2008年11月30日日曜日

■冬風の歌が聴こえる

 昨日の夜、ホワイトクリスマスとアンバー・メイアンディナの苗が届く。接木して育てられたそれらの苗を、私は今朝、そっとそっと植え替える。春になったらどんな姿を見せてくれるだろう。いや、そもそも春までちゃんと無事に育てられるだろうか。少々不安。見上げれば空は澄んだ水色。白い陽光が空からしゃんしゃんと降り注いでくる。
 今日はどうしよう。本当は予定が入っていた。でもどうしても出掛けて人と会える気持ちになれない。そうしているうちに時間はどんどん過ぎてゆく。どうしようどうしよう。私はそれまで締め切っていたカーテンを思い切り開け、そして電話を掛けてみる。
 結局、約束は延期にしてもらい、今日は実家へ。近いうち母はインターフェロンの治療を受けるために入院する。その治療を受けると鬱に陥るらしい。そのことを母はとても気に病んでいた。そのことが私はひどく気がかりだった。
 実家のある町はとても静かだ。大通りから一本でも中に入ると車の音もすっと消える。人の足音や笑い声も消える。何もかもの音が消え去る。唯一聞こえるのは、各々の庭を走る風の音色。そんな具合だ。
 今日もそれは変わらなかった。しんしんと空気が落ちてゆく。それをひょいと拾い上げるかのように風が右から左へ走る。落ちてゆこうとしていた空気と走る風とがぶつかって、口笛のような音がついっと私の耳に届く。ああ、あの頃と同じだ。何も変わっていない。私はこの音をひとり、しゃがみこんで耳を澄まして聴いていたことがあったっけ。
 高台にある公園の樹木はみな紅葉しており、その中で二人の少女が遊んでいた。昔は私もああやって冬でも薄着で遊んでいたのだった。少女の影に自分を重ね合わせながら、私はしばし過ぎ去った時間の海を漂う。
 長い長い坂を降り、ようやく実家へ。昨日から実家へ遊びに来ていた娘が出迎えてくれる。

 母の不安がひしひしと伝わってくる。私も入院前は神経が張り詰めていた。できるなら入院なんてしたくない、逃げたい気持ちがあった。しかも今回の母の場合、自分の寿命に関係してくる入院だ。その張り詰め方は尋常じゃない。
 鬱症状に苦しむ間に読める本が欲しい。数日前母が私にそう言ってきた。だから私は三冊の本を本棚の奥から引っ張り出して、今日こうして持ってきたのだ。
「かんがえるカエルくん」「まだかんがえるカエルくん」「もっとかんがえるカエルくん」。いわむらかずお氏のカエルくんシリーズだ。趣味が全く異なる母と私とではもちろん読む本の類も異なる。だから、今回このカエルくんシリーズを持っていったとて、いらないと突き返されること覚悟で持参した。
 とりあえず一章だけ読んでもらえる?と頼む私に、母は本を開く。「これなら目が疲れてても読めるかも」。母がぽつんと言った。あぁよかった、本当によかった。私はほっとして言った。「じゃぁ入院中、とりあえずこの本持っていってみたらどうかな。読めるなら何かしら気がまぎれるかもしれないし」「そうね」。
 暗くならないうちに実家を後にし、娘と二人で帰宅。そこへ母からメールが届く。「本をありがとう。楽しみです」。短いメールだけれど。
 短いメールだけれど、私を喜ばせるにはもう十分すぎる長さだった。

 長い長い冬を越えて球根が花開かせるように、樹が緑芽吹かせるように、すれ違うばかりだった母とももしかしたら少し道が交叉するくらいには近づけたんだろうか。そうであることを、願いたい。
 機能不全家族なんて名称が、それでもいつか壊れてなくなっていくものなんだと、そんなことを信じさせてほしい。私は信じたい。

0 件のコメント: