2004年2月24日火曜日

「幻世の祈り---家族狩り 第一部」天童荒太、新潮文庫、476円

 「新・家族狩り 五部作」と大きく書かれたポスターを書店で見つけたのはついこの間のことだった。娘に絵本を買ってやろうと本屋に立ち寄り、レジに並んでいるときにふっと私の視界をかすめた。急いでいたので、部分だけをとりあえず頭にメモし、私は本屋を後にした。

 翌日、家の近くの書店へ出掛け、店員に訊いてみる。が、なかなか要領を得ない。三軒目でようやく、第一部「幻世の祈り」を手にすることができた。これから毎月一冊ずつ刊行される予定だという。
 私にとって、家族というものが孕む問題は他人事ではない。家族というものについて長い間悩み苦しみ、血反吐を吐いてきたという記憶があるからだ。
 私が大人と呼ばれる年頃になった頃、アダルトチルドレンや機能不全家族といった言葉が世間でも囁かれるようになった。私も一時期、その言葉にすがり、逃げこんだ覚えがある。(でも、そういった言葉にすがったり逃げこんだりしているうちは、何も変わらない、問題を自ら受け容れ消化しなければ何も変わらないことを、今はもう知っている。)
 天童氏が1995年に世に送り出した単行本「家族狩り」は、そんな私から見ると、社会小説と思えた。それは多分、今回の第一部あとがきに自ら書かれているように、天童氏が

「私には、いまのこの複雑な世界を把握したいという欲求があります。やりきれなことばかり起き、報われることの少ない世の中に、それでも生きる価値を、物語を通して模索したいという想いがあります。」

といった姿勢で、常に仕事(作品)と向き合っているが故に生まれたからと私は受けとめている。
 第一部を読み終えて。まだ私の中は混沌としている。この混沌には、自分の家族という像も、私が知る幾つかの家族や個人同士の緒、そして個人が世間というものになったときに生まれてしまう狭く冷たい、凶器にさえなり得る目線など、様々なものが含まれている。多分、五作全てを読み終えて、しばらくの時を経たとき、私の中で、一つの形になるのだろう。それを私は今からとても楽しみにしている。

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