人であることを捨てるに等しいことでもあった。でも、それをすすんでやってきたのが日本人である。その結果在るのが、今のこの世の中なのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そしてもうひとつ、私がおもしろいと思った部分が幾つかある。それは、「この動く大地の上では、日本人は…自らをできるだけ小さく、できるだけ軽くする（ことで生きてきた）」「そして、日本人は自分の家と家財道具を周囲の状況に合わせてきたように、自分の心もそれに合わせてきた」「（大震災に襲われ廃墟の下に埋もれた犠牲者たちの声も）「助けてくれ！こっちだ！」というような差し迫った叫び声ではなかった。「どうぞ、どうぞ、どうぞ」（お願いします）という慎ましい懇願の声だった」などとクローデルが示す日本人的気質だ。これは、クローデルが示したときは、日本人の美点であったはずだ。しかし、この日本人的特質は妙な変貌を遂げた。はっきりと口に出して物事や精神を表現しきる術もうまく使えぬままに、個人と個人の繋がりを関係性を育む前に個人の権利ばかりを主張するようになり、気付けば、自分さえ良ければというところに行きついてしまった。今、私たちを取り巻く現状を、自分自身を含めた日本人を振り返ったとき、すぐそこに蔓延していないだろうか。自分さえというこの傲慢さが。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　姉と揃って親日家であった彼のこの著作には、丁寧に丁寧に、そして愛情とともに冷静な目で大正時代の日本が語られている。そこには、私たちが今失ってしまった日本人らしさ、誇りにこそすれ失ってはならなかった日本人らしさが詰めこまれている。&lt;br /&gt;　しかし、私はここで、今の私たちの有様を否定しようとしているのではない。むしろ、今の私たちは私たちにしか持てないものを持っていると信じている。でもそこに、魂の潤いはあるのだろうか。誇りはあるのだろうか。私は、一日本人として、一個人として、胸をはって生きていたい。ただそれだけを思いながら、毎日をこつこつと生きている一人だ。だからこそ、単に生き急ぐばかりでなく、時に立ち止まり、自分が拠って立っているこの大地に沁みこんだ血や汗、歴史（時間）を振り返り、自分に常に問いかけ続けていたいのである。&lt;br /&gt;　私に、日本人の誇りはあるか。いや、この世界を担う一人の人間としての誇りは、あるか、と。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-6760115965796570363?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/6760115965796570363/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=6760115965796570363' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6760115965796570363'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/6760115965796570363'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2004/02/blog-post_26.html' title='「朝日の中の黒い鳥」ポール・クローデル著、内藤　高訳、講談社学術文庫'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-859039798700234306</id><published>2004-02-25T01:12:00.000+09:00</published><updated>2008-10-31T01:13:41.853+09:00</updated><title type='text'>furuya「Christine Furuya-Gossler Memoires,1978-1985 クリスティーネ　フルヤ＝ゲッスラーメモワール　1978-1985」（写真：古屋誠一、光琳社出版、定価4500+税円）</title><content type='html'>　写真家古屋誠一氏による、亡き夫人のポートレート。&lt;br /&gt;　これほどまでに張り詰めた、夫と妻との関係、その緒の形を、私はこんなふうに写真集で見るのは初めてだった。夫婦でありながら、全くの第三者としての眼と眼、その対峙の仕方、私は、綴じられた写真の束を見ながら、ある種の戦慄さえ覚えた。時に虚ろに、時に切実に、時に投げやりに、時に痛切に、声なき声をもって、そこに在る人を、ひたすらに撮り続けるという行為。同時に、撮られるという行為。&lt;br /&gt;　今これを書くにあたって、再度この写真集を前から順々に、そして後ろから順々に見つめ直してみた。どちらから眺めても、ここにある視線はこれでもかというほどにぴんと張り詰めている。こうやってカメラを挟んであちらとこちら、対峙するということがどれほどエネルギーを費やさねば為し得ることのできないものであったか。いや、もしかしたらそんなもの意識せずにあちらとこちらで本人たちは向き合っていたのかもしれない。でも、だとしたら余計に、この視線のもつ緊迫感、切迫感は、哀しい。同時に、切ないほどいとおしい。&lt;br /&gt;　この写真集に対する批評を幾つか読んでみると、そこには、愛のない写真だといったコメントが記されていたりする。が、私には逆に思える。いや、それも違うかもしれない。なんというか、この写真の束を見つめるほどに、古屋氏とクリスティーネ氏との間に紡がれた、その二人のものでしかない、その二人のもの独特の愛が、そこかしこに張り巡らされているように私は感じる。それは、見つめている私までもが息を詰まらせてしまうほどに。&lt;br /&gt;　ページをめくるごとに彼女の瞳の奥に視線の奥に広がってゆく虚空、逆を言えば、ページを遡るほどに温みをもってゆく彼女の瞳や体温、そしてそれに対して常に全く逸れることなく対峙するカメラと古屋氏。&lt;br /&gt;　彼女と出会ってから彼女が自殺するまで、彼女が自殺してから彼女と出会うまで。この写真集は、そうやって前から後ろから、それぞれに眺めることができる。ぱらぱらと適当に途中をめくるのではなく、前からか後ろからか、本の表紙からか裏表紙からか、時間を遡るか時間を辿るのか、それを、見る者に選ばせてしまうような引力がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここには、人と人との関係がどれほどに緊迫したものであるのか、人が人である時にそれがどれほどの切実な叫びをもってしてあるものなのかを省みさせる何かがある。私には、そう思えてならない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-859039798700234306?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/859039798700234306/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=859039798700234306' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/859039798700234306'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/859039798700234306'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2004/02/furuyachristine-furuya-gossler.html' title='furuya「Christine Furuya-Gossler Memoires,1978-1985 クリスティーネ　フルヤ＝ゲッスラーメモワール　1978-1985」（写真：古屋誠一、光琳社出版、定価4500+税円）'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-2354925075889957573</id><published>2004-02-24T01:11:00.000+09:00</published><updated>2008-10-31T01:12:22.945+09:00</updated><title type='text'>「幻世の祈り---家族狩り　第一部」天童荒太、新潮文庫、476円</title><content type='html'>　「新・家族狩り　五部作」と大きく書かれたポスターを書店で見つけたのはついこの間のことだった。娘に絵本を買ってやろうと本屋に立ち寄り、レジに並んでいるときにふっと私の視界をかすめた。急いでいたので、部分だけをとりあえず頭にメモし、私は本屋を後にした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　翌日、家の近くの書店へ出掛け、店員に訊いてみる。が、なかなか要領を得ない。三軒目でようやく、第一部「幻世の祈り」を手にすることができた。これから毎月一冊ずつ刊行される予定だという。&lt;br /&gt;　私にとって、家族というものが孕む問題は他人事ではない。家族というものについて長い間悩み苦しみ、血反吐を吐いてきたという記憶があるからだ。&lt;br /&gt;　私が大人と呼ばれる年頃になった頃、アダルトチルドレンや機能不全家族といった言葉が世間でも囁かれるようになった。私も一時期、その言葉にすがり、逃げこんだ覚えがある。（でも、そういった言葉にすがったり逃げこんだりしているうちは、何も変わらない、問題を自ら受け容れ消化しなければ何も変わらないことを、今はもう知っている。）&lt;br /&gt;　天童氏が1995年に世に送り出した単行本「家族狩り」は、そんな私から見ると、社会小説と思えた。それは多分、今回の第一部あとがきに自ら書かれているように、天童氏が&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「私には、いまのこの複雑な世界を把握したいという欲求があります。やりきれなことばかり起き、報われることの少ない世の中に、それでも生きる価値を、物語を通して模索したいという想いがあります。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;といった姿勢で、常に仕事（作品）と向き合っているが故に生まれたからと私は受けとめている。&lt;br /&gt;　第一部を読み終えて。まだ私の中は混沌としている。この混沌には、自分の家族という像も、私が知る幾つかの家族や個人同士の緒、そして個人が世間というものになったときに生まれてしまう狭く冷たい、凶器にさえなり得る目線など、様々なものが含まれている。多分、五作全てを読み終えて、しばらくの時を経たとき、私の中で、一つの形になるのだろう。それを私は今からとても楽しみにしている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-2354925075889957573?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/2354925075889957573/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=2354925075889957573' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2354925075889957573'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2354925075889957573'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2004/02/476.html' title='「幻世の祈り---家族狩り　第一部」天童荒太、新潮文庫、476円'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-332572464835108261</id><published>2004-02-23T01:10:00.000+09:00</published><updated>2008-10-31T01:11:18.623+09:00</updated><title type='text'>「ビリー・ジョーの大地」カレン・ヘス作、伊藤比呂美訳、理論社</title><content type='html'>　1934年、大恐慌の真っ只中を生きた14歳の少女の日記。日記というが、訳されたそれはまるで散文詩集のよう。だから読み進むほどに断片になって散らばる印象が、どくどくと沸き上がって来る。断片すぎてそれらは、すぐどれと繋がるのか迷うことさえある。複雑なジグソー・パズルのように一見見える。が、それが幾つか繋がった時、強烈な光が放たれる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「あたしたちの将来はカラカラに乾いて/土埃といっしょにどこかに飛んで行ってしまったことを知る」（P55）「うすやわらかな花びらが太陽の中で焦げてゆくのを/あたしは見ていられなかった」（P110）&lt;br /&gt;「そして今/その悲しみは/階段をのぼりつめて、すぐそこまで近づいてきた。/テキサスぐらい大きくなって/まっすぐこっちに向かってきていたというのに/あたしたちはそれが目に入らなかったというのか」（P113）&lt;br /&gt;「いっしょに/ならんで/土埃の中をぱふぱふ歩いてゆくにつれ/あたしは/あとのことぜんぶについて/自分自身をゆるしている。」（P269）&lt;br /&gt;「今までずっと/この土埃から抜け出そうと必死だった。/でも現実は/土埃もあたしの一部だった。/土埃があるからあたしがいる。/そして、こんなありのままのあたしはとてもいい。/自分で見てもいいなと思える。」（P290）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そうして散りばめられた言葉たちは、まるで彼女の命の煌きのように、こちらの胸を目を射るほどにきらきらと輝いている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-332572464835108261?