2005年2月17日木曜日

相手不在の恋愛~ 中沢けい著 「手のひらの桃 」を読む

 十代で書いた「海を感じる時」が群像新人文学賞を受賞して以来、マイペースで今も書き続けている作家の一人に、中沢けい氏がいる。どこにでも転がっている日常の、触覚や嗅覚に訴えてくる対象を掬い取り見事にそれを描き出す作家のひとりだと、 私は思っている。
 彼女の短編集のニ冊目で、もうかなり以前のものになるのだが「ひとりでいるよ一羽の鳥が」というものがあり、その中でもとりわけ短い作品で「手のひらの桃」がある。この作品が発表されたのは一九八ニ年の群像十二月号であるから、もうかれこれ十七年前になるのだが、この作品から感じる空寒い悪寒は、私たちが生活している今にもそのまま反映されている。
 数十頁という短いこの「手のひらの桃」という作品の中で、何より先に私の心をとらえたのは、主人公瑞枝の、中絶に対する意識であった。瑞枝は小説の終わりで元恋人であった泰との間に出来た子供を堕ろす。彼女は、妊娠したと気付いた時から、そうすることを決めていたのだった。ここで、ごく普通に考えたなら、妊娠するということ自体が特別なことであるはずだ。なのに、更にそれを中絶するなど、私たちにとってはまさに一大事で、軽々しく扱える事柄ではない。しかしながら彼女は、「最初から堕ろす」ことに決めているのである。そうすることに対して、彼女は、何の抵抗も、何の疑問も抱いていない。私はこの点に何より魅きつけられた。これは一体何故なのだろう。
 性行為に対し、彼女はこう感じている。「行為が終わってしまえば、それまで」、その後では「全てが汚らわしいものに見えてしまう」、と。「全てが汚らわしい」、そう、彼女には行為が終わった後では、その行為に付随し存在していたもの、行為を営む相手である泰も含めた全てのものが汚らわしく映ってしまうのである。そして、愛の行為の結晶であるはずの子供は、まさしくこの汚れの結晶となってしまったのである。そう考えると、彼女にとって子供を堕ろすということは、今まで泰ともってきた性行為によってついてしまった「汚れ」をおとすこと、清算することに他ならない。だからこそ、彼女は一寸もためらうことなく、中絶することを、ごく自然に、不思議にも決めることができるのである。
 ひるがえって、もしも彼女が、泰に対して愛情を感じていて、それゆえに性行為をもったのであったならば、それはどうだろうか。もしそうであったならば、性行為が終わった後でも彼女がそれを「汚らわしい」と感じることは決してなかったであろう。言うなれば、彼女にとって泰とは、恋した相手などではなく、単に彼女が持っていた性行為への興味や欲求を、うまい具合に満たしてくれただけの相手だったのだ。つまり、瑞枝の行為は恋愛感情と結びついた行為であるとはいえない。
 そうなると、私たちの考えている、相手との一体化を求めるための性行為というのは、彼女にとっては違ったものになってくる。彼女は行為それだけをとったなら、それを蜜のように甘いと感じている。それだけ彼女の肉体は、その行為に満足しているといえるだろう。しかし、その相手に彼女は恋愛感情をもってはいないのである。官能的にはいくら開放していても、心は完全に閉ざされているのだ。性行為において、相手との一体感を感じながら存在する私たちに対し、彼女は、決して溶け合うことのない相手と自分とを感じながら、存在しているのである。つまり、彼女にとっての性行為とは、精神と身体が互いに統合して相手と溶け合うというものとは全く別の、というよりもむしろ、相手によって、自分自身の存在を明確にするという類いの行為。「二人」ではなく、完全に一方の、自分自身の快楽に他ならないのだ。だから、泰に対して彼女がいくら「好き」を連発しても、それは彼女にとって、他人が向けてくる冷たい視線(いわゆる異端者に対してのそれ)から、自分を守るための「装い」、本来相手と一体化するためにもたれる性行為において、自己完結してしまっている自分の姿を隠すためのものでしかない。だからこそ、泰へ好きだと言ったことを思い出すと、それがそのまま、自分のずるさとして彼女自身に跳ね返ってくると感じたりするのだ。
 こんな彼女の背景には、彼女の少女期がある。他人から「感覚的ブス」と呼ばれ、周りに疎まれながら育つ彼女は、それゆえにひとり遊びを覚えてゆく。子供たちが、大勢集まってみな一緒に遊ぶということを覚える時期に、彼女はそうした体験をすることなく育っていってしまうのである。いつもみなの輪の外にいる彼女は、輪の中に入ることを望む。入るために、彼女はいつのまにか、自分の価値判断を捨て、他人のそれを持って生きていこうとする。しかし上手くその中に入ることはできない。そんな彼女の自閉的状態で生きる姿と、性行為において自己完結してしまっている姿とは、まさに向かい合っているのだ。
 こうして読んでくると、「手のひらの桃」、この題名が暗示していたものが、だんだんと浮かび上がってくる。たっぷりと甘い汁を含んで、齧りつくと汁がこぼれてしまう桃の実。泰と瑞枝に食べられてしまうその実。そして、その桃の果汁に濡れた泰の手が、瑞枝の中絶手術に必要な書類の端に、茶色い染みをつけてしまうのである。これはまさに、瑞枝と泰の性行為そのものといえるであろう。そして、そんな桃を、そういった(彼女の)自閉的状態を読むときに、私たちは、それが瑞枝だけに限られたものではないということを、決して見落としてはならない。現在(いま)生きている私たちの誰もが、この自閉的状態に陥る要素をもっており、今こうして瑞枝の状態を読んでいる間にも、些細なきっかけ一つで、読む側にいたはずの私たちが、読まれる側へとまわってしまう可能性、危険性は、充分にあるのである。つまり、私たちは、一つの恋愛においても、それを成就する、完全に相手と自分との一体感を持つということができないような状況へと陥っている、と、言えるのではないだろうか。

