2004年5月19日水曜日

MARUSCHKA DETMERS

  MARUSCHKA DETMERS、彼女と初めて出会ったのは、マルコ・ベロッキオ監督「肉体の悪魔」であった。当時、街角に張ってあったポスターを見、私はこの映画を見ることに決めた。理由は単純だ。ポスターに立った彼女の落ち窪んだ目が私の琴線に引っかかったからだ。それはメイクのせいで落ち窪んでいることははっきり分かった。が、そんなことは問題ではなかった。彼女の目が孕む妖艶な何かに、私は引っ張られたのだ。
 映画を見にゆくと、その映画自体はまさに、イタリアそしてフランス映画の匂いがむんむんの、こってりとした両国合作映画だった。でも私は、そんなことをまったく忘れ切るほどに彼女にのめりこんだ。次はこの映画館で上映されるらしいと知れば、テープレコーダーをこっそり鞄に忍ばせてその映画館へ飛んでいった。彼女の声、映像のバックに流れる弦楽器による微妙な旋律、そして最後の最後、彼女のあの微笑と涙と共に流れる古典ギリシャ語とを録音するために。今そのテープを数えてみると、合計で12本ある。まったく呆れる酔狂ぶりである。
 「肉体の悪魔」はラディゲが原作者だ。新潮文庫から今も出ていると思う。監督マルコ・ベロッキオは、この原作を、一体どう解釈したらこんな脚本になり得るのかと思うほどに壊し、再構築させている。見様によっては、主人公(原作では主人公は男性だが、この映画ではマルーシュカ・デートメルス演じるジュリアが主人公となっている)は狂人のように見える。婚約者がいながら若い学生と通じ合い、婚約者との新居となるはずのベッドの上で抱き合い、彼女はその若者の性器を切り落とす真似さえしてみせる。そして、床中にあらゆるものをひっくり返し、その中で彼女は笑いながら踊り狂う。しかし、彼女は本当に狂っていたのだろうか。もし今私が誰かにそのことを問われたら、否と答えるだろう。
 あちこちの男と通じ合い、同時に彼女は病んだ心を癒そうと必死にあがく。その有様が極端に描かれているから、見ている私たちはその極端さに引きずられがちだが、私は思うのだ。繰り返し繰り返しこの映画を見て、最後に思ったのだ。これは狂女の姿ではない。私たちの姿だと。
 正直に生きることは、この世界では実はとても難しい。あちこちで軋轢がおきる。そんなことをしたら、それに対して一つずつ責任をとっていかなければ周囲は収まらない。だから私たちは、適当に頭を下げ、自分の気持ちを半分隠して、にっこりしながら、ぺこりと頭を下げながら生きてゆく。それがこの世界だ。この世界をうまく渡ってゆく方法だ。しかし、それがもし上手にできなかったら? ジュリアは多分、普段隠している私たちの本性だ。その化身だ。それはとても不器用で、切なくて、哀しくて、もしかしたら見ている者の目を逸らさせるかもしれない。すべてを自ら失った後、彼女が最後の最後に見せるあの微笑は、だからなおさらに美しい。自ら選び取った道、生き様を、彼女の微笑は受け入れようとしているように、私には見える。
 そして私は恋に堕ちた。マルーシュカ・デートメルスという女優に。彼女のあの目は、私の胸を貫いてしまった。女性が女性に惚れるとは。でも私は惚れたのだ、彼女に。
 以来、彼女が出演する作品が上映されると知るたび、あちこちに飛んでいった。「夏のアルバム」(ダニエル・ヴィーニュ監督、)はもちろん、「赤と黒の接吻」(エリック・バルビエ監督)、それから監督名は忘れたがジェラール・ドパルデューと共演した「ふたり」、そしてビデオで「カルメンという名の女」(ジャン=リュック・ゴダール監督。ちなみに、私はゴダールさんはあんまり好きではない)、ジェーン・バーキンと共演していた「ラ・ピラート」など。
 そして。
 私が一番心に残っているのは、メハナム・ゴーラン監督作品「ハンナ・セネシュ」を演じたマルーシュカ・デートメルスだ。(この映画パンフレットでは、彼女の名はマルーシュカ・デトメールと訳されていた。)
 ハンナ・セネシュとは、第二次大戦時を生きた一人のユダヤ人という実在の人物で、監督は1964年にすでにハンナの家族に接触し、映画化したいと申し入れていたという。

