2009年1月9日金曜日

■ありがとう

一時期、手首を切ってしか時間を超えられない時期があった。
血の滴る腕をそのままに訪れる私を、それでも受け入れ、根気強く、手当てし続けてくれる医者がいた。
傷痕は今ももちろん何重にも残っているけれど、私が切ることをやめられた一端に、その医者がいた。

腕を切らなくなって、自然、そこを訪れることもなくなった。
内科や外科を扱う、小さな町の小さな開業医だった。
顔を忘れたことはない。でも、徐々に徐々に先生の顔は、記憶のすみに追いやられていった。

今年の正月、自分の不注意から低温やけどを負った。
その傷口が炎症を起こしていた。でも医者嫌いな私はできればそのまま自然に治ることを願っていた。しかし。
傷も傷、薬が必要なことを認識させられ、しぶしぶ医者を探す。そのとき、
あの先生、あの病院を思い出した。

久しぶりにその病院を訪れる。
小さな駅の前にある、小さな小さな病院だ。
開業時間前に行ったにもかかわらず、以前と同様、受付は開かれ、待合室には何人もの患者が待っていた。

みな黙っている。でも。
受付で待つことが苦手な私が、それでもこの病院でなら待っていられるのは、患者がみな安心した顔をしているからだ。
先生ならちゃんと診てくれる。そのことを、みな、知っている。だから安心して時間が多少かかろうと待っていられる。

名前が呼ばれ、診察室に入る。前となんら変わっていない。数年が経つのに、まるでタイムトリップしたかのような感覚を覚える。
そして先生は以前と同様、いや、以前よりもやさしく明るい表情で椅子をすすめて来る。

すぐに炎症止めと化膿止め、痛み止めなどが処方される。
そして私は、自然、口にしていた。
あの先生、最近、この右耳のあたりから顔面、後頭部と、痙攣が四六時中起きているんですが。
先生がにっこり笑って言う。
そうですか、それはね、緊張しているからなるんだよ、大丈夫、たいしたことじゃないからね、筋肉が緊張からこわばってしまうからそうなるだけなんだよ、気になるなら薬を処方しようか、あぁでも、この薬を飲み終わってからのほうがいいな、来週またおいで。

私は一瞬、涙が出そうになった。
というのも、今週はじめ、今年初の心療内科での診察時、同じことを言ったにもかかわらず、私は、先生からそのことを無視され診察室を三分もかからず追い出されていたからだ。
すべては自分じゃなくカウンセラーに話しなさい。それが、心療内科の先生の言葉だった。
以来、私はぴくぴくする耳元、顔面、後頭部を、もてあましていた。

安心した。
ほっとした。
大丈夫なんだと思った。
そうか、大丈夫なんだ、緊張しているだけなんだ、と思った。
もちろん、医者の言葉で痙攣が治ったわけではない。でも、
不安は一気になくなった。

今私は、心療内科に通うことが苦痛だ。話を何もきかず、薬だけ処方し、それでもとこちらが訴えると、すべてはカウンセラーに話しなさいと突き放 す。そういう医者に、閉口していた。もうどうにでもなれと半分あきらめていた。それでも薬がないとあきらかに不安定になる自分に、何とかどうにか日常を越 えるためだと言い聞かせ、通い続けている。
でも。
聞いてくれる先生も、まだいたんだな、と、
それが分かった。
それだけで、私はずいぶんと、救われた。

それじゃ、また来週ね、と見送られる。私は自然、ありがとうございますと口にしている。
本当に、ありがたかった。
来週また来ようと思った。

小さな町の小さな開業医。
名前は知らない。でも、
その先生の元を訪れる患者はみな、安心した顔をして帰ってゆく。
もちろん、痛みや熱にうなされ、ふらふらしていたりもするけれど、それでも安心が見え隠れしている。誰もの表情の奥に。

人として、そんな人であれたら、とふと、帰り道にそう思う。

来週月曜日は祝日。心療内科の診察はない。
二週間分の薬を渡され、私は先週あの診察室を出た。
来週先生と会い、また追い出されるようにして診察室を出なければならないかと思うとそれだけで私の心には負担だった。でも来週はそれがない。それは私にとってうれしいことだった。
そして。
来週またあの開業医のもとへいけば、診察してもらえる。
そのことが、私を安心させている。
今もまた痙攣がひどくなっているけれど、これもまた大丈夫、つきあっていく方法を考えればいいことだ、と、自分で自分に言ってやる余裕がある。
その余裕は、間違いなく、あの開業医がくれたものだ。

ありがとう。
久しぶりに医者に、そう言える。

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