(※中沢けい「ひとりでいるよ一羽の鳥が」講談社文庫刊)

2004年5月19日水曜日

MARUSCHKA DETMERS

  MARUSCHKA DETMERS、彼女と初めて出会ったのは、マルコ・ベロッキオ監督「肉体の悪魔」であった。当時、街角に張ってあったポスターを見、私はこの映画を見ることに決めた。理由は単純だ。ポスターに立った彼女の落ち窪んだ目が私の琴線に引っかかったからだ。それはメイクのせいで落ち窪んでいることははっきり分かった。が、そんなことは問題ではなかった。彼女の目が孕む妖艶な何かに、私は引っ張られたのだ。
 映画を見にゆくと、その映画自体はまさに、イタリアそしてフランス映画の匂いがむんむんの、こってりとした両国合作映画だった。でも私は、そんなことをまったく忘れ切るほどに彼女にのめりこんだ。次はこの映画館で上映されるらしいと知れば、テープレコーダーをこっそり鞄に忍ばせてその映画館へ飛んでいった。彼女の声、映像のバックに流れる弦楽器による微妙な旋律、そして最後の最後、彼女のあの微笑と涙と共に流れる古典ギリシャ語とを録音するために。今そのテープを数えてみると、合計で12本ある。まったく呆れる酔狂ぶりである。
 「肉体の悪魔」はラディゲが原作者だ。新潮文庫から今も出ていると思う。監督マルコ・ベロッキオは、この原作を、一体どう解釈したらこんな脚本になり得るのかと思うほどに壊し、再構築させている。見様によっては、主人公(原作では主人公は男性だが、この映画ではマルーシュカ・デートメルス演じるジュリアが主人公となっている)は狂人のように見える。婚約者がいながら若い学生と通じ合い、婚約者との新居となるはずのベッドの上で抱き合い、彼女はその若者の性器を切り落とす真似さえしてみせる。そして、床中にあらゆるものをひっくり返し、その中で彼女は笑いながら踊り狂う。しかし、彼女は本当に狂っていたのだろうか。もし今私が誰かにそのことを問われたら、否と答えるだろう。
 あちこちの男と通じ合い、同時に彼女は病んだ心を癒そうと必死にあがく。その有様が極端に描かれているから、見ている私たちはその極端さに引きずられがちだが、私は思うのだ。繰り返し繰り返しこの映画を見て、最後に思ったのだ。これは狂女の姿ではない。私たちの姿だと。
 正直に生きることは、この世界では実はとても難しい。あちこちで軋轢がおきる。そんなことをしたら、それに対して一つずつ責任をとっていかなければ周囲は収まらない。だから私たちは、適当に頭を下げ、自分の気持ちを半分隠して、にっこりしながら、ぺこりと頭を下げながら生きてゆく。それがこの世界だ。この世界をうまく渡ってゆく方法だ。しかし、それがもし上手にできなかったら? ジュリアは多分、普段隠している私たちの本性だ。その化身だ。それはとても不器用で、切なくて、哀しくて、もしかしたら見ている者の目を逸らさせるかもしれない。すべてを自ら失った後、彼女が最後の最後に見せるあの微笑は、だからなおさらに美しい。自ら選び取った道、生き様を、彼女の微笑は受け入れようとしているように、私には見える。
 そして私は恋に堕ちた。マルーシュカ・デートメルスという女優に。彼女のあの目は、私の胸を貫いてしまった。女性が女性に惚れるとは。でも私は惚れたのだ、彼女に。
 以来、彼女が出演する作品が上映されると知るたび、あちこちに飛んでいった。「夏のアルバム」(ダニエル・ヴィーニュ監督、)はもちろん、「赤と黒の接吻」(エリック・バルビエ監督)、それから監督名は忘れたがジェラール・ドパルデューと共演した「ふたり」、そしてビデオで「カルメンという名の女」(ジャン=リュック・ゴダール監督。ちなみに、私はゴダールさんはあんまり好きではない)、ジェーン・バーキンと共演していた「ラ・ピラート」など。
 そして。
 私が一番心に残っているのは、メハナム・ゴーラン監督作品「ハンナ・セネシュ」を演じたマルーシュカ・デートメルスだ。(この映画パンフレットでは、彼女の名はマルーシュカ・デトメールと訳されていた。)
 ハンナ・セネシュとは、第二次大戦時を生きた一人のユダヤ人という実在の人物で、監督は1964年にすでにハンナの家族に接触し、映画化したいと申し入れていたという。

