2004年3月12日金曜日

掛井五郎版画作品集 1984-1991 Green Graphics Book刊(彫刻家掛井五郎氏の版画作品集、1984年から1991年に制作された版画作品が掲載)

 掛井五郎氏の彫刻作品を私が初めて目にしたのは、今からちょうど十年前のことになる。天井の高い画廊の、あちこちに起立する像。それは、みな、どっくんどっくんと息づいていた。頭も胴体も手も足も、それぞれ自由気ままに、膨らんだり縮んだり。ボリュームもコンポジションも、これでもかというほど大胆に踊っていた。それはまるで、彫像みなが「生のダンス」を踊っているかのような光景だった。あぁなんて生き生きと踊っているんだろう、私も一緒に踊りたい。見る者に、そう思わせずにはいないような、そんな吸引力が、掛井五郎氏の彫刻にはあった。
 幸運にも、美術雑誌編集者時代、最後に掛井五郎氏を取材する機会に恵まれた。仕事を辞める前にぜひとも取材したい作家の一人だったから、あの時の取材の光景は、今でも私の心の中、鮮やかに刻まれている。
 取材は確か二日間に渡った。一日しか最初は予定していなかったのだが、話をしているうちに、ぜひとも氏の制作現場に立ち会いたいという、まったくもって贅沢な私の欲求を、先生が快諾してくださったおかげだ。
 二日目、私は工房へお邪魔した。氏は、そこに着くなり、机の上に用意されていた銅版の前に立ち描き始めた。大きなバラ色の銅版の横にはいつも持ち歩いて目に付いたもの全てを描きとめているというスケッチブックを置いてあるけれども、氏はまったくそれを見る様子もない。両の手でしっかりとニードルを握り、ぐいっぐいっと銅版に線を刻んでゆく。その勢いには全く迷いがみられない。下絵がないどころの騒ぎじゃない。私が呆然とその姿を見守っていると、あっという間に一枚目が完成した。間髪いれずに氏は次の銅版に手を伸ばす。自分が思うまま、まるで子供が一心に砂遊びに興じるかのように、氏はそうやって気が済むまで何枚でも描いてゆく。
 擦り上がった作品は、どの線もみな、今にも紙からはみ出してきそうな勢いでたからかに踊っていた。
 1930年、掛井氏は五人兄弟の末っ子に生まれた。兄四人のうち二人が戦死、帰ってくることのできた二人の兄のうちの一人は戦争のため精神がすっかり荒みきっていた。掛井氏は、生前絵が大好きだったという戦死した三男の遺志をつぐという意味でも、最初は絵描きになろうと思っていたのだという。その心を変えたのが、19歳の時の木内克氏の彫刻との出会いだった。以来木内克氏に師事し、彫刻家の道を歩み始める。
 今では、彫刻だけではなく、油絵も版画も制作する。「僕は、彫刻をやっているときは彫刻に、版画を作ってるときは版画に恋愛してるのよ」と言っていたずらっ子のように笑う。そんな掛井氏は、だから、一つのものに集中し、抉り、突き詰めるのが素晴らしい作家の姿勢とみなされがちな日本芸術界からは、多分大きく外れている。
 しかし。
 この生き生きとした息吹はどうだ。見る者を巻き込んで踊り出す作品の勢いはどうだ。これらの作品を前にしたら、そんなせせこましい偏見などどうでもよくなる。
 「モネが晩年に辿りついた世界っていうのは、アンフォルメルのようだよね。あの、普通すぎる風景! 夕焼けってきれいでしょ、そういうきれいなものは一人では見ていられないんだよ、誰かと一緒に見ようよって気持ちになる。そういうのが芸術なんだよ」
 この掛井氏の言葉が、彼が生み出す作品のすべてを語っていると私には思える。
 しかし、ただ楽しげに踊り狂っているわけではないのだ。そこには、彼が歩んできた痛みや怒り、哀しみ、実に様々なものがこもっている。哀しくて辛くて痛くて、でもだから、大きな声で歌おうよ、喜びの歌を歌おうよ、今自分がここに生きてるってことを思いきり歌おうよ。彼の作品を目の前にすると、私には、作品たちがそんなふうに言っているように思えてならない。上澄みだけではないのだ、生きてるってことはきれいごとじゃすまされない。でもだからこそ、生というのは美しいのだ、と。私は、彼の作品から、そんなことを教えられる。
 日本人の、現存する作家で、これほどに真っ向から生を謳い、生を愛する作品、作家というものを、私は他に知らない。

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