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/332572464835108261/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=332572464835108261' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/332572464835108261'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/332572464835108261'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2004/02/blog-post.html' title='「ビリー・ジョーの大地」カレン・ヘス作、伊藤比呂美訳、理論社'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1790199787453880366.post-5860303938107318922</id><published>2004-02-20T01:09:00.000+09:00</published><updated>2008-10-31T01:10:17.727+09:00</updated><title type='text'>mecano / descanso dominical メカーノ「スペインの玩具箱」</title><content type='html'>　学生の頃、部屋にラジオは必須だった。両親が寝静まったのを見計らって、スイッチを入れ、耳をそばだてなきゃ聞こえないようなボリュームで、毎夜毎夜聴いた。中学一年生だったか二年生だったか、社会科の宿題で「始皇帝」について調べて来いと言われた夜もラジオを聴いていて、いきなり「がはははは」と豪快に笑う中島みゆきのオールナイトニッポンの音に、椅子から飛びあがらんほど驚いたりもした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この歌も、最初はラジオで耳にした。誰が紹介していた歌だったかは覚えていない。でも、歌が流れ始めてすぐに、私はこの歌手名と曲名をメモした。それは、スペインのメカーノというグループの、「マドリッドにひとり」だった。&lt;br /&gt;　当時、輸入盤という代物をまだ知らなくて、私は毎日のようにあちこちのレコード屋を回ったが、メカーノなんてグループのアルバムは何処にもなかった。でも諦められない。探して探して。そうしているうちに三年の時間を経ていた。&lt;br /&gt;　あった！　見つけた時は夢かと思った。当然レジに走り、その勢いのまま家に帰り、私はそのアルバムをかけた。&lt;br /&gt;　ボーカルの、水彩絵の具を思わせるような透明度を持ちながらしっかり芯の在るその声色、その後ろで奏でられる、曲毎に跳ねたり澱んだり怒涛のように流れ去ったりする音たち。スペイン語をまともに聴いたのは、私にはそれが初めてだった。でも、知らない言語なのだけれども、そんなのは飛び越して、すこんと私の心の中に落ちてきた。&lt;br /&gt;　何度も繰り返し聴くうち、スペイン語が知りたくなって、全く知りもしないのに辞書を買った。四苦八苦しながら辞書をひき、訳詞を読み、一曲だけでも歌えるようになりたいと思ったりもした。&lt;br /&gt;　決して押しつけることもなく、ふわっと浮いた風船みたいに心地よく、今も私は時折々にこのアルバムを聴く。そうするとなんだか、ふんふんと鼻歌を歌いたくなってくるから、アルバムを聴き終えた後私の周りには鼻歌が広がる。家事をしながら、原稿を書きながら、日記を記しながら、ふんふんふん、と、好き勝手なメロディで鼻歌を歌う。歌ってこんなふうに、心のしこりを軽くしてくれるものだったよのね、なんて、一人勝手に口元を緩めてみたりする。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-5860303938107318922?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/5860303938107318922/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=5860303938107318922' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/5860303938107318922'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/5860303938107318922'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://skywind0665.blogspot.com/2004/02/mecano-descanso-dominical.html' title='mecano / descanso dominical メカーノ「スペインの玩具箱」'/><author><name>SN</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05387761393705573990</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' 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/&gt;　ただ静かに目を閉じて、音にだけ体を、心を、預けていたい。そう思える。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　生きていると、いろんな音が聞こえる。音のない状態など、多分あり得ないほどに、この世界は音で溢れかえっている。&lt;br /&gt;　そんな中にありながら、ぴんと、細い細い糸が張り詰めたような静けさを、このアルバムは思い出させてくれる。&lt;br /&gt;　私にとって、かけがえのない、一枚。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1790199787453880366-2566168538960048824?l=skywind0665.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://skywind0665.blogspot.com/feeds/2566168538960048824/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1790199787453880366&amp;postID=2566168538960048824' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1790199787453880366/posts/default/2566168538960048824'/><link rel='self' type='application/atom+xml' 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