「ハンナ・セネシュの物語は戦争アクションではない。ハンナはスリリングなスパイ行為を鮮やかにやってのけたわけではない。かといって詩を書く若い理想主義者の女性の話でもない。彼女は詩を書くナイーブな娘だが、命を賭けて危機に挑み、自分の考えに反することには決して屈することがなかったのだ。そしてもちろん空挺部隊の連中の話でもない。ハンナは他の情報部員と訓練を受け、数名と共に任務を授かったが、その事実が物語の核ではないのだ。それらはひとつひとつの要素であって、その集合体としての複雑なハンナの人間性を、ゴーランは描きたかったのである。
(中略)
 もちろんゴーランは自己犠牲を美化しているわけではない。またハンナはむしろ、逮捕される前に自殺できるにも関わらず、自殺せずに生きることを選んだ女性だ。」
(映画パンフレットの解説より引用)

 私は多分、死ぬまで、この映画の法廷シーン、ハンナの処刑シーンを、忘れることはないだろう。そのくらい鮮烈で強烈だった。彼女が法廷で、一言一言、人間であることは一体どんなことなのか、生きるということはどういうことなのか、そして、誇りというものは何であるのかを淡々と述べてゆくとき、それは私の中で永遠の問いに変わった。私が人間であるということはどういうことなのか、生きるということはどういうことなのか、そして私が私自身であるというその誇りは一体どういうものなのか。
 いわれなき罪をきせられ、処刑されるそのとき、彼女は白い雪の中で、その雪と同じ白いブラウスを着、立っている。銃声が辺りに響き渡り、彼女の体が雪の中に倒れ込んでゆくとき、彼女の目は天を向いている。開かれたままの目は、最後に何を見たのだろう。
 誰が悪いわけではない。誰というたった一人の特定の誰かが悪いわけではない。人間が起こしてゆく戦争は、多分、人間から人間性を奪う行為なのだ。それでも人間は戦争を止めることはできない。多分永遠にこの世界の何処かで戦争は為されてゆくだろう。でも、ならばせめて。
 人間が人間であることを忘れないでほしい。人間が人間であるからこそできることを忘れないで欲しい。自分を守ろうとするのは人間の常だ。それが当然だ。でも、ならば、誰かの屍の上に今自分は立っているのだ、それが私たちの地面を支えているのだということを決して忘れてはいけない。
 マルーシュカ・デートメルスは、この作品が制作されることを知った時、監督に直訴しに行ったという。「私こそハンナ・セネシュだ」と言って、そうしてこの役を勝ち取った。それだけに、彼女の真摯な演技は、周囲のベテラン演技者たちの間からも際立って見える。もうここには、かつてセックス・シンボルとマスコミにこぞって揶揄された彼女はいない。いるのは、髪の先まで、瞳の色まで役にのめりこませ、自身をその役の化身とさせずにはおかない彼女である。
 映画として、「ハンナ・セネシュ」は詰め込みすぎたように思われる。ここまで詰め込むならいっそ、映画の時間を倍にして、もっとつっこんで描いてほしかったと私は贅沢なことを望んでいる。しかし。
 それでも、映画の中で、マルーシュカ・デートメルスは輝いていた。凛然と。
 だから要するに。
 私は惚れているのである。彼女に。もうこれは、ぞっこんである。他に何も言いようがないほど。彼女を超える女優とは、一体いつ出会えるだろう。自分でそのことを問うてみても、首を傾げたくなるくらいに。私は彼女に惚れている。

2004年4月20日火曜日

「浜田知明作品集」 求龍堂 15,000円

 浜田知明氏の作品で私が初めてこの目にしたものは、「初年兵哀歌(歩哨)」(1954年作)であった。比較的小さな絵の前で、私はしばし立ち止まらずにはいられなかった。こんなにも静かな、いや、無音の世界なのに、なんて哀しいのだろう、なんて切ないのだろう、何故こんなにも。そんな思いが、私の心中をいっぱいに満たし、同時にそれは、ぐるぐると私の中で回っていった。以来、折を見つけては氏の作品を見に行く。見に行くことが叶わなければ、その時はこの作品集のページをめくる。
 彼の版画作品は、切実である。どこまでも誠実で、そして切実である。この本の解説部分でこんなことが記されている。

 「彼の銅版画へ向かったいきさつは、後から聞いても明快で説得力がある。従軍中に直面した不条理を告発すると心に決めた彼は、人間心理の深層にまで照明をあてて「戦争」を描くための方法を模索する。テーマは決まっていたのである。「是が非でも訴えたいものだけを画面に残し、他の一切を切り捨てた。色彩を捨て、油絵具という材料を捨て、そして白黒の銅版を択んだ。」」

