2008年11月14日金曜日

■今、東雲色が地平線を染める

 昨日からのあたたかさがまだ残っている。午前五時。まだ外は暗い。
 暗い中、プランターの前に座る。窓から零れる部屋の明かりで、岩緑青色の若葉たちが浮き立つ。
 私は冬を越える植物が好きだ。春蒔きの一年草よりも、冬を越えるものたちの方がより人間に近い気がする。とてもよく似ている気がする。人間にとっての困難を冬に、喜びを春にたとえたら、樹たちの辛抱強さは見習うべきものがたくさんある。色も手触りも異なる一個一個の球根たち。ひとつとして同じ樹皮はない同じ枝ぶりもない樹たち。私たちのように悲しみや喜びを声に出して叫ぶでもなく、ただひっそりと立つこれらの生き物。
 彼らの奏でる音を、音楽にできたらどんな音色になるのだろう。いつも思う。
 まだ空は留紺色。でもじきにその紺色が僅かずつ薄らいでゆく。私はその予感を秘めたこの時間が好きだ。予感が膨らんで膨らんで、すぅっと息を吐き出し始める瞬間がたまらなく好きだ。それは深呼吸に似ている。
 思い出した。「深呼吸の必要」という本があった。黄色い表紙の本だ。その中には煌くような言葉たちが詰まっていた。久しぶりに読み返そうか。

 「きみが生まれたとき、きみはじぶんで決めて生まれたんじゃなかった。きみが生まれたときにはもう、きみの名も、きみの街も、きみの国も決まっていた。きみが女の子じゃなくて、男の子だということも決まっていた。」「きみが生まれるまえに、そういうことは何もかも決まってしまっていたのだ。きみがじぶんで決められることなんか、何ものこされていないみたいだった。」「ところが」「つまり、きみのことは、きみが決めなければならないのだった。きみのほかには、きみなんて人間はどこにもいない。きみは何が好きで、何がきらいか。きみは何をしないで、何をするのか。どんな人間になってゆくのか。そういうきみについてのことが、何もかも決まっているみたいにみえて、ほんとうは何一つきめられてもいなかったのだ。そうしてきみは、きみについてのぜんぶのことを自分で決めなくちゃならなくなっていったのだった。つまり、ほかの誰にも代わってもらえない一人の自分に、きみはなっていった。きみはほかの誰にもならなかった。好きだろうがきらいだろうが、きみという一人の人間にしかなれなかった。そうと知ったとき、そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになってたんだ。」(「深呼吸の必要」長田弘)

 東の空が明けてきた。今、東雲色が地平線を染める。

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