2008年11月9日日曜日

■細い細い雨降る日

 天気予報では昨日から今年一番の冷え込みになるでしょうと繰り返していた。確かに寒い。雨もぱらぱらりと降り出した。けれど私は傘を持つのが面倒でそのままバス停へと走る。
 バスの終点にあたる町で降りる。その町は相変わらず賑わっており。人と人が次々交差する。私はその速度に追いついていっていないのか、そもそも合わせていけていないのか、つい誰かの鞄や肩にぶつかって立ち止まってしまう。歩けば歩くほど人と交差しなければいけない当然のことに、私は途方に暮れる。
 それでも何とか目的の文房具屋に辿り着く。そこで私はいつもの決まったノートを買う。いや、買おうとして財布を広げて気づいた。お金が足りない。
 もう、しゃがみこむくらいの脱力感。直後、思わず嗤ってしまった。何をしているんだろう、私は。次々こみ上げてくる嗤いをどうにか抑えながら、私はレジの列を外れ、ノートを元の位置に戻す。
 素直に帰ろう。こういう日は多分、とことんついてない。素直に家に帰ろう。こういう日はおとなしく家にいるに限る。

 雨は降り続いている。細い細い雨が。乗り直したバスの窓ガラスに雨の粒が線を描く。幾筋も幾筋もそれは描かれてゆく。向こう側がやがて、その筋に滲んでゆく。

 部屋に戻り、私は一番に煙草を取り出す。ベランダの縁に座り、火をつける。煙がひゅるひゅると灰色の空へと吸い込まれてゆく。それはまるであらかじめ決められた道筋であるかのように、ひゅるひゅる、ひゅるる、と。
 左手に並ぶプランター。私は心の中今日の顛末を球根の芽たちに話して聞かせる。芽たちは一様に、けらけらと笑っているかのように吹き付けてきた風に揺れる。確かにばかげてる。たった105円だけれども足りない財布を大事に持って、そのことに気づかずいそいそと出掛けた私の姿は、ちょっと笑える。出掛けたりせず、今日はこうやってゆっくりと、植物と話したり雨を眺めたりしておくんだった。焦って行為するとろくなことがない。その証拠。
 でも。
 ひとつだけ思いがけないことがあったよ。人ごみの中にあの子を見つけた。もう五年は経つだろう、彼女と縁遠くなってから。でも全然変わっていなかったよ。相変わらず町を闊歩していた。その背筋はぴんと伸びていて、どこから見てもそれはすっと立つ樹のようだったよ。
 縁遠くなった理由など、もう忘れた。ただ、私と彼女の道はいっとき交差し、やがて別れていくものだったというそれだけだ。
 ねぇ、私は、この五年でどんなふうに変わったろう。どんなふうに変わらずにいただろう。自分では自分のことが一番見えない。私はあなたたちの目にはどんなふうに映っているのだろう。

 呼び鈴がひとつ鳴る。あぁ娘が帰ってきた。いとしいいとしい我が娘が、年老いた父母の匂いをたっぷり纏って。さぁおかえり、娘よ。

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