 たとえば「不安」(1957年)という銅版画では、空一杯を埋め尽くす爆撃機から、身を隠すように必死に生き残ろうと、小さな箱の中で息を潜める人間の姿が描かれる。恐らくは全員が全員、焼夷弾に焼かれ焦がされ、死に絶えるだろう状況の中で、それでも必死に行きようと、ある者は耳を塞ぎ、ある者は膝を抱え頭を抱え込み、ある者はもうほとんど絶望しているかのように呆然としている。戦争を実際には知らない私であるが、氏の作品を見ていると、今見ているこの瞬間にも焼夷弾が頭上からどっさり降ってきて瞬時に死んでしまうのではなかろうかというような錯覚を抱かずにはいられなくなる。
 たとえば「噂」(1961年)は、前出の戦争をテーマにしたものではなく、まさにどこにでも転がっているだろう日常の一断面を見事に描いている。部屋中に浮遊する幾つもの口、ひそひそ話をしている口もあれば、まるで自慢げに何かを話しているだろう口、明かに誰かの悪口を言っているのだろう形の口もある。それらが部屋中に浮遊しているのだ。部屋の中、座った三人に顔はない。顔の代わりにそこに描かれるのは口である。
 彼の作り出す世界はだから、非常に明快である。日常をテーマにとったものであっても、戦争をテーマに取り上げたものであっても、すぱっとその光景を断じてカタチにしている。だからこそ、私たちに分かりやすく、同時に口を挟む余地など残さない、そうしたエネルギーが画面からこちらへとぐんぐん伝わってくる。
 そんな彼は、銅版画家であると同時に彫刻家でもある。彼の彫刻は、私から見るととても不思議である。奇妙と言ってもいいかもしれない。彫刻を始めた頃、彼はよく自分の銅版画をほぼそのままに再現していた。ここで敢えて「ほぼ」と言ったのには理由がある。たとえば「檻」(版画1978年、彫刻1983年)という作品があるが、共に檻の柵の間から手を伸ばし、助けを求めているのだろう人物がそこにはいる。が、版画作品では別におかしくも何ともない助けを求める手が、彫刻作品では異様に大きく作られている。それはそのまま、外に出たいという誰かの願いの大きさでもある。やがて氏は、彫刻は彫刻として独立して作品を作り始める。たとえば「風景」(1995年)という作品があるが、これはまさに戦争の一光景をまざまざと立体化したものと私には思える。細長い台座の一番向こうに、銃が逆さまに突き立てられ、そしてその下に横たわるのは、もう骸骨化した名を持たぬ誰かである。服も肉体も何もかもを失いながら、彼の靴が、靴だけが、帰りたいと訴えかけるようにこちらを向いている。この彫刻を見つめていると、そこから、「帰りたい、国に帰りたい」という声を今この耳で聞いているような気がして来る。もうそれは、どうしようもなく切実な、途方もなく切実な願いとして。
 浜田氏は、1994年には熊本県立美術館で、1996年には新宿小田急美術館他巡回で、そして2000年には神奈川県立近代美術館別館で個展を催している。90歳を目前としながらも、その活動は今も尚続けられている。この作品集は氏の、1993年までの作品集だ。氏を知っている人はもちろん、全く知らない人も、一度ぜひ目を通していただきたい。何故なら。
 そこには、私たち人間の切実な生きる姿があるからだ。何度も何度も死を意識し、もう死ぬしか自分には術はないと唇を噛み締めながら思い続けそうして戦争から生きて帰った氏の、だからこそ切実な、生の詩である。テーマが戦争であれ日常であれ、それらは私たちに語りかけてやまない。これでいいのか? これで本当にいいのか? これが人間ってものなのか? 私たちは自分が人間であることをどこまで誇りに思えるのか? と。

2004年4月6日火曜日

再生への道/野沢尚「深紅」講談社文庫

 予め断っておくと、私は野沢尚氏の作品をこれまで読んだことも見たこともなかった。この「深紅」が初めてである。いつもの如くぶらり立ち寄った本屋で平積みされていたのを手に取り、帯の「犯罪被害者の深き闇を描く衝撃のミステリー」という言葉を見てとった瞬間、買うことを決めた。理由は簡単だ、自分がかつて犯罪被害者の一人になった体験をもっていたから。他に何もない。
 ニ章を過ぎた辺りからだったろうか、私は急激に小説の中に引きずり込まれてゆくのを感じた。これはミステリーなんかじゃない、人間小説だ、その思いが、読み進めるほどに大きくなってゆくのを、私はとめることができなかった。
 一家惨殺という悲劇から一人生き残らされてしまった主人公奏子が、加害者の遺族である未歩の存在を知ることによって、彼女へと憎悪を爆発させる。いや、爆発させるというよりも、年月を経ることによって己の中でどす黒く煮詰まっていった憎悪を一滴一滴滴らせ、未歩へ向けて、自分の背負ってきた何もかもを復讐と言う形で返そうと試みる。が。
 その過程で、奏子は思い知ってゆく。自分が一体何を望んでいるのか、何をしようとしているのか、そして本当はどうしたいのか。本著は、その彼女の、再生への物語だ。
 どうやっても消えない、家族を殺された悲しみや憎しみ、同時に抱かざるを得なかった自分だけ生き残ってしまったというどうしようもない罪悪感、それらへの防御として彼女は、「黒い芯」を無意識のうちに己の中に形作った。友人を作っても、恋人とセックスをしても感じない、振動しない、微動だにしないその黒い芯の正体。彼女はそれを、未歩を追い込めてゆく過程でようやく悟る。「感覚中枢の角のひとつひとつを削り取って、鋭敏なものを減らしていく。あぁそうか、と奏子は思い当たる。これが黒い芯の正体だ。
 目の前に繰り広げられるものに傷つかないように、あえて感覚を鈍くさせてきた。そうしてできあがったのが、この黒い芯なのだ」。
 そして奏子はぎりぎりのところでパニックを起こし、その中で自ら呟くのだ。生きたい、と。

