2008年10月31日金曜日

■銀杏の匂いまでもが満ち満ちてくる

毎朝窓を開けて空を見る。日毎、高くなってゆくのが手に取るように分かる。それは冬の訪れ。十月中旬に植えた球根は、徐々に徐々に芽を伸ばし、今ではもう三センチほどの長さを持つものもいる。当たり前のことかもしれないが、球根がそれぞれの形をしているように、それぞれの芽を持っていることが、こうして見ているととても不思議な、そして尊いものに思えてくる。多分、そう、それは人も同じ。

来年の展覧会が二つ決まった。一度目は三月で個展、二度目は六月で二人展だ。もうすでにテーマは決まっている。テーマが決まっていればあとはそこに集中するだけだ。今まさに別の場所での展覧会の真っ最中だけれども、同時進行で、ゆっくりと制作を進めていけたらいい。

作業の手を止めてふと窓の外を見やれば。なんとも妖しい雲ゆき。朝のうちあれほど美しい鱗模様を描いていた雲が今は、重灰色一色になり隙間なく空を覆っている。しばらく眺めていても、びくりともしない。私は再び作業に戻ることをやめ、何ともなしに玄関を出る。

最近音を紡ぐ機会が多くなった。私の場合、それは写真と似ている。あるのは、ある瞬間瞬間に浮かんでくる光景を、撮るか紡ぐか、その違いだけだ。
それを何処まで高みに昇華させられ得るか。全ては自分に手にかかっている。
全て自分にかかっているということは、ある意味とても容易い。責任を全て自分で取り得るからだ。共同作業になるとそうはいかない。責任がそれぞれにかかってしまう。
数日前、そんな共同作業を放棄する人を見かけた。確かに、見切りをつけることも実力のうちのひとつだろう。でもそれならば、私は、最初から最後まで一人で負いたい。共同作業の上で放棄はしたくないとつくづく思う。見切りをつけた側はいいかもしれないが、つけられた側、遺された側はたまったものじゃないことを、もうこの歳になれば自分はいやというほど痛感している。

一抹の侘しさを感じつつ、自転車を漕げば。
あぁなんて空が低い。息苦しいほど。
あの並木からここまで銀杏の匂いまでもが満ち満ちてくる。

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