2008年11月10日月曜日

■こうしている間にも時は流れて

 病院からの帰り道には花屋が何軒かある。その一軒にあの花があった。外国のとある国の国花。
 以前その花を写真にして店に飾っておいてもらった時、黒い肌の青年が教えてくれたのだ。これは僕の国の国花です。と。

 どうしてこの花がここに?
 いや、花屋さんに並んでいたの。一番最初に私の眼に飛び込んできたからその花を買って家で写真に撮ってみたのがこれなの。
 僕の国の国花が日本では花屋さんで売っているなんて…!

 それから彼は、この花にまつわる話をあれこれ私に聞かせてくれたのだった。それは私のまったく知らない話ばかりだった。
 その花が今また、花屋に置いてある。そういえばあの青年は今頃どうしているんだろう。日本が好きだからできるだけ日本で勉強を続けたいと言っていた。今もあの町に住んでいるのだろうか。
 昨日の薬が残っているせいか、足元も意識もふらふらしている。いつもならこの駅から家まで歩いて帰るのだが、今日は断念。バスで帰ることにする。
 同じバスに乗り合わせた障害児が、奇声を上げ続けている。周囲の人たちがちらちらとその児童を見やる。ちょうど私の前の席にその児童と母親とが座っているため、その視線は私にも突き刺さるように感じられる。
 こんな時。どうしようもなく申し訳なさを覚えるのだ。
 こんな妊娠の状態では、障害を持った子供が産まれる可能性は高いですよ。と、私はかつて言われたのだった。それでも、とごり押しして、無理をして、産んだのが今の娘だ。娘は幸いにしてひとつの障害も持っていなかった。それはこれっぽっちの幸運だった。
 そして今、私はまたどうしようもない申し訳なさ、罪悪感に駆られている。この子供の隣に座っているのは私だったのかもしれない。そう思うと、私は、自分はなんて幸せなのだろう、なんて幸運だったのだろうと思ってしまうのだ。健康な我が子に恵まれた、そのことに、心底安堵してしまうのだ。そんな自分が、悔しいくらいに情けない。でも、どうしようもない。これが現実。
 家に辿り着いて数時間、ただいまぁと玄関から大きな声が飛び込んでくる。娘だ。私にチューをしてにかっと笑うと、じゃぁ行って来ますと駆け足で今度は学童に出掛けてゆく。再びひとりになった私は、本棚を少し、片付けることにする。

 チッチッチッチ。ひとりきりの部屋に小さく時計の音が響く。こうしているうちにも時は刻々と過ぎてゆく。

 そしてもう黄昏。夕飯は何にしよう。シチューがいいか、鍋がいいか。どちらにしても、身体がぽくぽくしてくるような、あったかいものがいい。

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