2008年12月11日木曜日

■消去したいと生きていたいと

 窓を開けると、波打つ灰色の雲。東からの陽光に照らし出され、そのおうとつはさらに鮮やかに映し出される。
 先日、薔薇の樹を植え替えようと土を掘り起こしたところ、やはり、根をすっかり虫に食い尽くされていた。どうりで大きくならないわけだ。土を掘 り返すと、いたるところからカナブンの幼虫が転がり出てくる。一体いつの間にこんなにも、と思うほどだ。一匹一匹、指で摘んで袋に入れていく。本当ならこ こで、潰してしまえればいいのかもしれない。でもそれができない。
 潰したら幼虫の体液がびゅしゅっと出てきて気持ちが悪い。確かにそれもある。でも、それだけじゃない、潰すのを拒まれている、そんな気がするのだ。
 当然だろう、彼らにしてみれば、生き延びる為必死で根を食べ、ここに丸く隠れていたのだから、私の到来を拒みたくなるのは当たり前である。でも、何だろう、それだけじゃない、もっと大きな、拒みが、私を包み込む。

 自分を消去したいとしか思えない時期があった。死にたい、のとは微妙に違う。汚れきった自分を、穢れきった自分という存在を消去したい、この世から消し去りたい、そういう衝動だ。その衝動から、どう足掻いても逃れられない時期があった。
 二十四時間、三百六十五日、その衝動と戦い続ける。それは、途方もない時間だった。終わりが見えないトンネルを、灯りもないその闇だけのトンネルをただひたすら、歩いていかなければならない、そんな時間だった。
 知っている道ならばまだ短くも感じられるだろう、それが昼であろうと夜であろうと、自分の記憶伝いに歩いてもゆける。でも、そのひたすら続く消 去したいという衝動の毎日は、何処に終わりがあるのかも、何処に道標があるのかも分からない、だからひたすら長く長く長く感じられる日々だった。
 もう諦めようかと何度思ったか知れない。ここで諦めてしまえば私は楽になれるのかもしれないと何度思ったか知れない。
 でも諦められなかった。
 何故諦めなかったのだろうと今改めて思う。まだ漠然としか分からないが、そこには同時に、正反対の欲求も存在していることを、私はこの身体の何処かで知っていたからではなかったかと思う。

 正反対の欲求。
 こんな自分でも受け容れたい、認めたい、消去しなくてもいいのだと思いたい、つまりは生きていたい。そういう欲求だ。もっと言えば。
 自分を愛してみたい。そこに行き着くのかもしれない。

 人は確かに勝手に産み落とされる。この世に放り出され、生きていかなければならない状況に陥らされる。誰も望んで自分から産まれたのではないし生きるのでもない、と、そう言ってしまうこともできる。
 しかし、本当にそうなんだろうか。この世に粒の粒のような欠片で生まれたその瞬間から、もしかしたら私たちは、生きたいと望んでいなかったと誰が言えるのだろう。
 私たちの意志などもはや関係のないもっともっと広大な何かの存在が、私たちを司っていないと、誰が言えるだろう。
 私は別に、神の存在を信じていない。むしろ、神様なんて糞食らえと思っているところがある。けれど、何だろう、この自然界の、世界の力、引力、のようなものは、あるのではないかと微かに思っている。

 私は確かに穢れている。汚れに穢れて、もはや拭いようのないほど穢れている。だから消去したいと最初思った。そうしなければならないと私は思い込んだ。そうすべきだとも私は思った。
 けれど、私は同時に、どうしても生きていたい、どこまで穢れようと何しようと生きていたい、こんな自分だけど存在していいのよと誰かに言ってもらいたい、いや、自分でそう自分に言ってやりたい、と。
 私はそう願ってもいたのではないか。
 だからこそ、苦しかったのだと思う。引き裂かれる思いがしたのだと思う。消去したいと願うことは、自分が引き裂かれることでもあった。

 今、また冬が来て、もうじきあの日がやって来る。私の中でむずむずと、自分を消去したいという衝動がまた頭をもたげ始めている。これまでに先に逝った友人達の姿が走馬灯のように私の脳裏をよぎる。彼らの中に私も入ることができたら。そう願ってしまう自分も、正直、いる。
 でも。
 私はもう知ってしまった。どんなに消去したいと願っても願っても、それは叶わない願いだということを。私は消去したい分だけ生きてもいたいのだ、ということを。汚らわしいと己を忌み嫌う分だけ私は己を愛したいのだということを。
 だから、衝動と正面から向き合うしかない。向き合って向き合って、私は、それを受け容れるしかない。受け容れた向こうにきっと、私の本当の欲求が横たわっていると信じられる。

 今、袋の中の虫たちは、必死に身体を硬くして身を守っている。生きる術は何処にあるかをもしかしたら必死に探っているかもしれない。そんな彼ら の、生きるという真っ直ぐな思いが、私の存在を強烈に拒んでいる。彼らの生きるという声が大きく大きくなって、私に覆いかぶさってくる。
 私は、この虫たちを自分の手で殺すことはできない。だから袋に詰めて、ゴミに出すのだろう。そこで彼らは殺される。殺されることが分かってても私はゴミに出すんだろう。私はここで、選別しなければならないから。薔薇の命か、虫の命か、と。
 そうして私は、瀕死の薔薇を、新しい土を足したプランターに、丁寧に植え替えていく。虫たち彼らの分をも生きろよと、勝手な願いを押し付けながら。そして。
 虫たち彼らの分を横取りしたのだから、私も必死に生きろよ、と。
 見上げれば、空は鼠色。雨が降るのかもしれない。

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