「ハンナ・セネシュの物語は戦争アクションではない。ハンナはスリリングなスパイ行為を鮮やかにやってのけたわけではない。かといって詩を書く若い理想主義者の女性の話でもない。彼女は詩を書くナイーブな娘だが、命を賭けて危機に挑み、自分の考えに反することには決して屈することがなかったのだ。そしてもちろん空挺部隊の連中の話でもない。ハンナは他の情報部員と訓練を受け、数名と共に任務を授かったが、その事実が物語の核ではないのだ。それらはひとつひとつの要素であって、その集合体としての複雑なハンナの人間性を、ゴーランは描きたかったのである。
(中略)
 もちろんゴーランは自己犠牲を美化しているわけではない。またハンナはむしろ、逮捕される前に自殺できるにも関わらず、自殺せずに生きることを選んだ女性だ。」
(映画パンフレットの解説より引用)

 私は多分、死ぬまで、この映画の法廷シーン、ハンナの処刑シーンを、忘れることはないだろう。そのくらい鮮烈で強烈だった。彼女が法廷で、一言一言、人間であることは一体どんなことなのか、生きるということはどういうことなのか、そして、誇りというものは何であるのかを淡々と述べてゆくとき、それは私の中で永遠の問いに変わった。私が人間であるということはどういうことなのか、生きるということはどういうことなのか、そして私が私自身であるというその誇りは一体どういうものなのか。
 いわれなき罪をきせられ、処刑されるそのとき、彼女は白い雪の中で、その雪と同じ白いブラウスを着、立っている。銃声が辺りに響き渡り、彼女の体が雪の中に倒れ込んでゆくとき、彼女の目は天を向いている。開かれたままの目は、最後に何を見たのだろう。
 誰が悪いわけではない。誰というたった一人の特定の誰かが悪いわけではない。人間が起こしてゆく戦争は、多分、人間から人間性を奪う行為なのだ。それでも人間は戦争を止めることはできない。多分永遠にこの世界の何処かで戦争は為されてゆくだろう。でも、ならばせめて。
 人間が人間であることを忘れないでほしい。人間が人間であるからこそできることを忘れないで欲しい。自分を守ろうとするのは人間の常だ。それが当然だ。でも、ならば、誰かの屍の上に今自分は立っているのだ、それが私たちの地面を支えているのだということを決して忘れてはいけない。
 マルーシュカ・デートメルスは、この作品が制作されることを知った時、監督に直訴しに行ったという。「私こそハンナ・セネシュだ」と言って、そうしてこの役を勝ち取った。それだけに、彼女の真摯な演技は、周囲のベテラン演技者たちの間からも際立って見える。もうここには、かつてセックス・シンボルとマスコミにこぞって揶揄された彼女はいない。いるのは、髪の先まで、瞳の色まで役にのめりこませ、自身をその役の化身とさせずにはおかない彼女である。
 映画として、「ハンナ・セネシュ」は詰め込みすぎたように思われる。ここまで詰め込むならいっそ、映画の時間を倍にして、もっとつっこんで描いてほしかったと私は贅沢なことを望んでいる。しかし。
 それでも、映画の中で、マルーシュカ・デートメルスは輝いていた。凛然と。
 だから要するに。
 私は惚れているのである。彼女に。もうこれは、ぞっこんである。他に何も言いようがないほど。彼女を超える女優とは、一体いつ出会えるだろう。自分でそのことを問うてみても、首を傾げたくなるくらいに。私は彼女に惚れている。