 悲しい。なぜこんなにも悲しいのだろう。
「やっぱり、殺人者の娘も殺人者になるしかないのか」
 諦め、開き直って、明るい声で未歩は言う。
 全ては「血」が支配するのだろうか。逆らえないのだろうか。滅ぼされた家族を追いかけるように奏子が自分を滅ぼそうとしているのも、逆らえない「血」の仕業なのだろうか。
「生きたい…」
 奏子は呻いた。
「何か言った?」
「そんなものに操られないで、生きたい…」

 そして彼女は、魔の四時間の再現というパニックの中で、自分が今できることを見出してゆく。早くこの「四時間」を終わらせて、未歩を止めにいかなければならない、と。

 「憎悪と血の連鎖を断ち切るのは誰の役目なのか。早く答えろ。誰も未歩のことを罰しようとは思っていない。私も、私自身を罰する必要などもうない。憎しみはこれで充分だ。私と未歩はこの八年、充分すぎるくらい苦しんできたのだから。」
 そして彼女は走る。まだ震えふらつく身体に鞭打ちながら、彼女は走る。彼女が走るこの道は、何処へつながっているのだろう。
 そしてこの物語は、終わりを迎える。自ら近づき、未歩に復讐の刃をむけた奏子が、もう二度と彼女には会わないと心に決める。彼女とキスをしたとき、奏子は何を思っただろう。

「奏子は抱きしめたい衝動に駆られた。お互いの体が折れそうなくらい抱き合って、「私たち、生きていけるよね」と、できれば確認しあいたかった。」

 でもそうする前に未歩は離れ、そして彼女たちは別れてゆく。それぞれの帰る場所へ、帰るべき場所へ。これからを生き紡いでゆくべき場所へ、と。

 誰だって恐らく、生きていればきっと一度は思うのだ。大きな裂傷を負わざるを得なくなった時、思うのだ。自分がこうむった傷に匹敵するものを相手に与えてやりたいと。自分はこれほどに傷ついたのだ、それが分かるか、分かるもんか、私はもうこれでは生きていけない、これ以上ここで生きているのは辛すぎる、でも死ぬその前に、おまえにも分からせてやる、同じ目に遭わせてやる、私がこうして背負わなければならなかった傷をおまえも背負え、と。奏子が心弱かったのではない、人間なら恐らく、誰しもそう思うのだ。
 そして、その思いが己の中で勝ってしまった時、私たちはきっと、第二の奏子になっている。しかし。ここからが違う。
 第二の奏子になってしまった時、果たして奏子がそうしたように、途中で己を省みることができるかどうか。そこで気付くかどうか。それが問題なのだ。
 そうやって傷を連鎖させてゆくことに何の意味があるのか。憎しみや怒り、悲しみを連鎖させることに一体何の意味があるのか。それよりも何よりも、理不尽にも背負わされた荷物を自ら引き受けながらもここから生きてゆく、ということが、どれほどに大切なものであったか。--------それらのことに、私たちは気付けるかどうか。

 これは一人の人間の、再生への物語だ。奈落の底に突き落とされ、それでもなお生きようと足掻き、その中で一度は自らも刃を握り振り下ろそうとまでした人間が、血反吐を飲む思いで立ち上がり、そして明日へと自分を、生きるということを明日へつなぎ得た、一人の人間の、再生の物語だ。
 そう、奏子は私の中にも、あなたの中にもいる。今はまだ、そこまでの体験を経たことはないし、そこまで追いこまれたことはないからと高を括っていても、いつ私たちの上にそういった体験が墜落してくるか分からないのだ。そうなったとき、私たちはきっと知るだろう。同じ立場に立ったとき。自分はどちらを選ぶのか。何を選ぶのか。どうやって残されたその先を、生きてゆくのかを。
 それがきっと、私たちが人間であることの、価値の一つだ。

2004年3月23日火曜日

「不思議な少年」マーク・トウェイン作 岩波文庫

 「ハックルベリ・フィンの冒険」や「トム・ソーヤーの冒険」でよく知られるマーク・トウェイン。しかし晩年には、前述の著作からは想像のできないような、暗さと人間不信、そしてペシミズムに彩られた作品を生み出している。その中の一冊、「人間とは何か」という本は生前匿名で、なおかつ私家版として少数出版したマーク・トウェインであったが、その「人間とは何か」を小説として具現化したものが、この「不思議な少年」に当たるのではないかと思われる。
 この本は、正直、心地よい本ではない。三人の少年とサタンと名乗る少年とが出会う始まりのシーンからして、読んでいると首の後ろをがしがしと掻き毟りたくなる衝動に襲われる。自分は天使だとのたまうサタン少年が、まるで魔法のようにしてその手から生み出した動めく人形たちを一気に潰し、血まみれになった人形たちが泣き叫ぶのを見下ろしながらこう言うのだ。「ぼくたち(天使)はいまだに罪なんてものは知らない。第一、罪を犯すことができないんだよ。ぼくたちは汚れってものを知らないんだ。」「つまり、ぼくたちは、悪をしようにもできないのだよ。悪を犯す素質がない。だって、悪とはなにか、それが第一わからないんだからね」。
 そう言いながらサタンは、残酷極まりないことを少年たちの前で幾度も幾度も繰り広げる。人間というものがいかに愚かしい生き物であるのかを、これでもかというほど見せつけてゆく。
 私は、この本に描かれているものに対し、不愉快さを隠せないし、多分、そもそも、人間に対するスタンスが著者と私とではあまりに違っていて、議論し合う同じ土台に立っていない。
 しかし、今この時代に久しぶりに読み返したからだと思うが、ひっかかる部分が幾つかあった。
「君主制も、貴族政治も、宗教も、みんな君たち人間のもつ大きな性格上の欠陥、つまり、みんながその隣人を信頼せず、安全のためか、気休めのためか、それは知らんが、とにかく他人によく思われたいという欲望、それだけを根拠に成り立っているんだよ」
「戦争を煽るやつなんてのに、正しい人間、立派な人間なんてのは、いまだかつて一人としていなかった。ぼくは百万年後だって見通せるが、この原則ははずれることなんてまずあるまいね。いても、せいぜいが五、六人ってところかな。いつも決まって声の大きなひと握りの連中が、戦争、戦争と大声で叫ぶ。すると、さすがに教会なども、はじめのうちこそ用心深く反対を言う。それから国民の大多数もだ、鈍い目を眠そうにこすりながら、なぜ戦争などしなければならないのか、懸命になって考えてみる。そして、心から腹を立てて叫ぶさ、『不正の戦争、汚い戦争だ。そんな戦争の必要はない』ってね。すると、また例のひと握りの連中が、いっそう声をはりあげてわめき立てる。もちろん戦争反対の、これも少数だが、立派な人たちはね、言論や文章で反対理由を論じるだろうよ。そして、はじめのうちは、それらに耳を傾けるものもいれば、拍手を送るものもいる。だが、それもとうてい長くはつづかないね。なにしろ扇動屋のほうがはるかに声が大きいんだから。そして、やがて聴くものもいなくなり、人気も落ちてしまうというわけだよ。すると、まもなくまことに奇妙なことがはじまるのだな。まず戦争反対の弁士たちは石をもって演壇を追われる。そして、狂暴になった群衆の手で言論の自由は完全にくびり殺されてしまう。ところが、面白いのはだね、その狂暴な連中というのが、実は心の底で相変わらず石をもて追われた弁士たちと、まったく考えは同じなんだな------ただそれを口に出して言う勇気がないだけさ。さて、そうなるともう全国民------そう、教会までも含めてだが、それらがいっせいに戦争、戦争と叫び出す。そして、あえて口を開く正義の士でもいようものなら、たちまち蛮声を張り上げて、襲いかかるわけだね。まもなく、こうした人々も沈黙してしまう。あとは政治家どもが安価な嘘をでっちあげるだけさ。まず被侵略国の悪宣伝をやる。国民は国民でうしろめたさがあるせいか、その気休めに、それらの嘘をよろこんで迎えるのだ。熱心に勉強するのはよいが、反証については、いっさい検討しようともしない。こうして、そのうちには、まるで正義の戦争ででもあるかのように信じ込んでしまい、まことに奇怪な自己欺瞞だが、そのあとではじめてぐっすり安眠を神に感謝するわけだな」

 これらのサタンの台詞に、今立ち止まる人はどれだけいるだろう。今の、アメリカ主導のイラク攻撃のあれやこれやをどうしても思い描かずにはいられないのは私だけだろうか。あれから一年を迎える。先日のニュースでは、帰還した米国兵士たちの中に精神障害を病む者たちがかなり多くいることが報じられ、イラクでの体験から自ら軍を退役する者たちのインタビューなども流れていた。
 私は。
 イラクへの進軍が果たしてよかったのかといえば、そもそもそこから間違っていたような気がしている。しかし。じゃぁどうすればよかったのか。翻って、同時多発テロというものを一体どう捉えればよいのか。いや、私はあくまで日本国民であり、アメリカの事情は多分、ほんの一片しか知ってはいない。その日本国民として、たとえば自衛隊云々のことについて、自分はどう考えるのか。アメリカに追随せずにはいられなかった日本という島国の立場をはじめ、そもそも自衛隊というものの存在について、考え始めたらきりがない、次々に、考えねばならぬことは増えてゆく。そして情けないことに、私はそれに追いつききれていない。全くといっていいほどに。
 本著の終盤で、マーク・トウェインはサタンにこう言わせている。

「つまりいえば、笑い飛ばすことによって一挙になくしてしまうことだが、そうしたことに気がつく日がはたして来るのだろうかねぇ? というのはだよ、君たち人間ってのは、どうせ憐れなものじゃあるが、ただ一つだけ、こいつは実に強力な武器を持ってるわけだよね。つまり、笑いなんだ。権力、金銭、説得、哀願、迫害------そういったものにも、巨大な嘘に対して起ち上がり、いくらかずつでも制圧して------そうさ、何世紀も何世紀もかかって、少しずつ弱めていく力はたしかにある。だが、たったひと吹きで、それらを粉微塵に吹き飛ばしてしまうことのできるのは、この笑いってやつだけだな。笑いによる攻撃に立ち向かえるものはなんにもない。だのに、君たち人間は、いつも笑い以外の武器を持ち出しては、がやがや戦ってるんだ。この笑いの武器なんてものを使うことがあるかね? あるもんか。いつも放ったらかして錆びつかせてるだけの話だよ。人間として、一度でもこの武器を使ったことがあるかね? あるもんか。そんな頭も、勇気もないんだよ」

 私はこの台詞を読んだ折、頭をぶち叩かれた気がした。

 これはあくまで私の考えであり、それはとても偏っていると思う。それを予め断った上で、思うことを幾つか述べるならば。
 戦場写真を目の前にした折、何が切ないといって、それは、戦場を生活の場とする子供たちの笑顔だ。もちろんそこで暮らすのは子供だけではない、私と同じくらいの女性もいれば、私の母を思わせるような年頃の女性もいる。その人たちが戦火にさらされながらも必死に生き、そしてなおかつ笑顔を失わずに暮らす、それらの姿ほど、私の琴線を震わせるものは他にない。
 これらの笑顔を守るために、人は、それぞれの立場で争いを為す。今為されているイラクでの争いだって、アメリカはアメリカの笑顔を守るため、日本は日本の笑顔を守るため、恐らく、為していることなのだろう。しかし。
 笑顔を守るためと称して笑顔を殺してゆく潰してゆく、これは、あまりにおかしな構図ではないのか。
 これを書きながらニュースをちょっとチェックした折、目に付いた。「<イラク戦争>米の元テロ対策担当者が糾弾本を出版」。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040323-00001045-mai-int。あぁこんな動きも今は起こっているのかと、しばしボールペンを口にくわえて見ていた。
 私は、あまりに無知で、また、長いこと我関せずで過ごしていたために、何が正しくて何が悪いのかといった自分なりの意見を今持ち合わせていない。
 ただ、この「不思議な少年」の中の台詞、「それらを粉微塵に吹き飛ばしてしまうことのできるのは、この笑いってやつだけだな。笑いによる攻撃に立ち向かえるものはなんにもない。だのに、君たち人間は、いつも笑い以外の武器を持ち出しては、がやがや戦ってるんだ。この笑いの武器なんてものを使うことがあるかね?」という言葉は、重く重く、私の心にのしかかってくるのを、感じずにはいられない。
 私たちは多分、サタンの言うとおり、あまりにたくさんの残酷な武器を用い過ぎた。これでもかというほど用いてしまった。その結果は一体どうであったか。それらを用い過ぎた後に残ったものは何であったか。
 マーク・トウェインの言う通り、もしも、笑いというのが私たちが持つ唯一の本来の武器であるならば。今私たちにできることは何なのだろう。

2004年3月18日木曜日

「自画像は語る」粟津則雄 新潮社刊

 以前「自画像との対話」という本を紹介したが、自画像に関してもう一冊、私が手放せない本がある。それは、粟津則雄氏の「自画像は語る」である。
 ここでは「自画像との対話」のちょうど二倍、三十六人の作家について述べられている。その中で、エゴン・シーレ、フィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーギャン、エドワルド・ムンク、アメディオ・モディリアニ、ジョルジョ・デ・キリコ、萬鉄五郎、パウル・クレーなどについては二冊ともにそれぞれ触れられている。これらを読み比べる、というだけでも非常に面白い。
 本著の序で粟津氏がこう述べている。

「私が、若年の頃から自画像というものに特別な興味を覚えてきたのも、私を落ち着かせてくれぬこの感触と相応じるところがあるようだ。日常の生活においては、何がしかの不安や惑乱を覚えはしても、程なく何となく忘れてしまうものだが、自画像においては、この内的な対話そのものが、本質的な表現の動機として働いているからだ。自画像も肖像画の一種には違いないが、こういう意味で、それは、たまたま自分自身をモデルにしただけのものと言うことは出来ない。もちろん、他の人物を描こうが、静物を描こうが、風景を描こうが、そこには画家の個性が否応なく現れるのだが、自画像においては、それぞれの内部の劇の構造そのものが、それぞれの資質に応じて独特のかたちで立現れるものだ。」
「とういわけだから、自画像は、それぞれの画家の、自分自身を相手とした内的な劇を表わすばかりではなく、彼らそれぞれにとっての世界像もおのずから示している。」

