2009年4月16日木曜日

■新緑を眺めるなら

 新緑を眺めるなら早朝がいい。朝の光は澄んで輝き、萌黄色をいっそう際立たせてくれる。今いたるところ緑溢れ、それはまるで洪水のようだ。

 ここのところ毎日のようにこの喫茶店に通っている。平日の午前中、ここには殆ど人がいない。BGMも適度な音量で、読書にはうってつけの場所なのだ。しかも片側一面窓。これもまた、私にとっては都合がいい。
 「心的外傷と回復」を皮切りに、「笑う警官」「悪意」「分身」「ユニット」その他諸々、読み進めている。時々息切れを感じると、私は窓の外を見やる。
窓の外は今また、景観を大きく変化させようとしている。Y駅東口側に大きな円形のビルが新しく建てられているのだ。今までその奥のショッピング モールが見えていたが、新たにそのビルが建設されることで全く見えなくなってしまった。そして、その大きな円形のビルの手前の空き地も、近々何か建設が始 まるのだろう。土を乗せたトラックや人が忙しなく行き来している。
 これまで遠くまで見渡すことのできたこの席からの風景は、じきにあちこち途切れ、こんなふうに見渡すことはできなくなるのだろう。それがとても侘しい。
 帰りがけ、液肥をまとめ買いする。薔薇の樹やラナンキュラスたちにそろそろ肥料を与えたい。お疲れ様と、これから頑張って、の声を込めて。

 今、私にとってのかつての主治医の病院に友人が入院している。その友人づてにかつての主治医の声を聴く。
 今日改めて分かった。私はかつての主治医に対して、怒りを持っているのだな、と。最初は憎悪や嫉妬なのかと思った。でも違う、私の中に生まれているのは怒りだ。
 かつてあなたは患者たちを見捨てたではないか。治療途中で患者を見捨てたではないか。なのに、今、そんなご大層なことを言える身分なのか、平然と新しい患者を前にして講義できるような身分なのか、あなたは今私たちに再会するとしたら一体どんな顔をするのか、と。
 でもその怒りは、沸点に達した直後、しゅうぅぅぅっと萎んだ。
 こんなもの、抱いているだけ無駄なことだと、私はもう承知している。別れの儀式は私の心の中で既に為された。終わっているのだ。もう今の彼女と私とは何の関係もない。かつての彼女を私は知っていたが、今の彼女を私はもはや知らない。

 帰宅すると、一輪咲いた橙色のミニバラが私を迎えてくれた。強い風に煽られながら、おかえりと澄んだ声で言っているかのようだった。

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