2008年11月22日土曜日

■裏山(続)

 そんな裏山も、開発の波をよけては通れなかった。私が小学六年生になる頃、突然、トラックが何台も裏山に沿って並んだ。そして、裏山を飾っていた蔓草や木々を、どんどんどんどん刈り倒していった。それはもう、あっという間の出来事だった。
 私のあけびの木はどうなったのだろう。私のぶどうはどうなったのだろう。あの野鳥の巣はどうなってしまったのだろう。あそこに張ってあった見事な蜘蛛の巣はどうなっただろう。私はトラックに乗ってきた人たちが出すがなりたてるような音に耳をふさぎながら、ぐるぐるぐるぐる考えた。でも、考えてもそれらは、音にかき消され、私の胸にちくちくと刺さった。
 何日もしないうちに、裏山は丸裸になった。私の居場所だったあの樹も、そこにはもうなかった。あぁもう、私がひとりきりで安心して過ごせる場所はなくなったのだと、あの時知った。木の葉々や枝々のこすれる音が奏でる音楽も、風が通り抜ける時に聞こえる口笛のような音も、みんな死んだ。空はもう秘密の空ではなく、ただのあけっぴろげの、からっぽの空になってしまっていた。みんな、死んだのだ。

 あれから約二十五年、実家に帰った折に、時々裏山のあった場所へ行ってみる。今そこには太い道路が通り、両脇もきれいに整えられ、宅地に変わろうとしている。あと数年もすればここも町のひとつになるのだろう。裏山があそこにあったことなど、もう誰も覚えていることはないのかもしれない。
 でも。
 私は覚えている。ひとりきりで過ごす時間がどれほど大切でいとおしいものであるのかを教えてくれた裏山のことを、私は決して忘れることはない。あの日口に含んだあけびの味も、指先を紫に染めながら食した野ぶどうの味も、そして何より、あの樹の枝の座り心地を、私は今もありありと覚えている。
 隣にいる娘が尋ねてくる。ママ、何を見てるの? うん、あそこにね、昔山があったの。山? あそこ平らだよ。うん、でも、ママがあなたくらいのときは、まだあそこは山だったの。ふぅん。そこでね、ママは楽しい時間を過ごしたんだ。
 今も胸に残る。あの心地よさ。今も耳に残る。山の奏でる音楽。今も。ありありと目に浮かぶ。あそこには、裏山があったんだ。

0 件のコメント: