2008年11月6日木曜日

■「大好き」

娘の日記帳の終わりには毎日、「ママ大すき!」という言葉が書いてある。
自分が彼女の年頃、ママ大好きと声に出して言えたかといえば、私は言えない子供だった。家族全体が、捩れた愛情に沈黙を続けるしかない、まだ我が家はそんな家だった。家族全体が捩れ軋んで、見えない悲鳴を上げ続けていた。
でも。
ちょうど彼女の歳から三十年を経て。私たちは彼女を挟んでそれぞれに今、捩れを解き始めている。
長い長い年月がそこには横たわっていて、ひとっ飛びにどうにかできるものでは、ない。けれど。
解ききれないと諦めてしまえば全てはそこで終わる。
だから多分、諦めないのだろう、私たちは。生きている限り。

大好き。
今、娘のように声を上げて両手を差し出してそんなことを言えるほど、私はまだ素直にはなれない。
でも、多分、愛しているよと、その後姿に向かって、呟くくらいは、できる。多分、きっと。
だからいつかきっと。

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