 これらを読み終えた後、私たちは何を思うだろう。幾つもの自画像を前にした後、私たちは自らをどう捉えるだろう。自分を見つめるということは、自分と世界との関係性を凝視するということに他ならない。己内部の均衡、世界と己を結ぶ緒の有様。日々をただ過ごしていたのならば恐らくは見過ごすばかりだろうが、そんな私たちであってさえ、世界と常に関わり、己と世界との関わりの間で懸命に均衡をとろうと無意識が働いているはずなのだ。
 今、私に、そして君に、自己と対峙するだけの勇気はあるだろうか。そこに何が存在していても、それがどんな姿をしていても、受け容れるだけの勇気があるだろうか。
 そんなことを、本著は、読み手に語りかけてくる。

2004年3月12日金曜日

掛井五郎版画作品集 1984-1991 Green Graphics Book刊(彫刻家掛井五郎氏の版画作品集、1984年から1991年に制作された版画作品が掲載)

 掛井五郎氏の彫刻作品を私が初めて目にしたのは、今からちょうど十年前のことになる。天井の高い画廊の、あちこちに起立する像。それは、みな、どっくんどっくんと息づいていた。頭も胴体も手も足も、それぞれ自由気ままに、膨らんだり縮んだり。ボリュームもコンポジションも、これでもかというほど大胆に踊っていた。それはまるで、彫像みなが「生のダンス」を踊っているかのような光景だった。あぁなんて生き生きと踊っているんだろう、私も一緒に踊りたい。見る者に、そう思わせずにはいないような、そんな吸引力が、掛井五郎氏の彫刻にはあった。
 幸運にも、美術雑誌編集者時代、最後に掛井五郎氏を取材する機会に恵まれた。仕事を辞める前にぜひとも取材したい作家の一人だったから、あの時の取材の光景は、今でも私の心の中、鮮やかに刻まれている。
 取材は確か二日間に渡った。一日しか最初は予定していなかったのだが、話をしているうちに、ぜひとも氏の制作現場に立ち会いたいという、まったくもって贅沢な私の欲求を、先生が快諾してくださったおかげだ。
 二日目、私は工房へお邪魔した。氏は、そこに着くなり、机の上に用意されていた銅版の前に立ち描き始めた。大きなバラ色の銅版の横にはいつも持ち歩いて目に付いたもの全てを描きとめているというスケッチブックを置いてあるけれども、氏はまったくそれを見る様子もない。両の手でしっかりとニードルを握り、ぐいっぐいっと銅版に線を刻んでゆく。その勢いには全く迷いがみられない。下絵がないどころの騒ぎじゃない。私が呆然とその姿を見守っていると、あっという間に一枚目が完成した。間髪いれずに氏は次の銅版に手を伸ばす。自分が思うまま、まるで子供が一心に砂遊びに興じるかのように、氏はそうやって気が済むまで何枚でも描いてゆく。
 擦り上がった作品は、どの線もみな、今にも紙からはみ出してきそうな勢いでたからかに踊っていた。
 1930年、掛井氏は五人兄弟の末っ子に生まれた。兄四人のうち二人が戦死、帰ってくることのできた二人の兄のうちの一人は戦争のため精神がすっかり荒みきっていた。掛井氏は、生前絵が大好きだったという戦死した三男の遺志をつぐという意味でも、最初は絵描きになろうと思っていたのだという。その心を変えたのが、19歳の時の木内克氏の彫刻との出会いだった。以来木内克氏に師事し、彫刻家の道を歩み始める。
 今では、彫刻だけではなく、油絵も版画も制作する。「僕は、彫刻をやっているときは彫刻に、版画を作ってるときは版画に恋愛してるのよ」と言っていたずらっ子のように笑う。そんな掛井氏は、だから、一つのものに集中し、抉り、突き詰めるのが素晴らしい作家の姿勢とみなされがちな日本芸術界からは、多分大きく外れている。
 しかし。
 この生き生きとした息吹はどうだ。見る者を巻き込んで踊り出す作品の勢いはどうだ。これらの作品を前にしたら、そんなせせこましい偏見などどうでもよくなる。
 「モネが晩年に辿りついた世界っていうのは、アンフォルメルのようだよね。あの、普通すぎる風景! 夕焼けってきれいでしょ、そういうきれいなものは一人では見ていられないんだよ、誰かと一緒に見ようよって気持ちになる。そういうのが芸術なんだよ」
 この掛井氏の言葉が、彼が生み出す作品のすべてを語っていると私には思える。
 しかし、ただ楽しげに踊り狂っているわけではないのだ。そこには、彼が歩んできた痛みや怒り、哀しみ、実に様々なものがこもっている。哀しくて辛くて痛くて、でもだから、大きな声で歌おうよ、喜びの歌を歌おうよ、今自分がここに生きてるってことを思いきり歌おうよ。彼の作品を目の前にすると、私には、作品たちがそんなふうに言っているように思えてならない。上澄みだけではないのだ、生きてるってことはきれいごとじゃすまされない。でもだからこそ、生というのは美しいのだ、と。私は、彼の作品から、そんなことを教えられる。
 日本人の、現存する作家で、これほどに真っ向から生を謳い、生を愛する作品、作家というものを、私は他に知らない。