2009年4月9日木曜日

■生き残り

 サバイバーという言葉がある。意味は知っている。自分がそうであることも知っている。しかし私はサバイバーという言葉が正直嫌いだ。
 一方、生き残りという言葉なら、私はしっくりくる。それなら自分もそうだと頷ける。同じ意味じゃないか、同じ言葉じゃないかと言われるのを百も承知だ。その上であえて言えば、私にとってその言葉から受ける感触が違うのだ。それがたとえ同じ意味を表す言葉であったとしても。

 たくさんの生き残りに会って来た。知り合っても来た。交流ももったりした。しかし、たとえ似通った体験であっても、一人ひとり色が違う。匂いが違う。感触が違う。言葉としてはひとくくりにされてしまうとしても、私たちは十人十色だ。

 私が「あの場所から」のシリーズを始めたことで、時折会う質問がある。それは、どうしてこの人たちの非日常をカメラに収める必要があるのか、世間に訴えようと思うならば、この人たちの日常あるいは事件そのものをカメラに収める方が分かりやすいではないか、というものだ。
 言っている意味は分かる。
 しかし、私はそもそも、あのシリーズをはじめるにあたって、世に訴え出ようということを第一義に置いていない。第一義どころか、第二にも第三にも置いていない。それは、付属として生じてきた事柄だ。
 私はまず、自分と同じように生き残り今生きている人たちと出会いたかった。そして、彼女ら彼らと一緒に何かをしようと思った。何かを共有したいと思った。その時、私にできることが写真を撮るという行為だった。
 何よりもまず、そのことがある。
 そうやって「あの場所から」は始まった。
 出会いを経て改めて気づいたことは、被害の最中に写真を撮られている被害者がとても多いということだった。そんな彼女たちを被害の場所に立たせて世に訴えるような写真を撮り発表することなど、私の頭にも心にもこれっぽっちも浮かばなかった。私が写真を通して彼女らとできることはただ、「共同作業」だと、私は思っている。

 生き残りの多くは、その傷によって世界と社会と断絶されてしまったことで苦しんでいる。私たちにとってだから、生き残りという言葉は、「生き残った」という能動形ではなく、「生き残ることをさせられてしまった」という受動形だ。
 生き残ることをさせられてしまった私たちは、生き残り、だから、今存在している。でも、能動形で生きることがとても難しくなってしまったのだ。たとえば、わかりやすいところで、自分の夢があるとしよう。それを、被害前実現させていたとしよう。ようやく辿り着いた夢、実現させた夢だった、それなのに、被害に遭うことによって根こそぎ取り上げられてしまう。それが生き残らされた後に残った現実なのだ。根こそぎ引っこ抜かれた後、そこには何が残っているのだろう。
 私はその、穴の開いた土ぼこに、もう一度、できるなら種を撒きたい。いや、種を撒けるなどというのはおこがましい。できるなら、その穴ぼこの傍らにひょっこり芽を出す雑草になりたい。
 穴はどうやっても埋まらない。あいてしまった穴を、新たな土でもって埋めることができるだろうと言う人が多くいるかもしれない。でもそれは、あくまで新たな土で埋めたものであって、穴は穴なのだ。穴であることは、どうやっても、どんなに時を経ようとも、変えられない。
 それならできることは何か。傍らにそっと寄り添うことだけだ。

 今年もそうやって「あの場所から」の撮影は終わった。森と海。二箇所での撮影だけれども、そのどちらも、かつて私が撮影に使ったことのある場所である。どうしてそんな使い古した場所を選ぶのか、そんなんじゃ似通ったカットばかりになるではないかと言われることがあるかもしれない。しかし。
 私はそれらの場所が安全であることを知っている。だから傷ついた彼女らを安心して連れてくることができる。ここでならどう振舞ってもいいよと彼女らをその空間に送り出してやることができる。彼女らを知れば知るほど、そういった空間だからこそ彼女らを解き放って追いかけていたいと思う。

 もしかしたらいつか、彼女らの日常を撮ることがあるかもしれない。でもそれは、まだ先のような気がする。彼女らはまだまだ傷ついている。まだまだ血を流している。私の血もまた、まだ滲んでいる。

 いつか能動形で生きる術をつかむ日が来るかもしれない。それを自ら納得できる日がいつか、そういつか来るかもしれない。
 そのときようやく私たちは、生き残りという括りからも、解き放たれるのかもしれない。

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