2008年12月9日火曜日

■あの日見た光景--今改めて親友へ

 台風が通過した直後の海に、あなたは潜ったことがあるだろうか。
 数年前の夏も終りの或る日、私は、台風を追いかけるように外に出た。数歩も歩かぬうちに全身ぐしょ濡れになる、雨と風に嬲りつけられるようだった。天気予報では、台風は新潟の方へ抜けるといっていた。私はそれを信じ、ただひたすら追いかけた。台風に襲われている海に潜ったなら、波にまかれ、私も海の藻屑となれるんじゃないか。私はその馬鹿げた、微かな希望にそのとき自分の全てをかけていた。死ぬことにどっぷりととりつかれていた、その頃の自分だった。死ぬしかない、そうしか救われる道はない、自分を消去するんだ、と。
 けれど、すんでのところで、私は間に合わなかった。海は濁り荒れていたが、私がここに着く前に台風は過ぎ去ってしまったのだ。私は悔しくて悔しくて、血が零れるほど唇を噛んだ。そしてそのまま走って海に飛び込んだ。足の着かぬ深みへ深みへと泳いだ。誰にも見つからないところへ行くんだ、必死になって荒れ狂う海を泳ぎ潜り、もうこれで大丈夫だろうと思った時、思ってもみなかったことが起きた。私の眼球が、潜っているこの海の中をまっすぐに映し出したのだ。
 それがどのくらいの時間だったのか私にはわからない。けれど、私が目にした光景は、そのときの私にはあまりに鮮烈だった。
 海水はエメラルド色に燃え、あちこちで真珠のような泡が生まれては消え、微かな塵が全て、海水の中できらきら光り耀いていた。前も後ろも上も下もない、私の知らない世界がそこに在った。
 あぁもうこれでいい、と思いながら、苦しくなってゆく胸元を握り締め、徐々に深みへと沈んでゆくその自分の鼻や口に、海水がどっと流れ込んで来た瞬間、私の体は、私の思いとは正反対な動きをしてのけた。体全身が叫んでいた。だめだ、だめだ、だめだ、このままじゃだめだ!
 何がだめなのかさっぱり分からないまま、暴れ出した自分の体は水面に向かって懸命に手を伸ばしていた。そして、すさまじい苦しさがぱーんと破裂した瞬間、私の頭は海面から飛び出していた。
 浮かび上がった私の目に今度映ったのは、空だった。台風が残していった重たげな黒灰色の雲が、飛ぶように流れ、でもその後ろには、真っ青な、これでもかというほどの青を湛えた空が広がっていた。
 わけもなく涙が出た。顔に叩き付けてくる荒れた波の中、頼りなげに浮きながら、私は声を上げた。泣きながら、でも、多分私は、笑ってもいた。
 ああ、もうここから行くしかないんだな、と。ただそれだけが明確な輪郭でもって、私の中に生まれ出ていた。

 死ぬしかないとしか思うことのできなかった時期があった。死ぬとかそういうことを棚上げして、ただ、自分を消去したいと願い狂った時期があった。長い長いトンネルの、しかも、灯り一つない前も後ろも何も分からない闇の道だった。
 でも、何だろう、私は、何度も自分を消去しようと試みたけれど、結局生き延びてしまった。その生き延びた私が知ったことは。
 とても単純なことだけれど、私の生命は、私一人のものではないのだな、ということ。私の生命は、いろんなものと繋がっている。父や母と血で繋がり、見えない緒で自然や世界そのものと繋がっている。また、私の心と体も、密接に繋がっているのだということ。そして。
 私がこの目の開き方、凝らし方を学び取ることができたなら。世界はもっと近しい存在になるのだ、ということ。
 あの夏の日の体験を経てからも、私は病院に担ぎ込まれたり、友人をさんざん泣かすようなことをしでかしたりと、何度か繰り返した。けれど、今だから言えるが、私はもう逃げられないのだということを、そんな中から少しずつ少しずつ噛み締めていっていた。生きることから私はもう逃げることはできないな、と。
 あのとき見た海の色、泡の消えては生まれる様、耀く光の飛沫、そしてあの空。多分、二度と会うことはない世界の一断面を、私は、年を重ねる毎に鮮やかに思い出す。
 そして知るのだ。私は、死が自ずと訪れるその日まで、生き抜くのだな、ということを。

 あれから数年を経た今も変わらず、病院に通ったり何したりとしているけれど、でも、私は今が面白くてしょうがない。厭なことなんてもちろん毎日山ほどあるけれど、それを差し引いても、生きていることは面白い。生きるしかないと腹を括って世界と向き合ってみたら、こんなに世界が開けるものだなんて、あの頃の私は思ってもみなかった。
 私が性犯罪被害者だろうとPTSD持ちだろうとACだろうと何だろうと、そんなことは関係ない、世界は平等に私たちの前に在って、私次第でいかようにも広がり深まってくれる。翻って言えば、あの頃私を苦しめ生命へのエネルギーを細らせた様々な事柄があるからこそ、私は今、この世界をいっそういとおしいと思う。もっと呼吸していたいと思う。明日世界が終わるとしても、その瞬間まで私は、とくとくと自分を生き続けていたい。

 これを書いている場所から見える海は、あの日とは全く異なった、深い紺色の、穏やかな海だ。白点を散らしたように時折鴎が舞い飛び、その鴎たちをもそっと抱きしめるかのように、吸い込まれそうな深い深い穏やかな色が広がる。私までその海の中に吸い込まれていきそうなほど。でも、私はもうあんな心持のまま飛び込むことはない。今度飛び込むとしたら。海ともっと話ができるような、そんな自分でありたい。
 「真の希望は、絶望の先にこそ見出されるものだ」。かつて聞いたその言葉を、今はただ、じっくりと噛み締め味わう毎日である。

2002/01/30記

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