2009年2月10日火曜日

■私はそういう足を持ちたい

久しぶりに座った席からは、海と川とが混じり合う場所が見える。左には海が、右には川が横たわり、広がっている。黒つばみ色の渦が波紋を描いている。
ここからの風景もずいぶん変わった。目の前にたたずんでいた倉庫は皆取り壊され、今、土ならしが為されている。次には多分、高層ビルが建つのだる。そうなればまたここからの景観は変わる。
緑の少ない季節。でも皆無なわけではない。所々常緑樹がこんもりと茂っている。そういえば鴎がいない。一羽もいない。きっといつものように、川に停泊しているボートの方へ、暖をとりにいっているのだろう。
どんなに近しくても他人は他人。近しければ近しいほど、その関係が重要で在ればあるほど、それらが揺れると自分まで揺れる。どんなに強く見える人間でも、全くぶれずにいることは不可能だろう。しかし。
でき得るならぶれずにいたい。なら、そうであるためにはどうしたらいいのか。己が己の足でもってしっかり立っていること、そのほかには術はない。部分によってぐらつくのではなく、全体を支えられる足を自ら持つことで、心震から解放される。
私はそういう足を持ちたい。


「自身にとっての光りであることは、他のすべての人々の光りであることだ。自身が光りであれば、精神は課題や応答から自由になる。そのとき精神は 全体的に目覚め、張り詰めているからだ。この緊張には何の中心もなく、緊張している者もなく、したがって何の境界もない。中心、つまり〈私〉が在る限 り・・・」
クリシュナムルティの日記より

0 件のコメント: